研修会に参加してから考えていること J・Y

初めに、宋 富子さん、金 美淑さん、そして、あの場にいらした皆様、「日本での日々、そして韓日の真の和解を考える」という主題のもと、貴重なお話を聞かせていただきましてありがとうございました。今回、感想を書かせていただくことになったのですが、感想というか、この研修会に参加して自分が考えるようになったことについて、書かせていただきます。

私は韓国で生まれ、2週間で来日し、以降、日本でずっと暮らしています。在日韓国人ということと、在日韓国人という名前に伴う様々な問題や話題は、私にとって、あまり語りたくない部分です。(本当に幸いなことに)出会う人に恵まれ、たくさんの人に愛されながら、この場所でぬくぬくと生きることができている私にとって、自分がいわゆる「被差別者」であると自覚させられることは、気持ちのいいものではないからです。そう思っているので、この手の問題や話題が持ち上がると、私は、積極的に避けることを選択してきました。ですので、今回の研修会に参加することは、私にとっては結構勇気のいることでした。今回の研修会に参加し、心の中なのか、頭の中なのか、どっちもなのか、よくわからないところから、いろいろな考えがぶくぶくと浮かんできました。まとまらない考えではありますが、書いてみようと思います。

私の考える韓日の和解には、実際にあった出来事に対する謝罪と許しという意味の和解と、過去の出来事の当事者ではない者たちが手を取り合うという意味の和解があります。

まず、実際にあった出来事に対する謝罪と許しという意味の和解について。植民地時代の出来事は、様々な形で当事者に深い傷を残したと、私は理解しています。植民地時代の問題は、現在も、その時代に日本に強制的に連れてこられた人やその子孫たち在日韓国人に対する差別問題として、根深く残っています。私は、誰かが一生残る(残らなくても)傷を負わされたとき、「許さない」選択肢があっていいと思っています。許すことを美徳になんかしないで、和解を強いることなどしないで、そんなことよりも、傷ついた個人が、その傷を癒やしながら、生きていくことの方がよっぽど大事だと思うからです。

過去の出来事に関する当事者は、謝罪を求めることはあっても、本当に「和解」を求めているのだろうか、と度々疑問になります。和解を望んでいるのは誰なのかということをすごく慎重に考えなくてはいけない気がします。政治問題として扱われる日韓問題の和解のように、うっかり、本当に癒やされるべき人のことを置いてけぼりにして、和解を強要して、もっと深く傷つけてしまわないために。

だからと言って、「このままずっと険悪なムードでいきましょう!」というのは、また嫌な気がします。過去は、忘れてはいけないものではあるし、記憶して大切にしなくてはいけないけれど、誰かの記憶に寄り添い癒すことが、誰かを嫌悪することにつながるのは、少し本質違いである感じがします。傷ついた人の過去を記憶し、寄り添いながらも、ある面では、過去と未来をキッパリ切り離すことが大事なんじゃないかなと思います。

切り離すということは、どっちかを忘れたり、捨てたりするという意味ではありません。別のものとして、しっかりと大切にするということです。過去の出来事の当事者ではない者たちが手を取り合い、和解することが必要だ、ということです。

研修会で、皆様の感想発表の時間に、「理解することが大事だ」という言葉が頻繁に出てきました。未来に向けて、どういうふうに手を取り合っていくのかを考える上で、お互いのことを理解したり、歩み寄ることはとても大切なことだと思います。

新大久保には、好意を持って韓国の大衆文化に触れようと、たくさんの方が足を運ばれるようです。歩み寄りですね。その歩み寄りを迎え入れる新大久保には、だいぶ日本向けに落とされた辛さの食べ物がたくさんあったりします。「辛すぎると売れない」という理由なのかも知れませんが、私は、これも、一種の歩み寄りだと思っています。また、韓国の大衆文化を楽しむ中で、韓国語を学びたくなったという方もよく見かけます。実際、私も、週末に高校生に韓国語を教えているのですが、その方も、「好きなアイドルの歌を韓国語で理解したいから」と、楽しそうに韓国語で私に話してくださいます。日本語字幕で聴ける曲や、日本語版の曲も多いので、わざわざ大切な時間を費やして韓国語なんて勉強しなくていいのにも関わらずです。「あの人が言っていることを、あの人の言葉で理解したい」というのもまた、とても大きな歩み寄りだと思います。

これらだけでなく、実は、すごく自然と、身近ないろいろなところに、歩み寄りがあるような気がします。このような歩み寄りを、私は、過去と切り離して大切にできたらいいなと思います。韓日の和解について、傷ついた個人の過去に寄り添うことと、扇動を履き違えずに、すでに始まっている未来に向けた和解が、このままうまくいけばいいなと思います。

ダラダラと長くなってしまいましたし、感想とは程遠い文章ですが、研修会に参加して考えたことを共有させていただきました。頭の中でまだモヤッとしている部分もあり、あまりうまくまとめることができず、ごめんなさい。でも、とにかく、皆様とお会いできて本当に嬉しかったです。共助会のみなさまの尊い歩み寄りに感謝し、これからも、みなさまとたくさんの言葉の中で関わり合えますように。そして、おいしいお昼ごはんを、また皆様と食べられますように。

(会社員)