共にうめく 荒川朋子
【共助会夏期修養会 開会礼拝】
ローマ人への手紙8:18―23
アジア学院は栃木県那須塩原市にある国際人材育成機関です。いわゆる開発途上国の農村地域で、貧困、食糧難、紛争、環境破壊、人権のはく奪など、人々が人間らしい生活を送る上で障害となる諸問題に取り組んでいる農村リーダーを学生として毎年約25~30名招いて指導者研修を行っています。今回の修養会のテーマである「赦しと和解」について、アジア学院で生活し働く中で私が思い浮かべることが3つあります。
1アジア学院の設立の背景、モットー「共に生きるために」
アジア学院の設立の背景にはアジア諸国との和解の願いがあります。第二次世界大戦後、日本の侵略と植民地支配の結果、貧困と飢餓にあえぐアジアの諸国の農村地域の再建を担う農村牧師・信徒の養成をアジアの諸教会から要請された日本のキリスト教会は、1960年、東京町田市の日本基督教団農村伝道神学校内に東南アジア農村指導者養成研修所を開設しました。この研修所から出発したアジア学院は、第二次世界大戦中に日本が犯した罪の贖罪のために生まれたと言っても過言ではありません。
戦争という暴力の結果生まれたアジア学院は、今日でもその歴史の重荷を感じています。これまでアジア学院に来た学生の多くは、日本に侵略され占領された国々の出身者であり、特に創設期は韓国、台湾から、その後もマレーシア、フィリピン、インドネシアなどから多く来ています。また過去だけでなく、壮絶な戦いの過去を背負い、今現在も癒しと和解を必要とする国々、現在紛争状態にある国々、例えばミャンマー、カメルーン、コンゴ民主共和国、リベリア、シエラレオネなどの出身者たちが多くいます。またフィリピンの先住民族やインド北東部のナガランド州やマニプール州の少数民族など、長く他民族や政府と緊張状態にある民族や特定のグループの出身者も多くやって来ます。
こうした複雑な背景を持つ学生たちと平和で調和した生活を追求する私たちのモットーは「共に生きるために」です。アジア学院コミュニティでは対立や衝突、感情のぶつかり合いは日常生活の一部です。コミュニティがこれらの状況に健全な方法で対処することを学ぶことができるよう、研修は最初から意図的に多大な努力と忍耐を必要とするようにデザインされています。そして「共に生きるために」というモットーは、私たちがどんな難しい問題に直面しようとも、あきらめないで平和と調和を目指していく姿勢とスキルを身に着けていくのに非常に役立っています。
このような環境で生活する私たちをさらに強く結びつけるのが「FOODLIFE」です。FOODLIFE とはFood とLife を一語にしたアジア学院の造語で、食といのちは切り離すことができず、それぞれが双方に依存しているという事実と概念を表しています。FOODLIFE はアジア学院における中心的な概念で、食べるための活動、つまり食料の生産、保存、加工、調理、そして食事を含んでいます。アジア学院ではすべてのメンバーはFOODLIFE に携わります。
このFOODLIFE の作業は、コミュニティで人間関係が傷ついた時にそれを修復してくれる重要な役割を果たします。私たちはどんなことがあっても、自分だけでなく他のメンバーのために、雨の日も、暑い夏も、凍える冬も、力を合わせて自然と協働して、食べるためのFOODLIFE の作業を共にします。それが私たちの中にいつしか、言葉を超えて互いを敬い、愛し、赦し、和解を望む心を育んでいってくれるような気がいたします。
2 和解のミニストリー
アジア学院の創設者の高見敏弘牧師は、アジア学院は「和解のミニストリー」に従事しているとし、それを次のように説明しました。
「(世界の)このような状況が必要としているのは、食べ物を生産する農民が物事をあるべき姿に修正する仕事 ― 我々のいう和解のミニストリーです。私たち(農民)は自分たちの食べ物だけでなく、他の人々のためにも食べ物を作っていかねばなりません。私たちは人間としてこの地球上のすべての生の営みに参与する権利を求めます。しかし私たちが望むのは独占的な力を手中に収めることではありません。私たちが求めるのは神の創造の業と、悲痛のうちにねじ曲がってしまた世界とのラディカルな和解のミニストリーに参加する力、いのちを分かち合う力です。これがアジア学院が従事する和解のミニストリーなのです。」(原文英語 日本語訳著者)
ここで高見が言おうとしていることは、神の意と反して「悲痛のうちにねじ曲がってしまった世界」との和解を推し進め、物事をあるべき姿に修正、修復していくという重要な務めを行うのは世界のトップリーダーたちではなく、社会の底辺で汗だくで、泥だらけで肉体を酷使して食べものを作る農民だということです。そして、社会の底辺にいる農民と共にあり、共に歩もうとするアジア学院は、そのことをよく理解し、その任務を農民と共に遂行していかねばならない、ということだと思うのです。
また高見はこの和解のミニストリーはラディカル(革新的)だと言っています。それは、普通に考えれば農民が主体となって世界を変える任務を持つなど想像もできないことだからです。特にアジア学院が対象とする開発途上国では、農民は社会で最も貧しく、教養がなく、虐げられた人々です。しかし高見は、最も低い者が最も崇高な目的のために自ら働くことができる、そうあるべきだと訴えます。イエスが世の名誉や富の一切を求めず、最も貧しい人々の友となり、人々のために命を捧げ、そのことで神との和解を果たそうとされた姿と重なります。和解を可能にするサーバント・リーダー(人々に仕える指導者)に最もふさわしい人とは、誰にも顧みられない、すべての人のいのちを支える農民だと言うわけです。
さらにその和解の務めは力で強行するのではなく、「生の営み、いのちを分かち合うことに参与する」方法で行うのだと言っています。未来においても食べ物を作り続けら
れる持続可能な農業を行い、未来の人々ともいのちを分かち合い、共に生きることの実践を行うこともラディカルな和解の務めだと言うわけです。
アジア学院ではこのように、逆説的でラディカルな和解のミニストリーに携わっているという実感が日々あります。またこれが私をアジア学院に惹きつけてやまないことでもあります。
3 「土からの平和」
「土からの平和」とはいのちを育む土を愛し、神様が創った他のあらゆるものと共に生きようと努力することで平和を築こうとする考え、アプローチ、また生き方ですが、これは昨年アジア学院が創立50周年を迎えた機会に、改めて重要なこととして認識されました。
「土を耕す」ことは、創世記2章15節にあるように、神が人間に与えた最初の仕事です。私たちは神の被造物の管理者として、生命の源である土を耕し、忍耐強く守る責務を与えられました。しかし人間はその責務を怠り、環境を破壊し続け、すべての生命の存在を脅かし、その結果さまざまな問題が生じています。気候変動が私たちの日常生活を脅かし、生態系の不均衡から新種のウイルスが発生し、制御不能に近い状態になっていることは、私たちがいかに無責任に地球上の生とかけ離れた生活を築いてきたかを証明しています。生の営みからかけ離れた生活、産業、社会のシステムは、人間だけでなく他の生き物をも苦しめています。
アジア学院はこのことの反省の上に立って、有機農業を選び取っています。有機とは「生命力を有すること」という意味です。土を愛し、大切にし、育み、守り、神が創造された大地の状態をできる限り破壊しないように努める農法です。土と人間との関係を回復し、その関係をさらに豊かにすることを願って行う農業、「土からの平和」につながっていく農の形です。アジア学院が長年親交を続けている北海道のメノナイト派の有機農家で、レイモンド・エップ、荒谷明子ご夫妻はこのように言っています。
わたしたちは平和な社会の土台は土であると確信しています。土の観察を続けていくと、神によって創造されたのちの世界は競争でも奪い合いでもなく、自らを差し出し分かち合う非暴力の世界であることがわかります。イエスが自らのいのちさえ差し出して敵を愛することを説いた姿を想い起こしながら、神の国は今ここに存在していることをただ信じて、土に生きる道を模索しています。(『福音と世界』2022年10月号15頁)
神様はまず平和の土台としての非暴力の土をお作りになり、その上に私たち人間をお作りになりました。そして、その土を正しく管理せよ、さすれば私たちに平和を与えてくださると約束してくださっていると信じます。
今、世界中で争いや暴力が渦巻いている時、「土からの平和」が私たちが意図した以上に求められていると強く感じています。多くの問題を抱え、深い傷を負ってやってくるアジア学院の学生たちが意欲的に、また直感的に「土からの平和」の実践者になろうと努めている姿から、そのことがよくわかります。そしてその姿は、「共に生きる」ことは「共にうめく」ことだということを教えてくれます。しかし、それは失意の中に留まるうめきではありません。生きることにおいて私たちには多くの悲しみや苦しみを経験しますが、それは、その滅びへの隷属から解放される日、体の贖われること、つまり、赦しと和解の奇跡を待ち望みながらのうめきであります。現に、私たちの日々の歩みは、奇跡のような赦しと和解に満ちています。目に見えないものを望む私たちの目には、希望と奇跡があちこちに示されています。アジア学院の50年の歩みもそれを証しています。
この夏期信仰修養会の3日間、私は私がアジア学院で経験するように、奇跡を待ち望みながら皆さんと共にうめき、赦しと和解の証を存分に浴びて、希望の光をさらに強く感じていきたい、そう願い祈っています。
(アジア学院校長 日本基督教団 西那須野教会員)