自民党憲法改正草案について〜 植竹 和弘

1 特徴 現行憲法の基本原則の根本的改変

現行憲法の基本原則―「国民主権」「平和主義」「基本的人権の尊重」―実は、その根本にあるのは「立憲主義」

(1)「立憲主義」とは

民主主義国家では国民の多数意思に従って政治的なものごとが決められていく。選挙で多数を占めた政党が国会の多数派となって立法権を担い、そこで内閣総理大臣も選ばれる。

内閣総理大臣は国務大臣を選んで内閣を組織し、これが行政権を行使する。内閣は裁判官を選び、裁判所が司法権を行使する。つまり、国会、内閣、裁判所という権力の担い手は、国民の多数意思を反映している。

では、多数意思は常に正しいか。

その時々の多数意思が過ちを犯すことは歴史の示すところ(ナポレオン帝政、ナチスドイツ、国民の多数が熱狂的に戦争を支持した戦前の日本等)である。不正確な情報に踊らされ、ムードに流され、目先のことしか見えなくなり、冷静で正しい判断ができなくなる危険性が我々の社会にはついて回る。

それを避けるために、人間の弱さに着目して、予め多数意思に基づく行動に歯止めをかけることが必要であり、その仕組みが憲法である。多数決で決めるべき事もあるけれども、多数決で決めてはいけないこともある。多数決でも変えてはならない価値を前もって憲法の中に書き込み、多数意思を反映した国家権力を制限する。これが立憲主義という法思想。すなわち、全ての人が個人として尊重されるために、憲法を最高法規として国家権力を制限し、人権保障を図るのである。

(2)自民党議員の立憲主義理解

①磯崎陽輔参議院議員(自民党憲法改正推進本部・起草委員会事務局長)

「私は、芦部信喜先生に憲法を習いましたが、そんな言葉(立憲主義)は聞いたことがありません。いつからの学説でしょうか」(ツイッターでのつぶやき)

②安倍首相は、そもそも芦部信喜を知らない(参議院予算委員会での発言)。

安倍首相は成蹊大学法学部政治学科卒業なのに、憲法の大家を知らない。

 

2 憲法改正手続:九六条

(1) 現行憲法九六条

「各議院の総議員の三分の二以上の賛成で発議」し「国民投票による過半数の賛成」

・通常の法律は「出席議員の過半数」で成立であるが、憲法は「総議員の三分の二」と決議要件を加重している。

・通常の法律には求められない厳格な改正手続きとして国民投票規定がある。その厳格な改正手続き故に、現憲法を「硬性憲法」と呼ぶ。

(2)自民党草案の改正手続

「各議院の総議員の過半数で発議」し「国民投票による過半数の賛成」として改正のハードルを下げる。

緩和の理由(自民党Q&A)

・現行規定は世界的に見ても改正しにくい憲法である。
・国民に提案される前の国会での手続をあまりに厳格にするのは、国民が憲法について意思を表明する機会を狭めることになり、主権者である国民の意思を反映しないことになってしまう。

(3)各国の憲法改正手続はどうなっているかを見る。

 

各国の主な憲法改正手続きと戦後の改正回数

国 名

主な改正手続き

戦後の改正回数

日 本

各院の2/3以上の賛成⇩国民投票(過半数の賛成)

0回

米 国

各院の2/3以上の賛成⇩3/4以上の州議会の承認

6回

フランス

各院の過半数の賛成⇩両院合同会議で3/5以上の賛成(※ほかに国民投票を経る手続きもあり)

27回

ドイツ

連邦議会の2/3以上の賛成⇩連邦参議院の2/3以上の賛成

59回

イタリア

各院の過半数賛成⇩(3カ月以上経過後に)各院の2/3以上の賛成(※ほかに国民投票を経る手続きもあり)

16回

カナダ

各院の過半数の賛成⇩2/3以上の州議会の承認

19回

デンマーク

国会の過半数の賛成⇩総選挙⇩国会の過半数の賛成⇩国民投票(投票総数の過半数かつ有権者総数の4割を超える賛成)

1回

韓国

国会の2/3以上の賛成⇩国民投票(有権者の過半数の投票かつ投票総数の過半数の賛成)

9回

衆院法制局の資料などをもとに作成

(東京新聞2013年4月13日朝刊)

(4)改正手続緩和の問題点

 

①憲法改正が行われなかったのは発議要件が厳格なためではない。なぜなら、現行憲法以上に改正手続が厳格な国々でも改正はたびたび行われている。

②要件緩和の真の意図は憲法九条改正の下準備である。

③直接民主制の弊害を助長する危険がある。

現行憲法の改正規定は、間接民主制と直接民主制の相互補完の下に、少数者の人権を守ることを目指している。

間接民主制によって現れる国会の意思と、国民投票という直接民主制によって現れる国民の意思とは必ずしも同じではない。両者はどちらか一方を選べば足りるというものではなく、それぞれ特別の意義を持っている。

【間接民主制】慎重な審議、専門的、合理的な判断ができる一方、主権者の意思が反映されないおそれが生じる。

【直接民主制】主権者たる国民の意思を直接反映できる一方、ある種の政治ムードに流されるおそれが生じる。

現行規定は、少数者の人権を守るという立憲主義思想の端的な表れで、国会の過半数を獲得した政権与党だけの提案によるのでなく、野党である他党も賛同できるような合理的な内容に落ち着くまで十分な審議討論を重ね、合意を得た上で国民に提案することを予定している。

④立憲主義の趣旨を没却する。

憲法によって縛られた当事者(=国会、国会議員、内閣)が「やりたいこと」ができないから改正ルールを緩めるなどということは本末転倒である。憲法について国民に議論して貰う機会を国会や内閣が提供するという発想は、憲法制定権力の主体(=国民)を誤解している。

⑤憲法の安定性を阻害する。

憲法は最高法規であるから、時の政権、政治状況によってふらふらと揺れ動くものであってはならない。安定的に国家の基本法として機能しなければならない。これが現(硬性)憲法の趣旨である。改正要件緩和によって、国会の多数党交代の度に憲法が変えられるとなれば、憲法の安定性は失われる。

⑥憲法違反の国会は改憲を論じる資格がない。

一人一票裁判により違憲判決が相次いでいる。衆参とも違憲と判断されている今の国会の構成の下で、憲法改正を論じることはできない。

 

3 改正草案各論

(1)前文

前文は憲法の顔である。誰が何のためにこの憲法を制定したかを明示することによって、その国の基本的な在り様を示し、各条文での解釈に疑義が出た場合の解釈基準となるものであるが、自民党の改正草案前文では、以下に示す通り多くの問題点がある。

①戦争への反省、不戦の誓い、平和的生存権を削除した。

②「日本国は」からの書き出しは、国家主義の強調であり、国民主権の後退である。

③「日本が長い歴史と固有の文化を持ち、天皇を戴く国家」と規定する。これは、固有の価値観の押しつけである。それは天皇の権威を強化し、国民主権を後退させるものとなる。

近代立憲主義国家は、憲法の中に、自国を美化する歴史、文化、伝統を書き込まない。それは、価値観・評価を伴うものであるため、国民の間に対立を生じてしまうからである。

④人権より国家を尊重する。

草案二段落目の書き出しは「我が国は」となっている。現行憲法前文が全ての段落で「国民」を主語として、国民のための憲法であることを明確にしていることと大きく異なる。即ち、先の大戦を他人事のように記述し、近隣諸国やわが国の国民に甚大な被害をもたらした加害者の視点が欠けている。平和主義の浅薄さの現れである。

⑤「日本国民は、国と郷土を誇りと気概を持って自ら守り、基本的人権を尊重するとともに」

この部分では、国民に国土防衛義務を負わせ、基本的人権の尊重を、国ではなく国民に求める「おかしさ」が見られる。

⑥「和を尊び、……互いに助け合って」

ここでは、個人のモラルが問題とされる。本来、和・家族のあり方・社会の助け合いなどの是非は、自由な討論に因って検討されるべきで、最終的には個人の内心に委ねられるべき問題で、国家が介入する問題ではない。

⑦「我々は……国を成長させる」

ここも、国民よりも国家を優先させる発想が出ている。

⑧「良き伝統と我々の国家を末永く子孫に継承するため」

ここは、国民の人権保障、国民の幸せのために憲法を制定するのではなく、その目的は国家の存続にあることが端的に表れている。

(2)天皇条項

①天皇を元首と位置づけ(一条)

②国旗、国歌の尊重義務(三条)

③元号制(四条)

④公的行為の明確化(六条5項)

(3)「戦争の放棄」から「安全保障」へ

①現行九条2項を削除

②自衛権の発動(九条第2項)

近代国家は例外なく「自衛権」を有している。その中で現行憲法九条は、過去の戦争を教訓として「武装自衛権」を放棄した。自衛権の内容、行使の方法・手段について武器を使わないと明記している。いわば「非武装の自衛権」という新たな国家像を憲法で提起し、戦後世界において信頼を得てきた。

③国防軍の創設(九条の二)

緊急事態宣言とその効果(九八、九九条)は後述。

④集団的自衛権も可能にした(九条の二第3項で、国際社会の平和と安全を確保するために国際的に協調して行われる活動が……できる)。

ここで、「国際的に協調して行われる活動」といっても実態は日米同盟によるアメリカの戦争に協力することを意味している。

⑤軍法会議(九条の二第5項)

現に自衛隊にある「情報保全隊」の強化、捜査権・逮捕権。

⑥国民の領土保全義務(九条の3)

(4)国民の権利及び義務(基本的人権)

※自民党Q&A14

【Q】「日本国憲法改正草案」では、国民の権利義務について、どのような方針で規定したのですか?

【A】(前略)権利は、共同体の歴史、伝統、文化の中で徐々に生成されてきたものです。したがって、人権規定も、我が国の歴史、文化、伝統を踏まえたものであることも必要だと考えます。現行憲法の規定の中には、西欧の天賦人権説に基づいて規定されていると思われるものが散見されることから、こうした規定は改める必要があると考えました(後略)。

これに関する片山さつき参議院議員のツイッター発言(2012.12.7)

「国民が権利は天から賦与される、義務は果たさなくていいと思ってしまうような天賦人権論をとるのは止めよう、というのが私たちの基本的考え方です。国があなたに何をしてくれるか、ではなくて国を維持するには自分に何ができるか、を皆が考えるような前文にしました!」

①現行憲法九七条の削除

現行憲法一一条とは別に九七条が規定されている意味は、「人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果」である基本的人権を守るため、憲法が最高法規として、憲法により設置される諸国家機関のなしうることにタガをはめるという憲法の目的を、最高法規の実質的根拠を示す形で再び確認している。

改正草案はこの九七条を削除し、そして現行憲法とは異なって、国民に「憲法尊重義務」を負わせている。改正草案の自由や人権についてのスタンスの違いが象徴的に現れている。

②第一二条「自由及び権利には責任及び義務が伴うことを自覚し、常に公益及び公の秩序に反してはならない」

現行憲法の人権制約原理である「公共の福祉」が「公益及び公の秩序」に変更される。

【公共の福祉】人権と人権が対立する場合の調整原理。全体の利益が個人の利益を凌駕することを意味するものではない。 
【公益及び公の秩序】国家や社会の利益、秩序による制限が可能になる。

③第一三条「人として尊重される」

「個人」から「人」への意味するものは何か。

「個人」は多様で自立した存在。一人ひとりの個人が豊かな人生を送る上でも、社会や国家の発展にとっても、個人=多様性は重要な鍵である。ところが、自民党草案は「個」という多様性の重要さを軽視し、均質な「人」として尊重するにとどめる。日の丸・君が代尊重義務、国防義務など多くの義務を憲法によって国民に課し、国民に憲法を守らせようとしている。憲法改正草案は個人の人権を守るために権力を縛るための道具ではなく、国が国民を支配するための道具へ変質している。

④第一三条「国民の権利については、公益及び公の秩序に反しない限り……尊重されなければならない」

国家、社会の利益・秩序による基本的人権の制限が可能になり、国が民に与えるという明治憲法の人権保障にまで後退する。

⑤第一五条3項「日本国籍を有する成年者による普通選挙」

外国人参政権が否定される。

⑥第一九条の二「個人情報の不当取得の禁止」

情報取得の制限は民主主義を阻害する。政治家や公務員の適格性を明確に判断できなくなる危険性が増大する。

⑦第二〇条3項「社会的儀礼、習俗的行為への宗教的活動を認める」

天皇、首相、閣僚、国会議員の靖国神社参拝が可能になる。 ⑧第二一条2項の新設「公益及び公の秩序を害する表現活動、結社の禁止」

国民に対する禁止規定で、「公益を害する目的」の判断者は国家、つまり時の権力者である。彼らの恣意的な判断によって都合の悪い言論を封じ込めることが可能になる。

⑨第二四条1項「家族は、社会の自然かつ基礎的な単位として、尊重される。家族は、互いに助け合わなければならない」

社会保障よりは自助努力、社会保障を後退させる。家族に個人よりも重い価値がある、というような考えは立憲主義に反する。そもそも家族の形に国家が介入すること自体が危うい。

⑩第二八条2項「公務員の労働基本権の制約」

現在でも国家公務員法、地方公務員法で労働基本権や政治的行為が制限されているのに、なぜ、更に権利制限を憲法に明記する必要があるのか。

これは、全体の「奉仕者」の強調であり、更には国民に国家へ奉仕させる前触れではないかとも思われる。

⑪総じて現行憲法の「侵してはならない」から「保障する」という表現に換えられている。

ここには、基本的人権を国家が保障するという基本的な考えが基本にある。

(5)国家緊急権の新設(九八、九九条)

ここは、戦争や東日本大震災のような「緊急事態」の際には、内閣総理大臣が憲法を超越して何でもできるということ。

法律と同じ効力を持つ「政令」は好き勝手に制定できる。それに沿って、政敵を牢獄に放り込んだり、政府批判をする新聞社やテレビ局を閉鎖できてしまう。ナチスの全権委任法と同じできわめて危険な箇所である。        
(以上)