寄稿

「『フィンランドから見た日本』報告を終えて」   O.E.

約1年間のフィンランド留学が遂に終わりを迎えた。立っているだけで汗が出てくるこの日本の暑さは久しぶりだ。早くもバテ気味だが、こちらの方が生きている実感が湧いてきて、明るい気持ちになるのだから笑ってしまう。

私は今年、飯島先生の紹介で初めて共助会の夏期修養会に参加することになった。それも、「フィンランドから見た日本」というテーマで1時間ほど話すという役を任された(てしまった?)。正直、共助会の方々には殆ど会ったことがなかったし、話す内容についても「これでいいんだろうか」と不安だった。そんな思いで1日目参加した私だったが、留学中に寄稿した『フィンランド便り』を読んでいただいた方々に声をかけてもらえ、驚きとともにとても嬉しかった。今回は、私が修養会で話したことを『フィンランド便り』の内容と被るかもしれないが、記録できたらと思う。

話は大まかにジェンダー、教育、リサイクル文化、政治、移民、植民地主義について、フィンラドで生活をして学んだことを日本と比べながら進めていった。まず、ジェンダーについて、日本と比べてフィンランドにはネウボラ制度や働き方、ベビーカーを使いやすいなど、子育てがしやすい環境がある。また、留学中にできた韓国からの友達のクラスメートが最初に学んだ日本語がアダルトビデオに出てくる性的な言葉だったということを聞いてショックを受けたことを話した。フィンランドには女性を客体化し商業化しているような構造が見受けられなかったので日本とかなり違いがあるのだと気づかされた。教育については、フィンランドでは大学までの学費が無料であることや小学校、中学校、高校の授業見学に行ったときの気づきについて話した。具体的には、小学校から税金や労働の権利について学んでいたこと、特別支援が必要な子も一般の学校に通い、先生が個別にフォローをすることなどがある。そしてやはり、日本の学校のように校則もあまりなく、生徒の自主性を重んじるような雰囲気があったのは、大きな違いだと思う。

次のリサイクル文化については、フィンランドには日本よりもリサイクルショップが多くある。日本にも古着屋さんはあるのだが、それらは大衆向けというよりもヴィンテージという一つのカテゴリとしてあり、値段が張るものも少なくない。対してフィンランドのものはより大衆向けで、服はもちろん、食器や本や家具なども安く手に入る。また、これはその他のヨーロッパの国々で言えることだが、ヴィーガン食も学食には必ずあるし、レストラン・カフェにもあるところがほとんどだ。

次に、政治についてだが、フィンランドでは政治について大学の友達と話すことが日常的にあった。更に選挙権と被選挙権を18歳になると同時に得られるため、大学生で地方選挙に立候補をしている人などもおり、政治がより身近なものに感じた。約1年ぶりに日本に帰ってきたとき、町のところどころに貼ってある参政党の「日本人ファースト」という文言を見て、私の頭にフィンランドの極右政党であるフィン人党のことが頭に浮かんだ。これは、移民排斥を呼びかけたり、世界的にフィンランドがジェンダーギャップ指数で上位だという統計のみを見て、「ジェンダー平等の国だから、フェミニズムは必要ない」ということを言っている政党だ。これが2023年の議会選挙では、第二党になり、フィンランドでも右傾化は進んでいることがわかる。その選挙で第一党も保守系の政党となったそうで、フィンランドの友人に「フィンランドは世界で一番幸福な国なんでしょ」と言うと、「学生の補助金に割く予算が削られてるのに何が世界で一番幸福なんだ」と怒られた。

そして5つ目は、移民についてだ。フィンランドで移民が暮らしていくのは大変だというのは『共助』に以前書いた通りである。多くの移民の方が、言語的な壁や差別で仕事を得るのに苦労をしている。私が話を聞いた方は、大学を出ていても、清掃の仕事を勧められたと言っていた。また、wolt という日本のuber eatsのような不安定な仕事をしているのはほとんどが有色の男性で、雪の中でも自転車に乗って配達をしている方もいた。移民の方への差別とか人種差別は個人の問題だけではなく、社会の構造的なものでもあるのだと思い知らされた。ただ、赤十字や教会が無料でフィンランド語の教室を行っているなど、ボランティアによる移民支援も行われていたということも知っておいてほしい。

最後に、植民地主義についての話だ。これについては、以前も『共助』に寄稿した原稿の中で触れたことがあるので、重複してしまうかもしれないが、私が通っていたタンペレ大学にアレクサンダー・ストゥブ大統領が来たときのことだ。大学から大統領が演説をする旨のメールが届き、私はその日は授業がなかったにもかかわらず勇んで大学に向かった。着くと思いがけず行列ができていたが、無事席に着くことができ講演が始まった。内容的には、これからの世界秩序について、と言ったような内容だったと記憶している。そのなかでストゥブ大統領が「フィンランドは帝国主義や植民地主義の歴史がないから、他の国と協力するのにはやりやすいポジションにいる」と口にした場面があった。後に授業でクラスメートがこれを修正してくれるまで、私はこれが間違いであることに気付けなかった。何が違うのかというと、フィンランドにも植民地主義の歴史があったということだ。具体的には、フィンランドの北の方にラップランドという地域があり、その意味が「サーミ人の土地」と言う意味からもわかるように元々少数民族のサーミ人が住んでいるところだ。フィンランドだけでなく、スウェーデン、ノルウェー、ロシアの一部にもいる民族で、トナカイを放牧して暮らしてきた民族である。だが、フィンランドはその人たちの土地を奪って、観光地とか環境問題解決のためにと謳って風車などをたてているといったことが起きていることを知った。過去には、同化政策も行っていたことも訪れた博物館で知った。

nordic exceptionalismという概念がある。これは簡単に言えば、北欧の国は他のヨーロッパの国々とは文化的にも歴史的にもちょっと違うということを含んでいる。これを植民地主義の文脈において語ると、北欧の国は福祉国家で、いいイメージがあり、特にフィンランドはスウェーデンとロシアに統治下におかれてきた歴史から、統治される側としての側面が強いために植民地主義の歴史が覆い隠されてしまっているのだ。

これは沖縄と「本土」の関係性において、青い空、青い海、夢のリゾート地としての沖縄のイメージに目隠しをされ、「本土」の人は戦前から続く差別の問題に気付けない、興味がない状況に似ている。また、毎年終戦の日に感じることとして、日本がアメリカに攻められ、敗戦したという点に集中しすぎていて、韓国、中国、東南アジアの国々に対しての植民者としての日本にあまり焦点があたっていないように思う。その一つの側面を強調することでもう一つの側面が隠されてしまっているという点が似ていると私は思う。

フィンランドで約1年間を過ごしてみて、日本で「当たり前」のことが必ずしもどこでもそうではないことは分かったし、違いから学ぶことが多かった。日本では、教育の資金の面もそうだが、努力していてもしていなくても、結果を見てダメならそれは個人の力不足だと言われ、それを補填する国のサポートが少ないと思った。だが、もちろんフィンランドを理想化しすぎていた部分もあり、日本と同じような問題を持っている所は新たな発見だった。また、フィンランドに住むとどうしても東アジア人としての自分を意識せずにはいられない。自分がどう見られているのかを意識させられるような感じが常にあった。言葉も分からないし私がお店に入ると少し緊張感が漂うのが「外国人」として扱われているんだなと思ってしまう。だからこそ、日本の文化とか食べ物はすごく好きなので、日本に帰ってきたときに正直ほっとした面もあった。だがそうはいっても、社会の一員として居心地はよくないという部分はやはり変わらないのだ。だから、自分にできること、違和感を感じることには声を上げていくようにしたい。

最後に、自分がフィンランドで見てきたこと、感じたことを私はただシェアしただけなのに、話が終わった後、たくさんの方に「お話ありがとうございました」と笑顔で優しく言っていただいて、本当にありがたかった。メモを取りながら真剣に聞いてくれた方、質問をしてくれた方、参加しないかと声をかけてくた飯島先生、『共助』発行を担当してくださっている石川さん、これを読んでくれている方々、ありがとうございました。