クリスマスに思う (2008年12月号) ―愛の神とこの世の現実―原田博充 

  聖書には四つの福音書が「聖典」として収録されている。大雑把に言って各福音書の成立年代は、マルコが紀元七〇年前後、マタイとルカが八〇年代、ヨハネは九〇年代と推定されている。そして、最初に出来たマルコ福音書には、主イエスの降誕の物語はない。いっぽう受難と復活の一週間には、全一六章の三分の一超(一一-一六章)が当てられている。次に出来たマタイとルカには、主イエス降誕の物語が記されている。マタイは、系図、誕生の予告に続いて、東方の占星術の学者たちの物語(二章)を伝えている。ルカは、洗礼者ヨハネの誕生、受胎告知、誕生物語等の美しい描写に続いて、羊飼いの物語を伝えている。マタイの学者たちの物語とルカの羊飼いの物語は双璧をなす一対の物語である。最後に出来上がったヨハネは、もはや誕生物語を記さず、キリスト降誕の哲学的神学的意味を説き明かしている。最初にまとめられたマルコ福音書に降誕物語がないことが如実に示している通り、キリスト教信仰の中核は、十字架と復活にあり、キリストの誕生、つまりクリスマスの出来事と物語は、十字架と復活の信仰に導かれた初代キリスト者たちが、主イエスの誕生の次第を遡って調査・探求してまとめあげたものであろうと思われる。

  ここでは、マタイ福音書二章の学者たちの物語について、少し述べてみたい。二〇歳前後で聖書を読み始めた頃、この物語は、私にとって全く非現実的で、不思議な童話的な物語であった。しかし、それから四〇年、人間として、牧師・教師として人生の経験を積み、世界の情勢を見聞きしてきた今では、なんと深く迫力に富む現実そのものの物語であることかと思い、そこに物語られる真実に圧倒される。ヘロデ大王が支配する現実、この世の王位をおびやかす者への仮借無き弾圧(幼児虐殺、難民となる者の悲惨、権力者に故なく愛児を殺された親たちの泣き叫ぶ声……)、すべて二十一世紀の現実そのものである。

 そして、このような世界への御子イエスを通しての全能の神の介入、星の光に導かれて救い主を求めて旅する少数者……。御子を世に賜る愛の神と、これに不安を覚え、立ち向かうこの世の力は、峻厳なるまでに対立している。