神と人に仕えること(2011年 1月号) 飯島 信
「起きよ、光を放て。あなたを照らす光は昇り 主の栄光はあなたの上に輝く。
見よ、闇は地を覆い 暗黒が国々を包んでいる。
しかし、あなたの上には主が輝き出で 主の栄光があなたの上に現れる。」 (イザヤ書六〇章一─二節)
昨年の秋から冬にかけて、都内新宿にある専門学校で、男性看護師の草分けとも言われるA先生から複数回の授業を受ける機会があった。「障がいと疾病の理解」「医学・在宅看護の基礎知識」「身体の清潔」「入浴の介護」などである。そして、求められれば夜中にでも在宅看護や介護に赴かれる先生の話を聞き、その姿を思い描きながら、介護の仕事とは、人に仕えることであると思うようになった。
私の学んだ大学のキリスト教教育理念に「神と人とに仕える良心的な人材を育成する」との言葉がある。高校生の時、私はこの言葉に強く引かれて大学に入学した。今の私にとって、神に仕える道の一つは、牧師として礼拝のメッセージを語り、牧会の働きを担い、信徒と共に礼拝を守ることである。それでは人に仕えるとはどのようなことか、それが今少しずつ私の中で形を取り始めたように思うのである。
A先生の授業を受けたと同じ時期に、ホームヘルパーの仕事に同行する機会が与えられた。介護保険制度での要介護1と2に認定された方の自宅であった。ヘルパーの、ほとんど寝たきりの状態にある利用者への声かけの何と優しいことか……。そしてまた、ヘルパーの訪れを、利用者はどれだけ心待ちにしていることか……。
顔を拭き、体を拭き、オムツを交換し、食事を介助する。ヘルパーに、その生活の多くを任せる以外に生きることの出来ない高齢の利用者の姿を目の当たりにしながら、人に仕える道の一つは、その人の尊厳を保ちつつ、その人らしく日々の生活が出来るように援助することであるのを知らされたのである。
共助会創立九二年の新しい年を迎えて、歴史編纂事業の完成を期しつつ、キリストを友に紹介する神に仕える業と、隣人に仕える業とを共に担う者となりたいと思う。主の栄光は私をも、私の隣人をも、全ての人を隈なく照らしている。