巻頭言

共に生きるために  阿部真希子

アジア学院の学友(ミャンマー・チン族)と「ミャンマー いのちのお米プロジェクト」を始めてから、この10月で丸3年となる。

自らも故郷を失い、数々の危機を乗り越えながらも、同郷の困窮する人々への支援をやめない友人に比べたら、私の努力など本当に些細なものだ。自分の生活に追われ、彼が毎月、命がけで送ってくる詳細なニュースをより多くの人に発信する努力も出来ずにいる。しかしながら、毎月の報告書を丹念に読み、激励をくださる方も多く、大変励まされている。

また神様は、継続的な支援者に加え、新しい方々とのつながりも与えてくださり、いつも思いがけない方面から支援の手が差し伸べられてきた。お米の買い付け、運搬、分配を行う現地のボランティアたちの安全も守られ、今日まで活動を続けることができている。この毎月のように起きる奇跡の体験には驚嘆するばかりで、神様は、ミャンマーの苦しむ人々を決して見捨てられていないと確信している。

アジア学院創立の中心を担われた故・高見敏弘先生は、学院の前身である、農村伝道神学校の東南アジアコースで、台湾や韓国、ミャンマー、フィリピンなどの、日本兵による被害体験をもった方々と出会われた。目の前で肉親を殺されたり、体に銃剣の刺し傷があったり、殴られて片耳の聴力を失った彼らは皆、穏やかな顔をして、淡々とその経験を語られたという。髙見先生は、その時をつらいというよりは、厳粛に、感謝をもって受け止めていたと語っておられる。そしてそれが後年、アジア諸国に対する贖罪のために創設された〝アジア学院〟が「共に生きるために」というモットーを掲げることにつながった。

私が、友人と活動を続けて来られたのも、学院で共に生活し、共に学び、共に働いた日々があったからだ。彼の置かれている悲惨で恐ろしい状況を、私は欠か けら 片ほども想像できていないだろう。けれども、私たちには学院での共通の思い出があり、互いの本質的な部分を知り、同じ神に希望を置いているので、今のような先の見えない状況にあっても、関係を断つことは決してない。

寝食を共にして祈り、人格的な交わりをもつ。私は佐久学舎や共助会の修養会でも同じことを経験した。イエス様が弟子たちと過ごされた日々も、このようではなかったかと想像する。世界の対立している人々も、肩書も国籍もすべて脱ぎ捨てて、寝食を共にすれば、相手も同じ人間であることに気がつくのかもしれない。

(アジア学院 パート職員)