地域教会間における宣教協力について 小友睦

教会間の宣教協力と言うと共同で牧会する。財政的というよりも人的、それは牧師だけではなく信徒もそれに積極的に関わる。それでいて個々の教会の宣教の業に独自性が失われない。それは理想でしょう。私の属する岩手県北から青森県東側にある日本基督教団奥羽教区の11の教会・伝道所を持つ北東地区では、全ての教会・伝道所の状況、諸集会でどういう事をしているか、教会員の消息について共有しています。教会間の物理的な距離の近さや地域的な近似性、例えば言葉や風土において共通性があり、教会の規模が小さい故に、それを目指して教会間の交流が密な処があります。地区協議会は年3回で持ち回り。また信徒を含む講壇交換を一斉に行い、地区での集会でも全ての教会から多くの出席者があります。祈りの課題としても教会を超えて覚えます。そこで宣教協力に際して財政的な支援についても話し合われ、そのための会計も置かれています。私は地区会計をしている事から会計の視点から今起きている事をお話します。これは財政問題を超えて人的な面でとても考えさせられ、私にとって発見でした。

地方の教会では単独で教会を維持する事、また教会の教師を支えるという事においては財政的に自立が殆ど出来ていない状態です。奥羽(青森県・秋田県・岩手県)は人口が自然減の面でも、社会減の面でも全国の最上位であり、全人口に対するクリスチャンの割合も低い。そういう中でいかに教会員を増やすか。そうして献金収入を増やすという事に大きな期待を掛ける。そういう方もいない訳ではありません。こういうと否定的な見解と指摘されるでしょうが、現実の人口減少率の高さを見、毎月、市役所から届く広報の人口移動統計、更に死亡者の名簿をみると、この先も暗く見えてしまう。そういう統計を見るのは辛くなります。それぞれの教会では、様々な活動や教会の利用を積極的にしている教会、社会運動で地域内外との繋がりを重視している教会もあります。福音派だ、社会派だ、そういう事の違いで批判し合う事はほぼない。そういう教会の独自性を共有して、その活動を対外的に支援していく。規模が小さい故に、一教会として行っていくには限界がある事を、同じ地域にある教会の教会員は理解しています。他教会の問題は他人事ではない。自教会の問題となりうる事を感じているのです。

財政的に見ると、教師への謝儀という面では単独教会・伝道所が自立している訳ではなく生計は苦しい。凡そ半数の教師は奥羽教区からの謝儀互助を受けています。それは今後更に増えて行くでしょう。奥羽教区では財政上の困難もあり、また年金の掛け金の支払いにも関わり、謝儀互助には基準と上限が設けられています。私も互助を受けていますが、最低基準ぎりぎりです。それでも今後は教区の謝儀互助会計がひっ迫する事も考えられましょう。その事はさておき、やはり教会がその使命、即ち宣教活動において財政が問題となって、使命を思うように出来ないという事に、同じ地域にあるそういう教会・伝道所を「自立してないから」「宣教活動が誤っている」等と突き放す事はできないでしょう。そういう地域の教会・伝道所を支え合う。勿論これは強制ではなく自主性ですが。そういう相互関係があるのも地域教会が密接に話し合い、協力して来た蓄積があるからだと思います。

私の教会の属する奥羽教区の北東地区の教会・伝道所は独自に宣教協力を行ってきました。先に申したように、教会からの謝儀では賄えない教師とその家族の生活を支える制度として、奥羽教区からの謝儀互助があります。また小規模教会の負担軽減を配慮しつつ、教区への負担金の算定方式を毎年のように変更しています。それでも小規模教会の維持には厳しい現実があります。

北東地区では会計の中に宣教協力特別会計を2008年から置き、その財源は地区主催の会議や諸集会での礼拝献金と分担献金(経常収入の0.3%)で賄い、特に財政状況の厳しい教会・伝道所に応援伝道費として支出しています。この会計の運用について長年、話し合いがなされました。宣教協力とは地区内の教会への財政的な援助ですが、援助している教会は社会運動に活発な教会もあります。それは地域だけではない。全国的な交流活動をしています。小さな伝道所だとそのための経費が掛ります。事務通信費だけでも大きな出費となります。また自宅で開拓伝道をしながら伝道所を掛け持ちしている牧師もいます。応援伝道費として援助している教会・伝道所は、小さいながらも独自の宣教活動をしています。

実は宣教協力特別会計には2020年度までは教区からの援助がありました。しかし教区財政の見直しで援助は打ち切られ、更には毎年、繰越が減少して行き、私が会計をするようになった頃には、このままでは3~4年で繰越を使い果たし、今までのように応援伝道費として支出し続けるのが困難になる事が緊急の課題となりました。私が会計になる前は各教会・伝道所の分担献金額は経常収入の0.2%でした。それを0.3%に引き上げる

事を地区総会で承認を得ました。それでも7~8年で底をつく事になります。今までも地区の協議会で議題として上げ、様々な意見が出されましたが、地区会計として根本的に具体的にできるような処まではいきませんでした。

ところでこういう中で、地区内の一教会が無牧師となり、新たに教師を招聘するに当って大きな問題が出ました。それはその教会では、教師の謝儀に対して教区からの謝儀互助の基準に達していないため、教師招聘が難しくなり、無牧師の期間が一年を越えました。本来、宣教協力は謝儀互助の目的はないのですが、その教会で教師の招聘が進むように、地区の宣教協力特別会計から応援伝道費を支出する事にしました。それは会計が底をつく時間が更に短くなる事を意味します。地区の協議会や総会では具体策が出てこない事もあり、私は私の仕える教会で単独で支援出来ないか役員会に諮りました。私の意図は、一教会が動く事で地区内の他の教会にも具体的に動いてもらいたいという事です。役員会の承認を受け、まずは一年間、教会員に自由献金として、全員でひと月合わせて五千円を目標に募る事にしました。結果は予想を上回る献金が集り、その教会に毎月五千円を支援する事ができました。それでも教師の招聘には至りませんでした。それで教師が招聘されるまで続けてみるという事にしました。それでも役員会でも「そこまでやらなくても」と言う意見もありました。でも教会員からの献金が続いており、また目標額の余分もあった事から継続しました。次の年にその教会は教師の招聘に至りました。但し年金生活者ですが。つまり謝儀互助の問題は解決していない。

こういう事で宣教協力特別会計は、私の計算上では確実に後3年で底をついてしまうという事になる。後は自転車操業で、集まった献金の範囲で分配するしかなく、それは毎年減少していき、正直「地区会計をやってられない」と思う程でした。コロナ禍になり、地区や教区での集会や会議ができなくなり、そこで行なわれる礼拝献金から地区会計に入る収入が途絶えました。また各教会においても礼拝を中止する教会もあり、礼拝出席者の減少で献金収入が減少し、2020年度は地区会計を一年間、凍結する事を地区の三役(地区長・書記・会計)で提案し、対面での総会を中止したため、書面決議で地区会計の凍結が可決されました。繰越以外の収入は無しで、支出も地区としての事務通信費のみという事です。更には教区からの援助も打ち切られました。それは宣教協力特別会計からの支援を受けている教会・伝道所にとっては大きな痛みです。教会が宣教の業をある意味、地区会計の事情で縮小するという事でもあるからです。特に社会問題に対して積極的に発信してきた教会には辛い事だったはずです。

そういう痛みから地区三役は、具体的に出来る事をとにかく行ってみよう。三役での話し合いで出たのが「地区の日」献金でした。「地区の日」というのは今までなかった(決めていなかった)ことで、とりあえず11月3日としました。この日は毎年、地区修養会あるいは地区研修会が行われる日で、東日本大震災を覚えての礼拝と共に、地区内の教会員が多く集まる集会でした。「地区の日」献金は各教会に前もって献金の趣旨と献金袋を送付し、それを各教会でまとめ、「地区の日」として定めた11月3日に開催される地区修養会または地区研修会において地区会計に渡すという案をまとめました。地区委員会を経て地区総会において議題として出し、可決されました。結果として「地区の日」献金はこれまでの宣教協力特別会計の減少分を相殺する以上の献金が集り、宣教協力特別会計については、余程の事のない限り、底をつくであろう事は回避されました。

2022年度の地区会計の予算を作成するに当って、前年度の各教会の財政状況を見、また各教会の状況を聞きました。殆どの教会・伝道所は財政は厳しいというものでした。そういう状況を考慮し、年度末の地区委員会で予算を立てるに当って幾つかの案を提示しました。①分担金と宣教協力分担献金を全てゼロにする。②全て例年通りにする。③算定方式の半分にする。

会計自身としては①にする事を第一候補とし、地区委員に意見を求めました。するとある委員から「宣教協力をゼロにするという事は、地区として宣教協力に後ろ向きの印象を抱かせるのではないか。それは地区の宣教協力の存在意義にも関わるのでは」という意見がありました。その指摘は私にとって会計として目を開かせるものでした。宣教協力については変えない予算案を立てました。会計とは、効率よく、また間違いのないように、きちんと処理する。それを心掛けていた積りでしたが、それだけが会計の働きではない。会計を通して地区内教会の宣教の働きを支え、後押しすることの方が大切なのだと感じました。

本来、地区三役は慣例上、二期四年までで、余程の事情がなければ地区会計という重荷から解放されるはずでしたが、その余程の事情のため三期を越えてしまいました。地区会計に関する規約を実態に即して改訂して行く作業もまだ残されていますが。私のように大雑把な人物が地区会計という有り余る恵みを戴きました。その中で地区内教会・伝道所の宣教協力に対する熱意を感じました。これが(今や死語になった)「伝道圏伝道」ではないかと。使徒言行録4章32~ 35節に近付けたでしょうか。単に金銭の管理と事務処理ではない、それ以上に大切な教会間協力に関われた事に感謝です。

コロナ禍の終息が中々見えない中で、今も地区としての宣教活動はほとんど停止状態ですが、今後再開される地区活動のための準備をしていきたい。今までは対面に拘こだわってきた処がありました。また同じ地区でも最北の教会と最南の教会とでは距離が180㎞あり、車で片道4時間掛ります。特に冬は集会や会議のために日帰りするのは体力的に厳しくなりました。対面でできなくてもリモート集会、リモート勉強会、リモート会議等取り入れる。そういう方向になっています。共助会も今後そういう方向になって行くでしょうか。(日本基督教団 二戸教会牧師)