しかし、勇気を出しなさい(2003年1月) 大島 純男

 わたしたちが、現在から未来を見つめるとき、そこには絶望しかないように見える。今世紀こそ戦争のない平和な世紀にしたいとの願いはものの見事に崩れてしまった。世界各地で殺りくが繰り広げられ、貴重な人間一人ひとりの命が無残にも失われていく。このままでは人類は滅亡する以外にないのではないかという不安がかなりの確率で的中しそうである。

 ヘブライ人への手紙の著者は、地上にある神殿を、「天にあるものの写し」(九章二三節)と呼んだ。彼は、「キリストは、まことのものの写しにすぎない、人間の手で造られた聖所にではなく、天そのものに入り、今やわたしたちのために神の御前に現れてくださった」(同章二四節)と記す。わたしたちが地上の生涯を終えて、最終的に行き着く天上の神殿を清めるために、御子キリスト・イエスは血を流された。キリストの贖いのわざは、ただ一度だけで完全であり、十分だった。「ただ一度だけ」とば、この世界に確実に誕生され、苦しみの道を辿り、十字架刑に処せられたお方の地上における歩みを物語っている。「ただ一度だけ」という点では、質的に異なっているとは言え、わたしたち地上に住むすべての者の人生も同じである。

 わたしたちは、天においてキリストとまみえる約束が与えられている。将来から現在に向かってキリストの光が照射されているという終末論的視点を持つならば、現在がまったく暗黒であるとは言い切れない。キリストの再臨という時点から現在を見る視点は、現実からものを見ることに慣れているわたしたちにとっては新鮮であり、驚きである。イエスは、「あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている」(ヨハネによる福音書一六章三三節)と言われた。彼岸から此岸を見る目と、上よりの勇気を与えられて歩み続ける一年でありたい。