今日の日本伝道への光(2016年3号)〜小淵 康而

政治の季節である。今日の日本において生きている限りこの政治の波の中にいかに良心的信仰をもって生きるかは、避けることができない。

しかし他方、今日の地方教会の事情はどうであろうか。大都市とその周辺の教会の事情は詳らかではないが、小生の住む新潟県下にある諸教会は、その衰退は覆うべくもない。もちろん、高齢化は避けられないが、伝道が前進しない。牧師の異動が多い。若い人たちに伝道の手が届かない。現象的には教会が自己閉鎖的な自己目的集団になっている。教会はそのようなことを意識的に目指してはいないが、そうかと言って現状を反省して新しい方向性を求めて苦闘しているようにも見えない。

共助会は伝道団体である。「主にある友情」である。「キリストのほか自由独立」である。その共助会に属するものとして、あらためて思うのは「友情」という古く、また新しい思いである。果たして教会の交わりの中に私は本当の友を持っているか、その友と苦しみも喜びも互いに分かち合い、祈り、助け合っているだろうか。そのことと同時に忘れてはならないのは、共助会は「伝道」の団体であることである。教会の外の人たちと友情を持って交わえる友を持っているか、そのような友を求めて日常生活を生きているか。

そのようなことを考えない訳にはいかない。キリストを友に紹介する、これは共助会の基本であると心得ているつもりではあるが、なかなか実行できてないことを改めて心にとめている。

今日の日本における伝道は、有名な先生を招いてする大がかりな集会ではなく、わたしたちが日常的に接し、あるいは、かつて接していた友に、誠実に、祈りをもって、交わり、表面的にではなく、心の中を開いて、話し合い、聞き合う交わり、そのような友情という小さな、しかし確かな交わりから始めることが求められているのではないだろうか。その意味で、共助会の理念と今日までの歩みは、日本伝道に明るい光をともすことができるのではないだろうか。
そして、すべては一人の友を愛し、尊重することから始まる。