ひろば

共助会に入会して  菅山 あつみ

今年の共助会夏期信仰修養会3日目の閉会礼拝にて、飯島信さん、木村(加藤)葉子さんの推薦のもと、共助会に入会しました。今年3月に宮城県の立高校の英語教員の職を辞し、その後は教会で奉仕したり、植物を育てたりする時間を持つことができるようになりました。とくに長年思い描いていたパイプオルガン演奏の勉強に本腰を入れることができるようになり嬉しく思っています。

通信手段が発達した現代では、新聞・雑誌以外にインターネットを通して手軽に得られる最新の情報にいつもさらされ、変化する社会についていくために自らの更新も絶えず強いられているような息苦しさを覚えます。クリスチャンとして意識してしっかり聖書の学びを続けていないと、キリストが示す真実の言葉を忘れてしまいそうになります。毎日時間をかけて内外の経済や政治について最新の知識を仕入れても、何日後、何か月後かには情勢が違った方向に変化したり、ものごとの評価が変わったりします。自分のものの見方や捉え方の座標軸をどこにおくか、繰り返し確認し反省する時間の大切さを思います。共助誌に掲載された文章に触れることは、信仰を与えられた原点に立ち返り、キリストと共に歩む意義を再確認させてくれる大切な時であり場に他なりません。

共助会に入会を決めた契機は3つあります。まず、長野教会員だった父母が共助の誌友であったため、幼いころから本棚にずらりと並べられていた『共助』を目にしていました。また大学時代から10年間中渋谷教会に通い、共助会に属する方々の姿から様々なことを学び、島崎光正さん主催のジャコビニ読書会にも参加させていただきました。そして直接的には、小高・浪江伝道所の牧師になられた飯島信さんから誘いを受け、入会を決めました。飯島さんとは目白聖研以来何年もお会いしていませんでしたが、仙台で続けていた教員の仕事を退職する頃、飯島さんが福島の小高の伝道所に赴任されたと伺いお訪ねしました。2011年の東日本大震災によって引き起こされた東電福島第一原子力発電所の事故により20キロ圏内が2016年7月まで帰宅困難地域になったため、小高伝道所と浪江伝道所で礼拝は行われなくなっていましたが、この二つの伝道所に再び灯をともし、礼拝を守ろうと立ち上がった方々がいました。小高・浪江と言えば、補助金によって建物や設備が整えられても避難していた住民の大半が戻らないなどマイナスの情報を聞かされていた私にとって、再び地域の産業を興していこうと人々が集い、その輪の中に教会が加わっているというのは大きな希望を感じさせてくれるものでした。今私が通っている教会は、新規の入会者や若い礼拝参加者の減少といった問題をかかえています。地域に開かれた教会になるために何かをしなくては常々思っていた矢先、小高・浪江伝道所の取り組みは様々な示唆を与えてくれるものでした。

今回「赦しと和解」というテーマで行われた夏期修養会において、講演や聖書研究を通し、イスラエル・パレスチナ問題をはじめ様々なことを学びました。ことに自由時間に島崎光正さんの生家を訪問した際は、私の父母との交友が思い出され、思いがけない至福の時を過ごすことができました。仙台に帰ってから島崎さんの『星の宿り』を読み直し、この片丘の家で足が悪いためいつも長靴を履いて生活していた島崎さんが、東京で手術を受けキヌコ夫人と出会われたのも、主にある友情によるところが大きかったのではと感慨を深くしました。

私は長野で生まれ育ったため自然に囲まれていると心が落ち着きます。草木を育てる過程で、ふと神様の計らい、イエス様のまなざしを感じることがあります。例えば、以前から私は「間引き」という作業に何となく疑問を覚えていました。発芽しない種子があるのを見越して多めに種を撒くのはわかるけれど、せっかく出た芽を取ってしまうのは忍びない、初めから間隔をあけて撒けばいいのではないか、と。しかし、間引きを見越してたくさんの種を撒くのには別の意義があったのです。それは、土の中の種から芽が出てそれが地上に出てくるというのは、小さな一つの種だけでできることではなく、多くの種が一斉に発芽して一緒に重い土を押し上げることで初めて可能になるということでした。種の中には、地上に出た後大きく双葉を広げるものもあれば、弱々しく立つしかないものもあるでしょう。でも、芽を地上に押し出すときは、すべての種が協力して土を持ち上げる。そして地上に出た後、何本かの芽は取り去られる……。こんな植物の在り方に、神の摂理、また、あらゆるものを見守っているイエス様のまなざしを感じます。

共助会でいろいろな方と直接お話しながら励ましを得、今後の人生を歩んでいくことができればと思っていますので、どうぞよろしくお願いいたします。(日本キリスト教会 仙台黒松教会員)