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与えられた命・奪った命 (2012年7号) 森川 静子

 今年の修養会には、堤岩教会を定年退職なさったばかりの、姜信範牧師ご夫妻が参加してくださった。その貴重なお話を、私は、韓国人BC級戦犯者の立法化のための院内集会に参加して、お聞きすることができなかったが、一九八七年の大磯での修養会で、堤岩里事件について語ってくださったことは、今でも体に深く残っている。

  初めて耳にする、日本が植民地支配をしていたという事実。教会に村の人を集めて閉じ込め、外から銃撃をし、さらに火を放つなど、あり得るはずがないことだった。しかし『共助』のために文章化しながら、教会に閉じ込める、火を放つなどが、堤岩教会だけでなく、朝鮮半島の中で数カ所で行われたことを知り、事実として受け入れざるを得なくなったことを思い起こす。

  韓国人BC級戦犯者。太平洋戦争中に三千人が捕虜監視員として、日本によって駆り出され、戦後には連合軍のBC級裁判で、一四八人が戦犯とされ、二三人が、無謀な日本の捕虜政策の責任を負わされる形で、死刑となった。韓国政府は、彼らを強制連行の被害者と認定して名誉を回復したが、日本は、彼らを日本人として「徴用」しながら、刑期が終わって巣鴨から出す時には、日本人ではないからと、戦後補償から締め出した。同進会会長の李鶴来氏は、刑死していった仲間の無念さを晴らすべく、日本が謝罪と補償を立法化することを求めて、八七歳の体で議員会館を歩き回っておられるが、今国会への提出は、政局や竹島・尖閣問題などで、ついに果せなかった。

  その李鶴来氏も、裁判では死刑判決を受け、後に減刑された。八カ月を死刑房で暮らす間、李さんを捉えて離さなかったことは、いったい誰のため、何のために死なねばならないのか、ということだったという。

  私たちは修養会の中で、一人一人に神様から与えられた固有の命の貴さを学んだ。しかし、それと合わせて、アジア太平洋戦争とそれに先立つ中国侵略、植民地支配を通して奪った、とてつもなく多くの命の一つ一つも、同じく神様から祝福されて、この世へ送り出されたものであることを、片時も脳裏から外してはならない。