李相勁牧師 就任式 祝辞 飯島信

■日 時:2021年10月10日(日)

■場 所:在日大韓基督教会 川崎教会

李 相勁(イサンキョン)先生、川崎教会の皆様、

李 相勁先生の牧師就任、おめでとうございます。

基督教共助会を代表して一言祝辞を述べさせていただきます。

初めに、私ごとですが、この場に立つと懐かしさが込み上げてきます。70年代の学生運動によって日本の教会を去った後、私が辿り着いたのはこの川崎教会でした。そして、私の疲れ果て、傷ついた心は、この教会の若い仲間やオモニ、アボジたちによって慰められ、癒やされました。そのような思い出がよみがえります。

ところで、李 相勁牧師を貫いているのは、稀に見るキリストに従う素直さです。1990年に来日するきっかけとなったのは、韓国で彼の教会生活を導いた牧師先生が、日本での宣教の使命を覚えてのことが始まりでした。相勁氏は、その先生の働きを助けたい、ただその思いで後を追うように日本にやって来ます。そして、今度はご自分に召命の時が訪れ、関西聖書神学校、同志社大学での学びを終え、京都東山伝道所から始まり、川西教会、三次教会、福知山教会を経て、川崎教会へと導かれました。

このような相勁氏の宣教の礎にあるのは、弱く小さくされた人々と共に生きることです。在日同胞が、苦難の歴史の中で信仰共同体を形成し、福音によって励まされながら苦難を乗り越え、共に生きる社会を目指して歩み続けていること、教団京都教区と韓国基督教長老会大田老会との宣教協議会での働きを通し、韓日の和解の架け橋となることの大切さなどを、身をもって知らされて来られました。

この川崎の地において、これまでの学びがさらに深く耕され、在日と韓日キリスト者との関わりの中で豊かな実を結ぶことを願ってやみません。

次に、改めて私にとっての川崎教会ですが、やはり李 仁夏先生の存在と切り離して考えることは出来ません。李 仁夏先生の存在とは、この教会を設立するにあたって先生の祈りです。遠い昔の話しになりますが、1965年、李 仁夏牧師は、韓国基督教長老会第50回総会に、日本基督教団議長の通訳としての働きをも兼ねて韓国を訪れます。しかし、韓日条約が、韓国での強い反対を押し切って締結された後の総会議場では、日本を代表して訪れた教団議長の挨拶を受け入れるか否かで激論が戦わされ、代表団は議場に入れず、それは3時間にも及びました。結果として挨拶は許されたものの、大村 勇議長は、議員たちの厳しい視線にさらされました。日本基督教団としての36年にわたる朝鮮植民地支配への謝罪が未だになされていないことが問われたのです。

私は、この時、大村氏の通訳として同じ壇上に立っていた李仁夏(イインハ)牧師の思いを考えるのです。戦時下、通っていた崇スンシル実中学校が神社参拝に反対したことを理由として閉鎖され、京都の東寺中学校への留学を余儀なくされた先生は、解放後も日本に止(とど)まる道を選びました。韓日の和解の架け橋となるためです。

しかし、真の和解を実現するために求められるのは、母国を愛するだけではありません。抑圧者として在り続けた日本をも愛することです。

厳しい視線を浴び続ける大村議長の感じた苦しさは、私は、李仁夏牧師も感じていたと思います。大村氏が語る謝罪の言葉に込められた懸命な思いは、通訳をする李 仁夏先生にとっても懸命な思いであったと思うのです。

そして、教団は、それから2年後の1967年、敗戦後22年という長きを経て、戦争責任告白を発表し、その後に行われた同じ基督教長老会の総会を訪れた鈴木正久議長は、前回とは打って変わって万雷の拍手で迎えられ、挨拶を終えた後も拍手は鳴り止みませんでした。

韓日のキリスト者の交流の道が再び開かれる契機となったこの戦責告白ですが、私は、先の大村 勇議長の苦悩と、その苦しさを共に分かち合った李 仁夏牧師の経験があったからこそ、教団は告白にまで導かれたのだと思います。

今日、李 相勁先生は、李 仁夏牧師と同じ地平に立たれたと思います。川崎教会が神様から与えられた韓日の和解の使命を負うことにおいてです。それは、時には日本社会への厳しい戦いをも意味します。ヘイトスピーチに代表される共生に敵対する悪しき力との戦いです。

しかし、青丘社やそれを支える川崎教会の働きを通して切り拓かれたこの戦いには、希望があります。戦いの根底に、抑圧・差別する側に対する憎しみではなく、日本及び日本人に対する囚われからの解放と和解への呼びかけが生き続けているからです。

李 仁夏牧師のように、在日の同胞と共に、この日本を、日本人を愛せるでしょうか。

苦悩を抱えながら、それでも神様によって愛されているとの確信をもって歩めるでしょうか。

李 相勁先生には、李 仁夏牧師の使命と祈りを継承し、青丘社の働きを覚え、川崎教会の皆様に支えられ、励まされつつ、歩み続けて欲しいと思います。

有り難うございました。    

(日本基督教団 立川教会牧師)