震災と原発事故後の10年を思う 神戸信行

東日本大震災と福島第一原子力発電所の事故から10年が過ぎた。今も激しい揺れとその後の余震に耐えた日々の記憶は鮮明である。何よりも、太平洋沿岸部の町を襲った大津波の壊滅的な被害の状況に驚愕した。しかし、事故により散乱した放射性物質は、見えず、臭いが無い。長年にわたり「原子力明るい未来のエネルギー」(双葉町の標語看板)に象徴される原子力の「平和利用」が強調され、原子力災害のリスクに対して無知だったので、その深刻さを実感するには多少の時間が必要であった。津波の死をsudden death と称するならば、放射線被ばくのリスクはslow death である。この10年間は、いかに子どもたちの安全と安心を確保しつつ「フクシマ」を生きるかに心血を注いできた。

現在、住み慣れた郷土から県内外への避難者は3万6千人を超え、また沿岸部の10市町村では避難困難区域を除いて避難指示は解除されたが、帰還した人々は約3割程度だという。未だに震災関連死を迎える人々は絶えず、原発廃炉の見通しも定かでない。その福島県で、Jビレッジ(楢葉町)を起点にして、3月25日に「復興五輪」の聖火リレーが始まった。なんとも理解できないことである。

戦後の復興と発展は、経済至上主義によって牽引されてきた。そこには、物の豊かさが幸福の基盤だとの前提がある。この10年間、同様に震災復興を目指して莫大な資金が投入され、ハード面の整備が進められてきたが、それのみでは事故により分断した人間関係を回復し、私たちの郷土を取り戻すことはできない。しかも、根強い風評被害や差別に接し、深い喪失感とともに閉塞感を覚えずにはいられない。しかし、その一方で国内外から支援の手を差し伸べて下さった方々から大きな慰めと希望を与えられてきた。それは、私たちの「よき隣人」を彼らの中に見出すからだ。

聖書を開くと、筆舌に尽くしがたい困難な状況下で信仰を失うことなく「いのち」の火を灯して歩み続けた人々に出会い、勇気を与えられる。

「道々お話しになったとき、また聖書を説き明してくださったとき、お互の心が内に燃えたではないか」(ルカ24章32節:口語訳)エマオへの途上、意気消沈する二人の弟子に近づいて来て、一緒に歩かれたイエスの姿に心打たれてならない。今日も、十字架の苦しみを受けた後に甦られたイエスが、歴史の途上で困難の中に在る人々と共に歩まれている。そのことを示されて励まされるのである。(福島家庭集会・青葉学園常務理事)