日本基督教団藤崎教会(秋田)工藤弘栄

藤崎教会がある南津軽郡藤崎町は、弘前市の中心部から北に約10㎞の距離に位置する人口1万4000人ほどの小さな町です。弘前市から青森市に向かう国道7号線沿いにあり、藤崎を起点に津軽平野の東西南北へ道路が放射状に延びています。また、岩木川、平川、浅瀬石川の3河川の合流地点に位置し、古くから交通の要衝(ようしょう)として栄えてきました。また、青森りんごの主力品種「ふじ」発祥の地として知られています。なお、「ふじ」の名前は、藤崎と日本一の富士山に因んでいるそうです。

藤崎教会の創立は1886年12月、この地域では弘前教会に次いで長い歴史を持ち、3年後には140年の節目を迎えます。

藤崎教会の設立と黎明期のりんご産業には密接な結びつきがあります。藤崎は藩政時代から、城下町弘前の後背地にあって、米に限らず葱や藍などの特産地として裕福な土地柄でした。藤崎の人びとは、この恵まれた立地条件を土台に、明治維新後の転換期を、りんご産業への積極的な参入によって乗り越え、今に続く青森のりんご産業の礎となりました。

藤崎教会は、このような地域の有力者が信仰を受け入れたことによって建てられました。こうした経緯もあり、地域の発展、とりわけ学校教育において、教会関係者は多大な貢献を成してきました。また、教会員から町長を輩出するなど、教会に対する町民の信頼も厚く、町内の子どもたちの多くが、日曜日になると教会学校に来ていたそうです。封建的かつ保守的、何より貧しい辺境のイメージが強い津軽地方にあって、藤崎はかなり異質な町だと感じます。

藤崎教会の礼拝堂は1925年に建てられ、間もなく献堂百周年を迎えます。数回の改修を経て、献堂当時とはだいぶ趣きが違っているようですが、観光資源に乏しいこの町にあって、赤い三角屋根に掲げられた十字架は、格好のランドマークとなっています。教会の敷地には、教会が設立に関わった幼稚園があり、人数は少ないけれども、子どもたちの元気な声で賑やかな毎日です。町の年配の方から、「自分もここの卒園生で、小学生のころは教会学校に通って、楽しかった」との声を聞くことも多いです。

藤崎教会は、町の名望家が信仰に入ったことを契機として建てられたこともあり、教会は比較的穏やかに地域に受け入れられたようです。発足当初の藤崎教会は財務面でも恵まれていたようですが、教会内での意見の相違や、国粋主義化していく世相にあって、次第に教勢の衰えを余儀なくされました。このような状況にあって、設立当初から教会の信仰的な支柱として労苦されたのが、我が国初の盲目の牧師、藤田匡先生です。藤田先生は、藤崎教会を長く牧されたほか、津軽地域一帯から秋田県北地域の伝道に携わっています。

私たち夫婦は昨年4月に藤崎教会に遣わされました。昨年に引き続き、「暖かい教会」を主題に掲げ、マタイ福音書11章28節

「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう」を、年間聖句としています。また、以下の4項目を宣教方針としています。

*イエス・キリストの父なる神は憐れみ深い方です。虐げられる者を憐れまずにはおられない愛の方です。御子イエスはその方を父と呼び、十字架の死に至るまで、父の御旨に従い抜きました。私たちは十字架と復活の御子イエスを救い主、キリストと信じます。

*教会の灯りを点し続けるために、困難な時代を耐え忍んで来られた皆様の重荷が軽くなるよう、共に支え合い、祈り合う、引き続き「暖かい教会」を主題とします。

*イエス様は私たちを愛しておられます。イエス様に倣って、私たちも互いに愛し合い、各々に与えられたタラントを、主の栄光のために用いましょう。

*礼拝に集中することを第一としましょう。祈祷会をはじめ教会の働きが豊かになりますように。また、幼稚園の子どもたちや先生方と共に歩む教会でありますように。

現在教会員は13 名、高齢者施設に入所されている方や、遠方に居住の方もおられますが、礼拝出席者数は平均で12~13名です。かつて盛んだった教会学校は現在活動休止中ですが、祈祷会は木曜日の午後、隔週で実施しており、平均出席者数は4名です。

コロナ禍がようやく落ち着き、人の往来が戻ってきました。これまで、弘前市内の東奥義塾高校と弘前学院聖愛高校では、藤崎町および近隣に居住の生徒の皆さんが、入学および卒業記念に、藤崎教会の礼拝に参加してこられましたが、コロナ禍の3年間、共に礼拝を守ることができませんでした。昨年4月に、聖愛高校の入学生5人をお迎えし、4年ぶりに入学記念礼拝を守る恵みに与りました。

7月には、インドネシアから訪問者があり、インドネシアの民族衣装バティックを着て、礼拝を守りました。皆さんは、インドネシア出身で青森での生活が25年になるペギーさんの親戚で、礼拝ではペギーさんが、説教をインドネシア語に通訳してくださいました。

8月には、五能(ごのう)線沿線三教会合同礼拝が、藤崎教会を会場に4年ぶりに開催されました。JR五能線沿線には藤崎、五所川原、木造の3教会があり、年1回持ち回りで開催してきました。

なお、五所川原教会の初代牧師は藤田 匡(ただす)先生であり、戦後、五所川原教会を再建した方が、藤田先生との出会いを経て、後に青山学院で学び牧師となった菊池吉弥先生です。

9月には、聖愛高校3学年の皆さん約30名が、宗教科の授業の一環として、藤崎教会を訪れました。今年卒業する生徒さんは、コロナ禍の始まりとともに高校生活を送らざるを得ず、校内の礼拝堂以外の教会の礼拝に参加する機会がなかったそうです。このことを気の毒に思った先生方の計らいで、藤崎教会としても初めてとなる教会訪問が実現しました。この日は、木曜日の祈祷会と重なったことから、教会員の皆さまとも交流を深めることができ、大きな恵みとなりました。

11月には、藤崎小学校の生徒さんが、授業の一環で職場訪問に訪れました。講壇の大型聖書を手にして、「神様の言葉は重い」と話していました。

また、同じ敷地内にある藤崎幼稚園では、毎年3月に卒園礼拝を教会の礼拝堂で合同で行っています。子どもたちは、2月に入ると、毎週金曜日に礼拝堂で、卒園礼拝の準備をします。また、7月のお泊り会では、礼拝堂が忍者屋敷となり、子どもたちが秘伝の書を見つけて、楽しい夏の思い出となりました。

聖餐の資格がなく、兼業のために平日不在の私を理解し、支えてくださる教会の皆さま、特に牧師の先輩である野呂幸子先生のお働きに感謝しています。クリスマス礼拝のメッセージは野呂先生が担当してくださいました。どうか、野呂先生の上に、藤崎教会の上に、豊かな祝福がありますようにお祈りください。

(日本基督教団 藤崎教会牧師)