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罪の上に罪(2008年10・11月号) 林 律

 共助会の会合でも、キリスト者医科連盟のエクスチェンジ・プログラム(台湾、韓国、日本のクリスチャン医療関係者による年一回の会合)でも、韓国と台湾の方達が日本語で親しく語り合っておられる風景をよく見かける。勿論、一定の年齢以上の方々である。その談話のなかに私は素直に入って行けない。どうしても過去の歴史問題の縛りを感ずるからである。民族の誇りと自由と生命と言葉を踏みにじった日本の罪を、日本人として負わなければならない。

その日本人に対して両国の方達が友好親善の手をさしのべて下さっている。

有り難いことである。一方、若い日本人達がまことに屈託なく英語で両国の若者達と談笑している姿を見ると、この日本の若者達はしっかりと歴史問題を認識しているのだろうかと心配になってくる。老いも若きもキリストに結ばれる友情を求め、主の赦しのもとに集い、祈り、友情を交歓し合っている情景はまことに素晴らしい。キリストの十字架による救いを信じ合うことの恵みを共感できることに限りない感謝を覚える。主は過去の日本の罪を赦して下さっているのだろうか? それは私達の日々の祈りの中で求めて行かなければならないであろう。両国の人々の寛容に甘える事は赦されない。心から過去を悔い改めて、主と両国の人々の赦しを乞いつつ、両国の人々と手を携えて、これからのアジアひいては世界の真の平和を構築すべく努力して行かなければならない。歴史問題は過去の人達の犯した過ちであり、自分たちには関係ないことと内心思っているのなら、それは、罪の上に罪を塗り重ねることにほかならない。

主にあって赦され、同じキリストを信じる信仰の交わりに入れられ、人生に於ける共感を許される、この恵みを受けられるのは、悔いし砕けし魂のみが得られる特権であると信ずる。