「預言者エレミヤと現代」(2003年2月/3月合併号) 井川 満

 今から約2600年前、ユダヤの地でエレミヤは人々に向かって語った。「ユダヤは生ける真の神を捨てて神との契約を破り、神ならざる偶像を神と取り替えた故に神はユダヤを罰する。北からの災いが降りかかり、ユダヤは打ち破られて他の国へ連れ去られるであろう」。これに対して、預言者ハナンヤは語る。「エレミヤの語ることは無用に国民を不安がらせるだけの偽りの言葉である。我々の神こそは、我々を守り、今降りかかろうとしている困難を国から取り去ってくださるのである。かつて、アッシリアの侵略によりエルサレムの城壁が将に打ち破られようとしたとき、預言者イザヤの語った通りに神の腕によりアッシリアは打ち砕かれて、エルサレムが守られたように」。人々はハナンヤの言葉を善しとしてエレミヤを捕らえて獄に繋いだ。

 「預言者エレミヤと現代」の主題のもとに開かれた京阪神共助会修養会において、講師の小泉仰先生に、ある友が質問をした。「どちらの預言が本当であるかを見分ける方法がその時代の人々に有ったのだろうか」。先生は「どちらが本当かを見分ける方法は無かったでしょう。どちらの預言が正しかったのかは、その後に展開する歴史によってのみわかるのです」と。

 小泉先生は、エレミヤを始め、ハナンヤ、ゼデキヤ王、ゲダルヤ総督、レカブ人などを、あたかも私たちがその時代に居るように生き生きと私たちに伝えてくださった。同時に私は、神の言葉に従って時代を正しく生きることの厳しさと難しさを深く示される思いがした。正しさは、今目に見えるあれこれに拠って判断できるものではない。地上においては、どちらが正しいかは後の人々のみが歴史の展開を見て判断できるのである。現在の私たちの生き様は、地上においても必ず歴史を通してきっちりと裁かれるのである。今地上に生を与えられている私たちが正しく生き通すことを願うならば、どうすべきであろうか。歴史を真剣に学びそこに働かれた神の業を心に刻み込むこと、そしてエレミヤを始めとする神の預言者の言葉を、現代に語りかける神の声として聞きとどけうるよう聖書を絶えず学び、心を開いて深く祈ることではなかろうか。