皇国史観・自虐史観・福音史観(2001年10月/11月) 佐伯 勲

   私たちがよく知っている歴史的事件の一つに(三・一独立運動と堤岩里事件)があります。日本は1919年4月、この小さな堤岩里という村で、警察と憲兵によって、この地方の三・一独立運動において中心的な役割を演じたキリスト者たちを根こそぎにするために、教会の礼拝堂の中に、村の21人の男性を閉じ込め火を放ち、銃弾を浴びせ、また2人の婦人が、燃え上がる教会の庭で首を切られ虐殺され、村全体も焼き払われたという事件です。堤岩里の事件は、朝鮮全土にわたって生命を賭した独立運動とそれに対する日本の残虐、非道な弾圧がいかなるものであったかを、事実をもって伝えており、韓国の歴史教科書にも取り上げられ、民族の歴史にとって忘れることのできない名として想起され、語り継がれています。一方私たち日本は、そのような歴史を教えるのは「自虐史観」(日本の過去の悪い事を教えるから、子供たちが自虐的になって、今日のような教育における荒廃、いじめ、少年犯罪のもとはそこにあるというもの)だとか言って、そのような立場に立つ人たちが作った「新しい歴史教科書」は、「皇国史観」によって貫かれており、その天皇讃美、侵略戦争美化の教科書が検定に合格したということで、韓国や中国の人々から反発を招いています。

私たちは、この堤岩里の事件を別 の意味で語りついでゆかなければなりません。教会の焼け跡には21人の黒焦げの遺骸が離しがたく一塊になっていたといいます。堤岩教会の姜信範先生は、彼らは最後に一団となって祈りつつ死んだのであろうと語っておられます。その祈りは、主イエスの十字架上の祈り 「父よ、彼らをお赦し下さい。彼らは何をしているのかわからずにいるのです。」 その祈りをキリスト者の群れが祈られた。十字架上の主イエスの祈りを生きるということは罪の贖いと救いの下から祈られたということです。敵である日本のわたしたちへの祈り、それは殺される時も、その祈りが神が最もお喜びになるキリストの救いに与った者の意志、行い、それが聖書の語る「愛」だからです。それでは私たちはその祈りにどう答えるのか。

今、自虐史観、皇国史観と、いろいろな歴史の見方、その歴史認識に立つ歩み方がありますが、しかし私たちは「神がこの人間の歴史においてただ一度キリストにおいて働かれた」という「福音史観」に立って、一人一人がその神の義と愛に生かされ、主イエスに聞き従う歩みを真実になすしかないことです。