「韓日基督教共助会修練会」への導き 李 相勁

1919年(「三・一独立運動」の年)に創設された「基督教共助会」は、韓国の友との「主にある友情」に支えられて、「韓日基督教共助会修練会」(以下、「修練会」)へと導かれました。私は何度か「修練会」に参加させていただき、主の恵みと親しい交わりにあずかり感謝しています。1992年ソウルでの第1回「修練会」(全体プログラム3月29日〜4月4日)の思いが「韓国の共助会の友たちへ」(『歴史に生きるキリスト者』、基督教共助会編、1993年)に次のように書かれています。「日本の苛酷な植民地支配の中にあっても、韓国の友と主にある友情を結ぶことをゆるされたことは、主の恵みとして感謝にたえません。さらに1945年以後、日本の罪責を主にあってゆるし、主にある友情の手をさしのべる新しい友を与えられたことも、つきない感謝です。そのような主の恵みと主にある友情に支えられて、今回はじめて韓国の地において共助会の修練会を持つことをゆるされました」。

李仁夏(イインハ) 牧師(在日大韓基督教会川崎教会初代担任牧師)の著書『歴史の狭間を生きる』(日本キリスト教団出版局、2006年)には、「基督教共助会」の会員になった導きがこう書かれています。「戦時中の和田先生宅の聖書研究に出ておられた先輩は、当時京都大学の医学部学生だった李 英環(イヨンファン)さんと洪 彰義(ホンチャンイ)さんで、……彼らも私も、和田先生の人脈に連なる『キリスト教共助会』の会員として、厚い友情に結ばれている」。

日韓の良き架け橋を願い共助会に入った朴錫圭(パクソクキュウ)牧師は、出会いと導き、「戦争責任告白」承認を促すことになったことや「和解と愛」の思いを第1回「修練会」の「聖書研究Ⅰ」に次のように書かれています。「1966年、慶州(キョンジュ)の教会を牧会中、東神大に留学。そこで澤に会い、韓国語を教えるのに、『三・一運動史』を教科書とする。勉強中、澤が涙をうかべて、これは一体本当かという。二人して、抱きあって、日韓の良き架け橋になることを誓う。……自分は、李仁夏牧師、澤の推薦で共助会に入る。……66年10月号の『共助』誌に『日韓両国教会の交わり』について書いたが、それを当時、教団議長鈴木正久牧師がとりあげて、教団総会において、『戦争責任告白』承認を促した。憎しみではなく、和解と愛を訴える文を私は書いた」。

私は「主にある友情」に感銘を受けて「基督教共助会」へと導かれました。また、「修練会」を通して福音による交わりの豊かさに励まされます。「歴史に生きるキリスト者」として「平和」を祈り、「主にある友情」の恵みを分かち合い、支え合って共に歩んでいきたいと願っています。

(在日大韓基督教会 川崎教会牧師)