京都共助会・報告

京都共助会 2、3、4、5、6月例会 報告者 片柳榮一

2月例会は片柳榮一さんに『一筋の道』最初の数章について発表いただきました。

「淀橋のお宅には先生(森明)御逝去後もよく伺い、私の生涯は、私の肉親の人々との交わりより心の通いとしては淀橋の家の方々とのかかわりあいの中に、その周辺をうろうろしてきた生涯であったと思われる感がした。そして私の生涯の歩みの中心部は以上引用させていただき書き表されているところに尽きるといっても良い感がした。煮え切らない私の心もこんなことに押し出されて……思い出すままに書くことにするかといった思いになったわけである」。出席者8名

 

『一筋の道』の3章を若林義男さんに発表いただきました。

「私はよく人生の最大の幸福は若き日によき師に出会うことだというが、私の在学中少なくともお二人、終生この師に出会ったことは自分の仕合せであったと思う師に出会っている。一人は鈴木大拙先生であり、もう一人は天野貞祐先生である。その他凡(そ)学者というものはかかる人であるかと深く心に残った方がある。漢文の先生で小柳司気太という方である……又先に挙げた乃木将軍についても、在学中はうるさい親父位に片付けていたが、後年私は乃木将軍について大いに敬慕の念を深くいだくに至ったことである」。出席者7名

 

4月例会は片柳榮一がお話しいたしました。

「当日いわゆる司会者があったかどうか記憶にないが、森明先生(それも後に紹介されたと思う)がその机のうしろに立たれてなにか呻くようなすごいもののいい方で話をされたのが印象的であった。勿論何も分からなかった。その日心に残ったのは、右のただならぬ感を受けた先生のお話と、当時私共が和服の際に用いた、木綿の袴をはいた青年の方が先生の話の後に報告をされたことである。その報告をされた方は本間誠先生であった(勿論後に知ったことである。も一人入り口の近くにこじんまりとした老婦人が折られた。これも後日知ったことであるが森寛子母堂であった)」。出席者7名

「(森)先生の西向きのあまり広くない書斎でお目にかかったように思う。お話した内容は詳細なことは覚えていないが右に述べた家庭事情、目下内村先生の聖書講演を毎日曜日拝聴に行っていること、教会の集会の場合と違って連続して(先述の如く当時はロマ書であったが)学ばしていただけるのでありがたいと言ったことははっきりと覚えている。それに対して先生は大変に喜んで賛成してくださって、「それはよい。是非つづけていくとよい」とも言ってくださった。後に知ったことであるが、恐らく当時のキリスト教で内村先生の下で聖書を学んでいると聞かれて以上のような賛成、理解をもたれた方はなかったといえるのではないだろうか」。出席者7名

「日本の神社、仏閣などでは僅かな寄付に対してもそれを板に書き出して掲げたりするのに、大変な多額な寄付をしながら絶対にそれを秘してほしいとのことをもれきかされて森少年は深い驚きと感銘をうけ、この人たちの人柄と精神の深さに深き感動を覚え洋食の不足などは吹っ飛んでしまい、逆に深い畏敬の念を呼び起こされたという。その辺に森少年のお心の深さというか洞察の深さというかを物語るといえようと思う」。出席者9名