敗戦後七十年、平和を実現する使命に立つ  飯島 信

1954年改訳の聖書では、この箇所は「平和をつくり出 す人たちは、さいわいである、彼らは神の子と呼ばれるであ ろう。」となっています。感覚的なものですが、私は何かこの 「つくり出す」と言う訳し方の方が受け止め易く感じています。 この言葉を読みながら、2つのことを考えています。

その1は、「平和をつくり出す」ということ、その2は「神 の子と呼ばれる」ことです。

初めに、「平和をつくり出す」ことについて触れます。

平和とは、単に争いや戦争の無い状態を指すのではありま せん。平和・平安を意味するヘブライ語のシャロームという 言葉は、何よりも私たちと神様との関わりを意味します。即ち、 シャロームとは、人間が神様との間で和らいでいる状態、和 解している状態を意味します。和らぎの無い、不義なる者に 平和が訪れることはなく、神様の義に生きる者にして初めて、 平和、平安が訪れます。ですから、平和をつくり出すとは、一方で争いや戦争の無 い世界をつくり出すことでもありますが、その根源的な意味 は、この社会に生きる私たちが、神様と和らいでいる、和解 している、神様の義に生きている、そのような社会をつくり 出すことを意味しています。

そのことと関わり、先月に経験した話しをします。  3月4日(水)の昼から翌5日(木)の朝まで、被災地で ある釜石の視察に向かう途中、基督教独立学園を訪れました。 安積力也さんが定年退職する最後の時で、一度彼が在職中に 学園を訪れてみたいと思っていたからです。

安積さんとの再会も目的の一つでしたが、私は学園の生徒 に出会いたいと思っていました。わずか一日にも満たない滞 在でしたが、それでも、私にとっては意義深いものとなりま した。まず、彼らとの出会いについて話します。

着いて間もなく、学園の食堂で一緒に昼食をいただいたの ですが、午後は労作の時間で教室内での授業はありませんで した。夕食までの間、どのように過ごそうかと思い、初めに 学園の機関誌「独立時報」に目を通しました。それから、労 作の様子を見学しようと思ったのですが、生徒の姿はなかな か見当たらないので、食堂に行くことにしました。ちょうど 食堂では夕食の準備が始まっていました。私はスーツを着た ままでしたが、食事当番の生徒の仲間に入れてもらおうと思 い、調理室で打ち合わせをしている生徒たちに声をかけまし た。彼らはびっくりして、「え、スーツのままですか?」と言 いながらも、私がこれしか持っていないと言うと、すぐにエプロンを持って来てくれました。そして、彼らと一緒に、キャ ベツをきざんだり、豚肉に衣を付けたりしながら、取りとめ のない会話を交わしていました。夕食を終わった後の洗い物 の時も、翌日の朝食を終わった後の洗い物の時も、私は彼ら の仲間に入れてもらいました。取りとめのない会話を交わす 中で、気づいたことがありました。私が言葉を交わした生徒 は限られていましたが、限られた生徒の中で共通していたの は、入試の前、初めて学園を訪れた時、「私が来る場所はここだ」 という感想を抱いたと言うのです。「私が来る場所はここだと 思った」。この言葉は鮮烈でした。そして又、何という幸せな 高校選びかと思いました。3月の初めでも、学園の周囲は雪 の壁です。校舎や食堂は新しくとも、都会の高校に比べれば、 決して恵まれた環境とは言えません。この学園を外から見て、 恵まれていると言えば、自然だけと言っても言い過ぎではな いと思います。それにもかかわらず、彼/彼女らをして「私 が来る場所はここだ」と思わせたのは一体何かと思いました。

入学前ですから学園の教師に出会っているわけでもなく、 ましてや学園生活を経験しているわけでもない彼らが、「来 る場所はここだ」と思わせたもの。何もない、あるのはただ 自然だけという環境にもかかわらず「来る場所はここだ」と 思わせたもの。勿論、体験入学によって、学園生活がどのよ うなものであるのか、教師たちがどのような人々であるかを、 彼らは全く知らないわけではありません。しかし、大学入学 前の三年間という最も大切な時間を過ごす場所として彼らを 決断せしめたものは一体何かと思ったのです。

彼らとの何気ない会話の中でそのような問いを与えられな がら、夕べと朝の礼拝に参加しました。メッセージを語った のは両方とも生徒でした。

メッセージを語る彼らの声は、夕べの礼拝でも朝の礼拝で も小さく、聞き取ることに努力を要しました。しかし、話 に耳を傾けている内にあることに気が付きました。話しが長 いのです。いや、長いと言うより、正確に言えば、15分も 20分も話しを続けられるのです。しかも、赤裸々に自らの 心の内を語って行くのです。私は、驚きました。メッセ―ジ を語るなら、5分でさえ、聞く者を引きつける内容ある言葉 を続けるのが難しいのに、それが15分も20分も続くので す。恐らく、日々の生活の営みの中で、上級生の自分を語る 姿を心に刻み込まれ、そのような伝統の中で育てられている のだと思いました。

そして私は、このような短い滞在の中では知る由も無いこ とでしたが、恐らく学園生活の中核をなす、教師と生徒との 人格的な出会いについて、「学園時報」に記された卒業生たち の「卒業所感」や「生徒の感話」から思いめぐらしていました。

彼らをして「私の来る場所はここだ」と言わしめた自然の 懐と、生徒や教師たちの眼差し……。それは時間の問題では なく、見学に来た彼/彼女を一瞬にして捕らえたのだと思いました。

学園を去る時間になりました。佐久学舎で出会った友に車 で送られながら、私は、学園が私に与えたインパクトの大き さによって、修士論文で取り組んだ長野県の教育を想い起さ ずにはいられませんでした。つまり、天皇制国家体制下に花 開いた信州自由主義的新教育運動のことです。

私は、大正デモクラシーのもとで花開いた長野師範付属小 学校の研究学級を頂点として、その裾野たるべき雑誌『信州 白樺』の購読者を中心とした教師たちの白樺教育運動こそ、 日本の人格教育の源流を形成するものであったと思います。 自然を学習の場としたこの運動は、やがて国定教科書に基づ く上からの画一的教育とは対比をなす、「児童の生活を、もと むるこころを、それを中心にしてそこに構成され創造されて いく」(淀川茂重)教育、即ち児童が主役となる児童中心の教 育を実現していきます。私たち共助会の先達の一人である田 中嘉忠は、先に述べた研究学級の初めての担任でした。

しかし、この運動は、1929年の世界大恐慌の荒波を受 けた長野県の養蚕業の壊滅と共に、踏みつぶされ、以降、長 野県では、農本主義教育や興亜教育が勃興し、ついには中国 侵略の尖兵とも言うべき満蒙青少年開拓義勇軍を生み出して 行きます。私は問わずにはいられませんでした。なぜ、あれ ほどの優れた人格教育を生み出した長野県から、後に天皇制 国家体制を支える農本主義教育や興亜教育が生まれたのかと、 あるいは中国侵略の尖兵としての任を負った満蒙青少年開拓 義勇軍を生み出すに至ったのかと。そして、その問いへの答 えは、長野県の教育におけるアジア的視点の欠落であり、さらには、究極として、その人格教育が目指したものでした。

アジア的視点とは、アジアから見て、日本の国家社会の現 実はどのように映っているのかへの絶えざる振り返りです。 その視点無くして、日本の教育は戦前の過ちを克服すること は出来ません。又、ここでの人格教育が目指したものは、皇 統絶対の国体にますます輝きを増す人材の育成でした。です から、大恐慌のもと、人格教育はやがて白樺教育運動が目指 したような普遍性を失い、日本固有の国体としての天皇制へ と回帰する農本主義教育や興亜教育に取り込まれて行ったの です。

独立学園の教育に戻れば、優れた人格教育を教育の基盤と しつつ、かつての過った日本の針路に対する批判と反省を、 絶えざるアジア的視点によって吟味する教育を行うことによ り、日本とアジアのみならず、世界に平和をつくり出す人材 を育成出来るように思うのです。  次に平和に関連して私たちはなぜ集団的自衛権に反対する のかについて触れたいと思います。

国民の合意形成の無い状態での憲法解釈の変更は、強権的 な硬直化した国家へと堕して行きます。イエーリングの『権 利のための闘争』の言葉を引用するまでもなく、国民の支持 を得ることのない法は、法としての機能を失い、結果として、その法を守らせるためには、政府は強権的かつ硬直化した政 治を行う道へと舵を切るようになります。安倍政権が突き進 んでいる憲法九条改憲の道が、国民の支持を得ていない、い かに危ういものかは、すでに強権的かつ硬直化した国家へと 堕している徴候によって知ることが出来ます。例えば、昨日 の「朝日新聞」朝刊に掲載された記事である、安倍政権に批 判的な記事を書いたドイツ紙「フランクフルターアルゲマイ ネ」(FAZ)の本社に在フランクフルト総領事・坂本秀之氏が 訪れ抗議をしたこともその表れであり、在米日本大使館幹部 からの米主要紙の東京特派員に対する慰安婦記事に関連する 圧力も又そうです。

私たちが集団的自衛権行使容認反対の声明を出したのは、 1つにはアジア的視点に立つ、アジアの人々の軍国主義化す る日本への警戒に応えたものであり、他方では、神様と和らぎ、 神様の義に適う歩みを求めたものでもあるのです。神様によっ て義とされた歩み以外に、平和をつくり出すことは出来ませ ん。そして、神様の義に生き、その心の内に平和・平安を与 えられた者こそ、神の国に入ることの許される神の子と呼ば れるのです。

基督教共助会は、敗戦70年、共助会創立九六年を迎え、 今日の日本及び世界の諸状況の中にあって、真に平和をつく り出す使命に立ち、私たちの歩みを進めて行きたいと思いま す。その歩みの根本は、基督教信仰にあり、共助会の目指す 人格とは、キリストの十字架の贖いを身に負う者です。まさに、贖罪的自由人として、神様から与えられた平和をつくり出す 使命を全うする者としての歩みを導かれたいと切に願うので す。  祈りましょう。

2015年度基督教共助会総会開会礼拝説教

2015年4月29日(水)於・日本基督教団目白町教会