今こそ、護憲の声を(2004年1月号) 大島 純

 軍靴の昔が聞こえる。かつて預言者イザヤは、「この国は銀と金とに満たされ/財宝には限りがない。/この国は軍馬に満たされ/戦車には限りがない。/この国は偶像に満たされ/手の業、指の造った物にひれ伏す。/人間が卑しめられ、人はだれも低くされる」(2章7-9節)と語った。わたしたちの住む国は、先の国政選挙で護憲政党が大敗北を喫し、改憲派の二大政党が圧勝した。来年、自民党は結成五十周年を迎え、それに向けて、有事法制の施行、憲法「改正」が目論まれている。戦争のために人員を徴用し、物資を徴発することができるよう「周辺事腰に際して我が国の平和及び安全を確保するための措置に関する法律」(いわゆる「周辺事態法」)が1999年5月に制定された。思想信条、信教の自由は大幅に制限され、自衛隊はアメリカの後方支援どころか、友軍として積極的に攻撃に加わる手はずを整えている。

 国内においては、安定した職場を確保することができず、多くの者がリストラに怯え、ここ数年、自殺者の数は毎年3万人を超える。イザヤが、「人間が卑しめられ、人はだれも低くされる」と語ったように、神から与えられたかけがえのない命が軽視され、将来に展望を見出せない者たちの鬱積した思いが、これまでになく多くの凶悪犯罪を誘発している。

 イザヤは、アッシリアやエフライム(北イスラエル)の軍事力に恐れるなと、「人間に頼るのをやめよ/鼻で息をしているだけの者に」(2章22節)と警告した。この警告は今日のわたしたちに対するものと言えよう。日本国憲法の前文に、「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する」とあり、また「われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ」という文字を見ることができる。この崇高なる精神を覆して改憲に走るのは愚行であり、わたしたちは今こそ、護憲の声を上げなくてはならない。