責任ある応答の道 飯島 信
〝小さな群れよ、恐れるな。あなたがたの父は喜んで神の国をくださる。〟
(ルカによる福音書12章32節)
創立98年を迎え、間もなく100年になろうとしている基督教共助会の歴史は、単に時間の経過を意味する歴史ではない。世に在るキリストの体なる教会が、神様から託された使命を欠けることなく担い得る教会となるその時まで、共助会の歴史は刻まれて行く。使命とは何か。福音伝道の業である。キリストの他自由独立の、主に在る友情の交わりの内に、この福音伝道の業を担う福音的人格を生み出し、その働きをもって教会に仕えることにこそ、共助会の命がある。この小さき群れの拠って立つ信仰は何か。キリストの十字架による贖いと復活である。
ところで、創立100年に向けてのこれからの3年間、共助会が歩み来ったその道で、意図するしないにかかわらず10分に省みることのなかった事柄を、今1度見つめ直したいと私は思う。
例えば、創立98年の今年はハンセン病と宗教者の関わりの問題である。創立99年を迎える来年は熱河宣教のこと、そして創立100年となる再来年は「みくに運動」を考える。
何故なら、それぞれの取り組みが共助会に生きた人々によって担われた実践であるからこそ、世の問いかけに対する私たちの責任ある応答を試みたいと思うからである。
しかし、その応答を準備する心の裡に、すでに凛として語りかけて来る先達の言葉と文章がある。「伝道は天国の業なり」(澤崎堅造)であり、「夕映えの美しさを思う―長島聖書学舎第3回生卒業式に出席して」(奥田成孝)である。伝道に命を賭けた先達らの祈りを己の祈りとしつつ、新たなる決意をもって、責任ある応答の道を歩み進みたい。