巻頭言

どこで主のうめきを聞くのか  和田 健彦

軍事侵攻されるウクライナの映像は、驚きとともに戦争の惨めさ、人間のもつ罪の惨状を示され、一日も早い収束を祈らざるを得ません。77年前の焼土となった日本を思いつつ、共助会の出版物等をたどりながら、戦前から追求されていた贖罪論(十字架のキリスト)について先達の歩みを読んでみたいと思いました。

共助会ではよく知られる、創立者森 明が亡くなる一年前の1924年、病で神奈川県の大磯に静養中のことを清水二郎著『森明』から、かいつまんで記しますと、今泉、山本、本間、奥田等12名が短時間の見舞いの積りで大磯の病床を訪れた際、一同は森 明の求めにより、朝10時から午後3時半頃まで、病床に端座し、汗を滴らせて顔面蒼白になりながらも、心を尽くしての贖罪論講義が語られました。その後聴講の青年たちは、この講演の文章化を試みるが実現しませんでした。さらにこの時の講義からは19年後の1943年、戦況悪化の中、共助会は調布で森先生伝統の「贖罪論」を強く取り上げ、「森明先生贖罪講演20周年記念」の夏期信仰修養会が行なわれています。

また、長く共助会委員長をされた山本茂男牧師(1925年~1964年)は、若い時「山本君、君は贖罪の問題を、深く掘り下げていきたまえ」と森明に励まされています。(清水二郎著『森 明』157頁)

その山本茂男は『森 明選集』序(昭和7年)に、『先生はついに贖罪論を書き得なかった。しかし先生の伝の生涯こそ生ける贖罪論であった。私たちは罪深く贖罪の真理をわきまえ得ない鈍い魂であったが、先生の主に在る聖い友情によって、「神、人の罪のために死する恩寵」に浴するを得た。……』(前掲書、205頁)と記されています。

私は若い頃、十字架の意味は、頭では理解していたが、原罪、贖罪の問題を実感として理解できず、自分にはこの問題の解決は一生無理だろうと思う中、教会に繋がり導かれていこうとしていました。

その様な中で、韓国の洪彰義(ホンチャウイ)先生は「どこで主のうめきを聞くのか」という講演で「キリスト者とは結局、最も苦しめられている者のうめきの中に主のうめきを聞き取り、そこで苦しみを共にする者をいうのではないかと思います。」(1999年『共助』10・11月号)と夏期信仰修養会で語られた言葉が忘れられません。毎日恐ろしい戦争の報道と映像を見ながらキリストの十字架のことを考えさせられます。

(日本基督教団 鶴川北教会員)