大震災・原発事故から一年 (2012年 3号)小菅敏夫

 東日本大震災と福島原発事故から一年を迎えた今年の三月十一日、日本列島は、悲しみと再生、復興への深い思いに包まれました。被災地域では多くの場所で犠牲者を悼む様々な集まりや催しが開催されました。また、日本全国でも、四七都道府県の一五〇カ所以上で集まりがもたれました。あらためて私達一人ひとりが、この自然災害と人災にどう向き合ってきたのかを思い起こし、これからの歩みを覚える時としたのではないでしょうか。決して忘れてはならない記憶としてそれぞれの生かされている限り覚えていなければと思います。大震災・津波により二万人近い人々が犠牲者となり、更に数十万の人々が被災者となり、今なお困難な生活を送っていることを覚え、その悲しみや苦しみが癒され、一日も早く安心と将来への希望が持てる生活が出来ることが必要です。その実現のために最善の努力を国や自治体そして私たち一人ひとりがしていくことが大切ではないでしょうか。

  特に今回の大震災のもたらした影響は、その規模の大きさからみてもただ単なる自然災害からの再生、復興への努力だけでなく、人災としての原発の事故のもたらした被害への対応の困難さがあります。原子力エネルギーの利用の負の問題に、私たちがあまりにも、一部の人々を除いて、無知であったことを思い知らされ、深い悔いと憐れみを主に求める者です。創造の主に、顔を向けることが出来ず、またその委託に応えることが出来ない私達であることを改めて反省しなければなりません。原子力のコントロールが困難で、事故により広範囲にまた長期的に、生物やそれを取り巻く環境を破壊し、住むことが出来ない状況にしてしまう原子力エネルギーの利用は、決して安全ではなく、安心して命を育むものでは必ずしもないことを示したのです。原子力の平和利用における「安全神話」が、スリーマイル原発事故や、チェルノブイリ原発事故などにより、破綻してきたにもかかわらず、日本における今回の福島原発の事故は、いかに人間の驕りがもたらしたものであるかを明らかにしたといえます。私たちは、今こそ、『原発はいらない』の声を上げることが必要ではないでしょうか。広島・長崎そして福島の人々の叫びにこたえることが、私たちにとっても、主の慰めと憐れみが豊かに注がれることになるのではないでしょうか。

  三月十一日には、日本だけではなく、国外でも、韓国、英国、フランス、ベルギー、ルクセンブルグ、ドイツ、スイス、オーストリア、スェーデン、ウクライナ、カナダ、米国、ブラジル、アルゼンチン等でも「福島の事故はどこでも起きる」と原発ゼロを求める集会が開かれたのです。私たちの呼びかけが世界にとどくように願いながら。