近況報告 永松 英高

23年京都共助会修養会の折り、「近況報告を」ということで、拙い文を書くことになりましたが、悪しからずご了承くださいますようにお願い致します。

● 安全教育の仕事とJAL機事故に思うこと

11年程前に電気設備管理の仕事に出会って67歳の時に第3種電気主任技術者の資格を取得し、受電電力22000Vの病院や6600Vの研究所の選任電気主任技術者としての職務に従事してきました。現在は、講師として電気取扱業務に従事する新入社員への労働安全衛生法上の特別教育を担当しています。

電気は、低圧と高圧と特別高圧に区別され、一般住宅で使用するのは、低圧の100Vあるいは200Vの電圧です。新入社員は、高圧6600Vまたは特別高圧33000V等の電圧を取り扱う人です。その為に主目的は、感電防止の安全教育となります。自社で実際に起こった2つの電気死亡あるいは負傷事故を取り上げ、どこに原因があったのか、また他に考えられる事故要因を各自が考え、さらにグループミーティングを通して意見交換をすることです。安全標語「自分の身は自分で守る」を知識及び実技及び対話を通じて身に着けることに主眼があります。取り上げた事故原因要素の共通点は、他者から「早く仕事を終えて」等の要望に応えようとして当事者が焦りを感じて、仕事の基本が疎かになったことに起因していました。

2つの事故事例は、電気がアークとなって人体・物体に飛んだことです。それを防ぐためには、電気が流れている電線とそうでない電線とを器具を使って見分け、さらに絶縁保護具を身に着けて安全に作業をすることでした。「自らが新たな電気事故は起こしてはならないとの安全意識」を果実として新人社員を全国それぞれの職場に送り出しています。

私も事故原因の究明を考えています。今日は1月8日です。1月2日の羽田空港の衝突事故は、海保機が格納庫から出た後の出発時間が遅れていたが、C滑走路の離着陸が2~3分前後で実施されている中で、短距離離陸ができかつ離陸1番目の爲に滑走路停止位置C5を指定され、指示通りの停止位置待機そして離陸許可交信後の離陸であれば何の問題もなかったはずです。

海保機の「1番目。ありがとう」の応答は、離着陸運用中のC滑走路だが、離陸1番目の指示を、これから1番目に滑走路を使用できる番だと誤解したのかもしれない。また「ありがとう」は、遅れているという思いが「直ちに離陸することができることになった」と感謝の言葉となり、素早く滑走路中央に侵入したものではないかと思います。

しかし、たとえ海保機が離陸許可を得たと考えて誘導路から滑走路に侵入しようとする時に、右手上空にいた着陸降下中のJAL機の滑走路照射ライトを目視により確認し、その着陸の前に離陸が可能なのかの予測を右座席の副機長と共有すれば、誘導路上で急停止ができ滑走路内に侵入することなく、改めてJAL機着陸後に安全に離陸できたはずだと思えて仕方がありません。

海保機操作当事者等の基本動作の点からのみ私見を述べました。亡くなられた方々の主にあるご平安とけがをされた方々へのお見舞いを申し上げます。

● 安保法制違憲訴訟の原告として

2015年9月19日安保法制が国会で可決され、成立しました。この法律は、「憲法条文の改正なくして集団的自衛権は行使できない」という従来の憲法解釈を根底から覆す新解釈であり法律です。成立時には、国会周辺では10万人を超える人々が反対意思表示に駆け付けました。この法律の成立を受けて1市民の私は、普段の憲法擁護努力義務を実施する必要がある事及び解釈改憲によって第9条を実質無効とする法律は認められないと考え、最初の提訴である国家賠償請求訴訟(以下国家訴訟と略す)月本昭男先生の原告となりました。原告代理人である弁護士の方々は手弁当で前面に立ってくださっています。安保法制が違憲であるとの直接的な訴訟はできず、国賠訴訟または差止訴訟という観点からの提訴でした。原告としての国賠訴訟の東京地裁の敗訴を受けて、東京高裁での控訴審には、控訴人としてすべての公判に参加し、推移を見守ってきました。だが高裁判決も憲法判断をすることもなく棄却され、続けて最高裁に上告するも2023年9月8日に上告棄却及び上告申立て不受理とされて、敗訴となりました。

これは最初の最高裁(第二小法廷)での敗訴判決でしたが、なお各地の国賠訴訟や差止訴訟など43判決中1件以外は憲法判断を回避しての敗訴を受けても現在は最高裁9、高裁10係属して公判実施及び判決が控えています。ぜひとも皆さんもご関心を抱いてくださり推移を見守って戴ければと思います。(「安保法制違憲訴訟の会」HP有り)

この訴訟の代表である寺井一弘弁護士を紹介します。(1)三歳の時に中国残留孤児となる1歩手前の処を母が父の制止を振り切り、体を張って長崎に連れ帰られたこと。(2)「お前は苦難の末、奇跡的に故郷に戻ってこられたのだから、戦争を憎み、貧困と差別をなくすため力を尽くす人間になれ」との母の願いに従って歩まれておられる方です。 

(日本基督教団 北白川教会員)