子どものために待つことのできる社会を (2010年 12月号) 下竹敬史
私たちの保育所では、アドヴェントに入ると、子どもたちと一緒に「待つ」ことを大切にしています。アドヴェント=待降節とは、文字通り、キリストの「降」誕を「待」つ時。ですから十二月にはいると、この「待つ」ということの大切さを、子どもたちと一緒に考えるようにしています。
この期間、アドヴェント・カレンダーを各クラスに飾ります。たいてい、そのカレンダーの扉の数字はばらばらに配置されているので、その日の日付の扉を探し出すことから、子どもたちの新しい一日が始まります。そして、子どもたちは、毎朝毎朝こころ待ちにして、一枚ずつカレンダーの扉を開きながら、その扉の中の世界を楽しんでいくことになるのです。
このアドヴェント・カレンダーは子どもたちにとって、「待つ」ことを習う道具でもあります。クリスマスを控えた子どもたちにとって、扉をめくることは、とてもわくわくする瞬間です。中から何が飛び出してくるのか、どんな絵の世界がそこには広がっているのか、好奇心旺盛な子どもたちがそれを期待しないわけはありません。ですから子どもたちは、今日の分の扉だけではなく、明日の扉のことも気になり、つい、明日にならないと開けてはいけない扉まで開けてしまいがちです。しかし、それは反則です。ですから子どもたちは、少しがまんをしながら一日に一枚だけ扉を開き、すべての扉が開くクリスマスの訪れを、じっと「待つ」ことになります。
例えばそのようにして、私たちの園では子どもたちに、ちょっとがまんしながら「待つ」ことの大切さを伝えています。そしてそのことは同時に、私たち大人に対しても、では本当に私たちは子どもたちを「待って」いるのか、という問いを突きつけられていることにもなるのです。
待つことは大切だと分かってはいても、日々忙しく働いている保護者にとって、その実践はなかなか難しい。私たちが日々身を置いている社会は、「待つ」ことを極端に嫌う社会です。そこでは能率とスピードとが何よりも優先され、すぐに結果を求められます。そしてそのために私たちは、いつも焦っていらいらし、忍耐強く「待つ」ことを忘れてしまった。しかし、「待つ」ことを知らない社会では、子どもは育たないのです。