寄稿

【寄稿への応答】「ソムードの集い」のエッセイ集に想う 飯島 信

■日 時:2024年8月31日(土)

■場 所:ICUシーベリーチャペル「青年の夕べ」

■聖 書:ルカによる福音書 第10章25―37節

8月も最後の日を迎え、明日からは9月です。

2024年もあと4か月、いつものことですが信じられないくらいの速さで時が進むのを感じます。今日は、この8月に行われた基督教共助会夏期信仰修養会で受け取った若者たちの手になる「ソムードの集い」のエッセイ集に触れたいと思います。

先週、私が代務をしている京都の銀閣寺の近くにある日本基督教団 北白川教会で説教と聖餐式を執り行ったのですが、教の中でこのエッセイ集に触れ、次のように述べました。

「最初の頁を読み始めた時、襟を正さずには読むことが出来ないと思いました。

この『エッセイ集』は、『ソムードの集い』という集まりのメンバーによって書かれたもので、『ソムード』は『抵抗』『回復』を意味するアラビア語です。つまり、この冊子は、パレスチナの人々の戦いに連帯し、今行われているイスラエルによるパレスチナの人々に対するジェノサイド(虐殺)を直ちに止めさせるために行動を起こしている一人ひとりの想いを集めたもので、9人の若者たちが文章を寄せています。

このエッセイ集は貴重です。

大切な何かが産声を上げたような思いがしています。

大切な何かとは、一人ひとりのかけがえのない若い魂が、この現実社会としっかり結びつき、そこで息づこうとする営みの始まりを告げるものであるからです」と。

執筆している9人の若者の中の5人は「青年の夕べ」で感話を述べた者たちです。また4人は出席したことがある者たちで、全員を私は知っています。

彼らの文章を読み終え、深い感慨を覚えました。

このようにして、彼らは世界と出会っていくのだと。

先に述べたように、私は若者たちに、運動を続けながら、さらに学びを深めて欲しいと思いました。その学びとは、この日本が歩んだ歴史についてです。

パレスチナで起きているジェノサイドの事実に心を傾けて分け入り、感性を鍛えつつ、まさにその鍛えられた感性によって日本の歴史に踏み入るのです。

「ソムードの集い」の趣旨文を読みながら思うことがありました。例えば、炎の中を逃げまどい、飢えに呻き、恐怖に泣き叫ぶ子どもの声の箇所では、日本軍によって、中国 一千万(中国国務院)に次ぐ400万の犠牲者(サンフランシスコ講和会議でのインドネシア政府見解)を生んだインドネシアの詩人K・ソウトロが、アジア太平洋戦争の宣戦を布告しつつも戦争責任を免れた昭和天皇の臨終の知らせの際に、彼に向けて詠んだ詩の一

節です。タイトルは、「そのままでは逝いか 去ないで下さい」です。

聞こえますか

ジャングルの奥で 死んだ母親の乳房を求めて泣き叫ぶ幼な子の声が 

見えますか

菊の紋章をつけた兵士たちが恐怖に震える乙女らの胸に銃剣を突きつけ衣服を剥がしているありさまが感じますか 

焼き討ちにあった村々の子どもたちが

煙火の中で炎を吸い込み

のたうちまわる苦しみを

また、故郷の家の鍵を握りしめたまま眠りについた全ての命の箇所では、かつて日本が起した侵略戦争によって、軍民合わせて二千万に及ぶアジアの人々が犠牲になり、少なくとも数百万に及ぶアジアの民衆が難民となったことが頭をよぎりました。二千万、そして数百万、想像すら出来ない途方もない数字です。

私たちはそのような歴史を担っています。

だからこそ、立ち上がり、声を上げるのです。

二度と同じ過ちを繰り返さないために、繰り返させないために、自分も、そして他の全ての人々にもです。

司会者に読んでいただいた「善いサマリア人の話し」ですが、この話しの中で最も重要な御言葉はただ一つです。最後の37節、「行って、あなたも同じようにしなさい」。

この8月、私たちは79 年目の敗戦記念日を迎え、広島、長崎を覚えました。

広島の平和記念館に行かれたことがあると思います。

長崎の原爆資料館を訪れたことがあると思います。

私たちはアジアに対しては加害者として、また被爆については被害者としての歴史から免れることは出来ません。この歴史の上にしっかりと自分の立ち位置を定め、ここからどこに向かって、どのように出発するかが問われるのです。

「ソムード」の若者たちは、「私は、パレスチナの占領を終わらせた世界に、必ず生きて辿り着く。誰一人として抑圧のなかに取り残されない世界を遥かに望んで倦む日も疲れる日も歩み続ける」ことを宣言しました。

心を打つ宣言です。

同時に、その真実な歩みは、私たちが生きているこの日本の社会を少しでも変える力を育みます。私が知る一人の若い友人は、幼い子を育てながら、ミャンマーで民主化のために闘う友を支え、苦しむ人々を支え、たった一人での支援活動を何年も何年も続けています。

パレスチナの問題を契機に、「ソムードの集い」の若者たちが生まれました。

ミャンマー、そしてパレスチナ。

彼らが世界と出会っているこの時こそ尊く、その歩みがさらに力を増すことを祈ります。さらに世界の紛争の地にある人々を覚え、祈り続けたいと思います。

最後に、ボンヘッファー(Bonhoeffer)の次の言葉をもって今日のメッセージを終わります。

「教会は、他のための存在である時にのみ教会である。」

「教会の言葉は、概念によらず、『模範』によって、重みと力を得る。」

祈りましょう。

(日本基督教団 小高伝道所・浪江伝道所牧師)