この最も困難な時代に、しかし成し遂げねばならない課題 朴大信
Ⅰ はじめに ~ 自分らしく生きる
今年の修養会がここ塩尻の地で開かれることを、私は大変嬉しく思っていました。と申しますのも、この同じ塩尻市内の片丘という所に、共助会員だった島崎光正さん(1919-2000) の生家があるからです。重要文化財にも指定されています。
島崎さんは優れた信仰の詩人であり、人の心を深く打つ数々の詩集を残しています。そして私が現在お仕えしている松本東教会の会員でもありました。その島崎さんにとって、生涯忘れ得ぬ恩師との出会いがあります。師の名は手塚縫蔵。松本東教会の創設者(信徒伝道者)です。しかし二人が最初に出会ったのは教会ではなく、学校でした。島崎少年が小学2年の時、当時通っていた学校に赴任してきた校長が手塚先生だったのです。そして着任挨拶の中で述べられた次の言葉が、幼い島崎さんの心を捕え、その後の人生を明るく方向付けるきっかけになったと言います。「人間はらしく生きることが大事です。松は松らしく、竹は竹らしく、梅は梅らしく……」。あらゆる存在を、そのままに肯定する真実からの語りかけでした。二分脊椎という生まれつきの病のために下半身が不自由だった島崎さんにとって、他の誰でもない自分自身を生きるという道が示されたことは、一面ではなお避け難い試練や重荷であったでしょう。しかし同時に、様々な呪縛から解き放たれてゆく救い、そして己自身との和解ともなったに違いありません。「光正は光正らしく」。人は、神に造られたままに自分らしく生き抜くところでこそ真の人となる、ということのかけがえのなさを、島崎さんは生涯を通じて祈り求め、確信し、訴え続けました。そしてこの恩師に導かれて、28歳の時に洗礼を受けます(植村 環牧師より)。
ここで一つ、彼の短い詩をご紹介します。
6月1日
カーテンの陰から
斜めの
垂直に
庭から
小鳥が飛び立つ
天に
磁石があるかのように
わが
こころよ
こころよ。
陽の当たらない陰から、空高く飛び立つ小鳥。その小さな命の旅路は、斜めではあっても、天に対しては実に真っすぐで、愚直とも言えるほどです。それはまるで、磁石に吸い付けられるように天に一点集中して向かう、崇高な姿だったのでしょう。そこにある種の憧憬の念を禁じ得なかったのでしょうか、島崎さんは自らにも呼びかけ、鼓舞するように、「わが こころよ こころよ」と、同じ天に向かって切なる思いを馳せているようです。
天を見つめ、創造主なる神に真実に向き合うことは、決して現実離れすることではないと思います。むしろ現実のあまりの残酷さや矛盾、そこに抗いようもなく迫る力に翻弄されて、たちは自分自身の価値やあり方さえうまく見出せず、もがき苦しんでいるのかもしれません。ならば、その自分自身のありか、自分らしく生きるための根源をもう一度天を仰ぎつつ求め、神に命の息吹を吹き込んで頂く中でこそ、自らの真の人間性が回復されることを願わずにはおられません。
Ⅱ 「問う」ことをやめない
折しも、今回の修養会の開催主旨文には次のように書かれています。「激しい憎しみが渦巻いている。……事は戦いだけではない。地球全体から見れば、貧困、気候変動、人種間差別、性的マイノリティーなどの問題によって、人と人との繋がりが断ち切られ、私たちは共に進むべき道、語るべき言葉を見出せないでいる。しかし、このような現実を前にして、ただ嘆くだけであってはならないと思う。困難であればあるほど、避けたいと思えば思うほど、生起した問題に分け入り、その根源を探り、己に出来ることを探し求めて、祈り、行動したいと願うのである」(『共助』2024年第4号、32頁、傍線筆者)。
私たちが直面する現実世界には、問題が山積みです。一日も早い解決と平和を求めて、今なお地上の至る所で呻きの声が上げられています。しかし、自分に出来ることはやはり限られる。対処するにも明確な羅針盤がない。それでも、0か100ではなく、「己に出来ること」を何より探し求め、祈り、行動することの大切さを教えられます。
己に出来ること。それは必ずしも能力の問題だけではないはずです。その問題に対する自分の生き方や誠実な向き合い方も問われるに違いありません。誰かの真似ではなく、誰かに強制されるのでもなく、やはりそこでも、自分自身が神の御前で、神に造られた者として、神に見つめられている真実の中で、いかに「自分らしく生きる」ことができるか。その事が究極的には問われていると思うのです。
とはいえ、深淵なる闇に覆われ、解決の糸口も出口も見えにくい混沌のただ中で私たちが見出すものとは、「自分らしさ」とは程遠い、まことに暗澹たる虚しい現実ばかりかもしれません。むしろ解決の見えない問いばかりが四方八方に立ち塞がり、「主よ、なぜですか?」との悲嘆や憎悪だけが渦巻く現実の方が、圧倒的に支配的であるのかもしれません。一筋の光すら届かないどん底で、どうすれば希望を紡げるのでしょうか。いかにして、なおそこで「自分らしく」あり続けることができるのでしょうか。
先の修養会主旨文が掲載された同じ『共助』誌で、巻頭言を執筆された小友 聡先生は、「『なぜ』と問うことを止めずに生きる」と題して、以下のように示唆深く語られました。「希望という言葉は、今、誰もがあえぎ求めている、切実な言葉だと思います。ジェノサイドと言うべきイスラエルによるガザ侵攻、ロシアのウクライナ侵略戦争……おびただしい弱者たちの酷い死と、その家族の慟哭に黙するしかないやりきれなさ。絶望としか言いようのない現在の世界のありように、「希望」を見出せません。夢を語れない時代になりました。
若松英輔さんがこういう詩を書いています。『夢を語るな もっと現実的になれ どうしてそんなことを 言うんですか かなえられなくても わずかな希望があるから どうにか今日を生きていける それが現実なのに 迷いながら 小さな夢がともした ひとすじの光を たよりにして 生きている それが わたしたちの ほんとうの 現実なのでは ありませんか」(『ことばのきせき』亜紀書房、2024年)。…以下中略…
酷い絶望的な世界の現実の前で、「なぜ」と問うても、何一つ答えることはできません。けれども、「なぜ」と問うことを止めずに生きようと思います。「現実的になる」とは、「なぜ」と問うことを止めてしまうことだからです。キリストという
「わずかな希望があるから、どうにか今日を生きていける」。この若松さんの詩にたじろがぬ希望を教わりました。
問うことを止めるとき、人は人であることを止める。私はそうまで教えられているような気がします。抗うことを諦め、思考停止に陥るとき、私たちはそこに起きている不条理な現実に目を閉ざすか、ただそれを甘んじて追認するだけになるでしょう。極度な絶望からは免れるかもしれませんが、将来へのかすかな希望を膨らませることすらもない。ついには夢を語らなくなり、「現実的になる」のです。
しかし若松さんも語られるように、迷い、疑いつつも、一筋の光を頼りにしながら、どうにか生きている(いける)ことそれ自体が、私たちが知るべき本当の現実ではなかろうか、との鋭い投げかけには目が開かれます。ここで問われているのは、むしろ〝徹底した現実感覚〟ではないでしょうか。肉眼で捉えている現実のただ中に、もう一つの、否、最も確かな仕方で、そこで生起している現実を見抜く力、と言い換えても良いかもしれません。
思うに、「なぜ」と問うことは、過去に対して目を向けた原因追究であると同時に、未来に向かって何らか新しい(隠された)意味を見出そうとする、希望の裏返しとも言えないでしょうか。因果関係を徹底的に突き止めようとする「なぜ」の極みの向こう側に、「何か(誰か)のために」という未来目的に関わるもう一つの地平が現実として広がっていると信じることは、単なる絵空事でしょうか。
「問うことを止めるとき、人は人であることを止める」と先ほど申しました。人は問うべきである、と言いたいのではありません。むしろ、遠慮することなく、押し留めることなく、人は問うて良いのだ、ということです。あるいは、問わずにはいられない存在だと言ってよいかもしれません。ならば、逆に私たちは、とことん徹底的に問うているだろうか? 最初からどこか諦めてはいないだろうか? 本当の答えを知ること・真実が明らかにされることを秘かに恐れてはいないだろうか?
Ⅲ 問いを祈りに、そして問われる者へ
宗教改革者J・カルヴァンが、およそ次のようなことを言っています。祈りとは、神との対話であると。独り言ではなく、真実の自分と真実の神との語り合いだというのです。「真実の自分」とは、飾り立てのない、全てをさらけ出した剝き出しの自分ということでしょう。不条理さのただ中で、耐え難き苦しみに押し潰されそうになりながら、不平不満を爆発させ、時折嗚咽さえ轟かせて、真実を求めて問わずにはいられない自分も、ここに含まれるに違いありません。その時、「神は我々の心をご自身の前に注ぎ出すのを待っておられる」。「自由に感情を注ぎ出し、悲しみも不安もみんな神の胸の中に注ぎ出して良いのだ」(『祈りについて-神との対話』)。
答えを探し、真実を求め、魂の底から救いを渇望する時、そこで私たち自身の存在が、既にまるごと神に差し向けられた〝祈り〟になっているということ。あるいは、そうした人の切なる飢え渇きを祈りとして聞き入れる神が、そこに確かに臨在しているということ。このように、徹底した問いを内包する祈りを通じて私たちが神と出会う時、ではその神はいったいどんな姿で自らを現わし、私たちに迫って来るでしょうか。
一つの手がかりはヨブ記です。「ヨブは主に答えて言った。あなたは全能であり御旨の成就を妨げることはできないと悟りました。『これは何者か。知識もないのに 神の経綸を隠そうとするとは。』そのとおりです。わたしには理解できず、わたしの知識を超えた驚くべき御業をあげつらっておりました。
『聞け、わたしが話す。お前に尋ねる、わたしに答えてみよ。』
あなたのことを、耳にしてはおりました。しかし今、この目であなたを仰ぎ見ます。それゆえ、わたしは塵と灰の上に伏し 自分を退け、悔い改めます」(ヨブ記42:1~6)。そしてもう一つ参照したいのは詩編です。「主の成し遂げられることを仰ぎ見よう。主はこの地を圧倒される。地の果てまで、戦いを断ち
弓を砕き槍を折り、盾を焼き払われる。『力を捨てよ、知れわたしは神。国々にあがめられ、この地であがめられる』」(詩編46:9~11)。
ここには不条理な現実を問い、神に抵抗しながら食いつき、しかしやがては神の前に降参する他ない、人間と神との生々しい関係の現実が描かれています。しかしこれは単に人間が敗北し、退散し、現状が悪化の一途を辿るという筋書きではありません。ヨブにしても詩人にしても、彼らが口にした言葉は、悔い改めに裏打ちされた神讃美と信仰告白です。対話という祈りの中で、問う者から問われる者へと立場が反転し、語る者から聴く者へと変えられる処でこそ主題化される、神の御業。この、神自身が成し遂げようとする御業こそ、私たちを真の人間たらしめ、苦難と罪から救い出す救済の出来事に他なりません。私たちの究極の課題は、まさに神の御業こそを仰ぎ、その実現のために遜(へりく)だることではないでしょうか。
Ⅳ おわりに~赦しと和解に生きる
『共助』誌の「主の祈り」の連載を終え、改めてこの祈りからの問いかけの前に立たされている気がしています。これを今なお祈り続け、新しく祈り直す意義はどこにあるでしょうか。特に「我らに罪をおかす者を我らが赦すごとく、我らの罪をも赦したまえ」の一句に少なからぬ躓きを覚えるとしたら……。
そこで最後に、このことに触れて一人の証しを紹介したいと思います。私が牧する教会の20歳の女子大学生です。彼女は長い間、自分のことが好きになれなかったと言います。不遇な家庭環境で育ったことも一因でした。将来何をしたいという夢もない。生きていても、生きた心地がしない。むしろこのまま明日が来なければいいのに……。寝る前にはそんな願いすら募らせる日々でした。「人生80年だとしたら、自分はあと60年も生きなければならない。キリスト教では『永遠の命』が福音として語られるけれど、もし自分にそんな命が与えられたら、それは永遠の地獄に他ならない」。
他方で、幼い頃から母に連れられて通い続けた教会では、「そろそろ洗礼はどう?」と聞かれるようにもなる。有難いとは思う。でもそう聞かれるのが辛く、恐かった。自分の中に答えがないからです。次第に教会に足を運ぶことも億劫となりました。
ところがつい数か月前、そんな彼女が、思いがけず私にこう言って来たのです。「先生、私、洗礼を受けます」。ただただ、驚きでした。心の中で唸りました。人はこんなにも変われるものかと! どんなに自分を変えようと奮闘しても、人はその根っこからは簡単に変われません。受けてきた傷、負っている重荷が深刻であるほど……。決して口数の多い方ではない彼女ですが、静かに語り出す言葉の一つ一つは、真実そのものでした。そして洗礼の決意に至った理由をこう話してくれました。
「もう逃げられなくなったから」。しかし一呼吸おいて、次の言葉を嚙みしめるように重ねました。「もう、逃げなくても良いことが分かったから」。
この一言が全てを物語っていました。これまで自分の命の虚しさに苦しみ、かといって死にきれず、得体の知れない力に怯えては、どこか宛のない安住を求めて逃げ回るしかなかった人生。しかしついに、逃れようもなく捕えられてしまったその窮地は、死の崖っぷちどころか、全き平安に満ち溢れる地上の楽園だったのです。ここに安心できる居場所があった。ここにこそ、出会うべき本当の己の姿があり、生きるべき命がある。担うべき使命がある。まだ生きていてよい。否、もっと生きなきゃならない。生きることを諦めていた自分はなんと愚かで、独りよがりな、神を悲しませて来た罪人であったことか。生きてゆきたい。もう独りではない。最後に彼女は言いました。「人生、あともう60年しかない!」。
失われた一匹の羊が、ついに飼い主に見出された光景を思い浮かべました。そして神の赦しの恵みの中で輝く彼女は、もう新しい一歩を踏み出していました。愛を携えて。
「だから、言っておく。この人が多くの罪を赦されたことは、わたしに示した愛の大きさで分かる。赦されることの少ない者は、愛することも少ない」(ルカ7:47)。
*本稿は、実際の講演内容を、紙幅の都合上、省略・修正したものです。
(日本基督教団 松本東教会牧師)