巻頭言

北東北・鷹巣へ遣わされて 佐伯 勲

佐伯勲と申します。簡単な自己紹介です。「1951年富山県立山町に生まれる。富山大学教育学部を卒業後、京都の仏教系の私立大谷中・高等学校で20年間数学教師として働く。大谷高校で小笠原亮一牧師と出会い」、実は、教師試験で大阪八尾の同和校(被差別部落にある公立中学校)に赴任することが内定したのですが、大学の指導教官から、部落問題について何も知らない者が行っても困難だろうからやめておけと言われ、ちょうどその時、京都の私立中学からの誘いがあったので、私立学校であればそういう問題はないだろうからと言われてそれに従いました。結果的に部落差別に加担したわけです。担任をもって驚きました。私学に入学してくる子の多くは、地域にある同和校を避けて私学に越境して来ていたのです。そうしますと、一つのクラスの中に、部落出身の生徒、部落を避けて来た生徒、そして、同和校を避けて来た私がいるのです。そのことを指摘してくださったのが小笠原亮一先生でした。先生は当時、大谷で数学(社会)を教えておられました。びっくりしたのは、先生は朝、学校に来て洗面所で顔を洗い、歯を磨いておられました。それは、先生は京都駅近くの被差別部落の共同アパートに住んでおられ、アパートは共同の洗面所、トイレであったので、順番を待っていると遅刻するからでした。学校が終わってから、もう一人の同僚の先生と三人で部落差別、在日韓国・朝鮮人に関わる問題等話し合いました。部落問題を避けた私が、部落問題と向き合うことになったのです。その後、先生は大谷を辞められ、北白川教会の牧師となられました。先生に感謝すべきことはたくさんあります。一つ紹介します。大谷で先生に出会い、その後、先生が牧師になられてからも、ただの一度も「教会に来てみませんか」とか「洗礼を受けてみては」とか、教会に関わることは一切話されませんでした。もちろん、順夫人共々祈っておられたでしょう。しかし、直接には言われませんでした。さらに、先生が「北国の伝道」に行くにあたり、次の牧師をどうするのか、招聘委員会が持たれ、そこで私の名前が出たとき猛反対されました。「佐伯がかわいそうだから」というのが理由です。どんなに牧師の仕事が大変かを知っておられたからでした。でも、受洗することも、牧師になることもわたしが決めました。ある意味、先生に逆らいましたが、それは、神様からの召しを確信したからです。でないとこんなことやってられません。鷹巣に遣わされたことも!

(日本基督教団 鷹巣教会牧師)