信仰が無くならないように(2001年1月) 大島 純男
主イエスは、弟子のペトロに向かって、「わたしはあなたのために、信仰が無くならないように祈った」(ルカによる福音書22章32節) と言われた。その直前に、弟子たちに、「サタンは、あなたがたを小麦のようにふるいにかけることを神に願って聞き入れられた」と言っておられる。ちょうど、サタンがヨブに危害を加えることを神が許されたように、サタンは、キリストを信じる群れに攻撃を加えることを認められた。その攻撃は実に執拗であり、今日に及んでいる。わたしたち、21世紀を生きる者にとって、地球は決して住みやすい場所ではない。特に日本は、偶像礼拝の盛んなところであり、絶対なる神、唯一なる神を信じる信仰が、相対化され、下手をすると見失われてしまう。
事実、「あなたはメシア、神の子です」と信仰を告白したぺトロであっても、御子イエスの十字架の死と復活の話を聞くと、「主よ、とんでもないことです」といさめ、主イエスから、「サタン、引き下がれ」と叱責の言葉を受けている。このぺトロの行く末を案じられたイエスは、「わたしはあなたのために、信仰が無くならないように祈った」と言われた。
わたしたちは、就職をする際にも、結婚をする際にも、また、住居を移す場合にも、経済効率や利便性、将来性を考える先に、それを選べば、信仰が無くなるか無くならないかを第一に考える者でありたい。妻が若いころ、青年海外協力隊の募集に応じ、採用が決まったとき、北白川教会の奥田成孝牧師の恒子夫人より、「あなたの信仰が無くなるかもしれないので、反対だ」と言われ、その言葉に従ったという。
人間はそれほど強い存在ではない。だからこそ、主イエスが祈ってくださり、聖霊もまた、「言葉に表せないうめきをもって執り成してくださる」(ローマの信徒への手紙8章26節)とパウロは記した。
今日ほど、執り成しの祈りの必要な時代はないと思われる。御子の祈りに合わせて、友のために、隣人のために祈り合う者でありたいと願う。