善をもって悪に勝ちなさい 木村葉子

 【誌上 一日研修会 開会礼拝説教】

あなたがたはこの世に倣ってはなりません。むしろ、心を新たにして自分を変えていただき、何が神の御心であるか、何が善いことで、神に喜ばれ、また完全なことであるかをわきまえるようになりなさい。(ロマ12:2)

コロナ禍に、レント(受難節)をおぼえ春の光を見上げる。花や野山の美しさ、澄んだ青空、夕焼けの御国を偲ばせる茜色、動物に癒やされ、子どもたちの会話に微笑み、人々の真摯で誠実な親切に教えられ助けられ、地球は何と特別な命の星だろうと思う。しかし、また何と人の世は、悪意、闇、悪があり、悲しみと怒り苦悩があるところだろうか。さらにしかし、キリストは私たちすべての罪人のために来てくださった命の主、復活の主である。主こそ私たちの希望、平和の力。荒野に道を開いてくださる。

ここ数年間、韓国と日本の外交関係は悪化し溝は深まるばかりを憂える。前安倍政権は敵意をあおって来たといえる。戦後76年経た今も、わが日本国が隣国アジアを侵略し植民地化した罪悪を心から悔い、謝罪と補償の明瞭な解決と良心的な信頼と尊敬をとりもどす和解を果たしていないことが根底の問題である。誠実に負の歴史に向き合い、和解と友好を回復しなければならない。そのためにわたしたちはどうしたらよいのだろうか。

敵意の壁を溶かす

100周年記念韓日修練会共助記念誌を読んで、ソウルの李孝宰牧師が応答の原稿を寄せた(『共助』20年第7号)。「キリスト・イエスにあって一つとなる~韓国と日本の教会を期待しながら」と題して、「共助会が、長い間、真理と和解のメッセージを伝え、両国間の友好増進のために活動した話は私に大きな恵みを与えてくれました」「次第に高潮した両国間の葛藤を解決するためには、歴史的真実に対する共感と和解が必要。しかし、今のように歴史問題に対する見解が極端に対立するならば、和解までは難しい」「従って、両国民が歴史の問題から離れて、キリストに依る友好関係を結ぶことに努力を傾けよう」「私は教会が閉鎖的な関係を開き、平和を定着するために先頭に立って導かなければならないと考える」「神の国は現在が重要。一般的に言えば、過去の問題が解決しなければ現在の問題も解決できないというが、実はその反対で、韓日両国の教会が先頭に立って信仰によって結ばれるならば、葛藤も対立も解決することができると信じる。」金大中(キムテジュン)元大統領の例を引き、「韓国と日本の教会がお互いを胸に抱いて祈り、慰め、祝福を与える訓練を計画的に行い、部分的でも一致するなら神様に栄光を捧げることができる」

わたしは、この提案に賛成する。政治的外交の敵対で、民間まで敵対するのを止めたい。幸い、今の民間友好は、金 大中の日本文化開放以後、進んでいる。日本の若人も年配者も韓国文化を喜び、多くの韓国人が日本に住み、日本の教会にも韓国の牧師が在職している。そして、何より大切なのは、民間レベルも「心からの友好の言葉」「心からの謝罪」を届けることだと思う。共助会は、和田 正牧師、澤 正彦牧師と、尹鍾倬(ユンジョンタク)先生の間で起こった感動的な、「キリストの十字架の力」による、悔い改めと赦しと和解そして敬愛が起きた、敵意の壁を溶かした素晴らしい証がある。キリストによる平和の証言を重ねていくことが共助会の使命につながる。

昨年も90歳の「元従軍慰安婦」のハルモニは「ほしいのは日本の首相の心からの謝罪の言葉」と訴えている。その叫びは、心身と人としての尊厳を蹂躙され、故郷にも帰れず侮蔑に耐えて貧しく沈黙した人生、彼女の癒されない深い傷、怒りの告発である。旧日本軍慰安婦は、アジア広域に20万~40万人以上いた(アジア女性基金推定)。その7割は戦地で死んだ。共助会韓国訪問で行った独立記念館の写真に写る彼女らは中高生の年齢で、そのまだあどけない顔には悲哀がおおっていた。私の高校生の教え子を思って涙した。日本では「平和の少女の像」は反発を受けているが、海外では旧日本軍慰安婦問題は、深刻な女性差別である。ヒットラーの経験から、2017年設立の「右翼に反対するおばあちゃんたち」の団体の活動が急速に広まり、ドイツでも69都市にある。「女性を対象にした戦争犯罪は普遍的問題。少女像はみんなに考えるきっかけをくれた」と設置を議会で決めた。韓国で1987年の民主化の後、日韓の歴史問題・謝罪問題が注目された。1991年、金学順(キムハクスン)が、日本の責任を問う裁判に立った。日本では、家永歴史教科書裁判が歴史の真実を知る権利があるとして進められていた。一方、「新しい歴史教科書をつくる会」は日本の歴史を貶める「自虐史観」では若者が誇りをもてないと主張、戦前の日本のアジア進出は欧米の植民地化を防ぎ諸国の振興を助けたとの解釈の下で、「慰安婦問題」などの加害の記載を排除する「つくる会系教科書」が発行された。右翼メディアとの連動もあり、現在まで若者の間にも浸透し、在日韓国・朝鮮・アジア系外国人への差別、ヘイトスピーチを起こしている。教会でも教育や歴史認識の問題を語り合う時が必要。

誰が隣人になったか

飯島委員長が1985年の夏期信仰修養会について、昨年「あたかも遺言のように」と題して書いた(『共助』6号)。飯沼二郎先生の講演と懇談会で「共助会の使命とは何か」「隣人とは」をめぐって火花の散るような熱い討論がなされた。自らの信仰の生命を懸けた真摯な言葉が鋭く交わされ、息を飲む雰囲気だった。わたしも自らの信仰を真剣に問われた3日間で忘れ難い。歴史の現実のただ中に生きるキリスト者、信仰の証人としての生きざま、キリストの真理による救いとは何かと問われたと思う。今は天に召された先達も多い。記録は、「今後の共助会の課題」を問うものとして貴重である。共助会を人生のかけがえのない恵みと受け止めてきた先達の含蓄に富む討論である。今も、続きが必要だ。〔以下敬称略、( )内は筆者加筆〕

飯沼二郎は、「朝鮮伝道を行った渡瀬常吉は愛情深い人で日夜朝鮮のために祈って伝道した。その人が、なぜ、結果的に、日本帝国主義の手先になったのか、その人の信仰を掘り下げていかなければならない。」「今、日本の教会が体制順応的になっている。社会的弱者への関心が必要である。近年は、共助会に確実に始まりつつある。」その実例を17件挙げた。該当者のお顔が浮かぶ。「隣人」(社会的弱者)を愛さなければ、「主にある友情は共助会内部にとどまり、その自己完結性は打ち破れない」。「ルターとドイツ農民戦争」の質問の応答では、人間の自由を縛る、内と外の2つのエゴイズムについて語った。内は、自身の内面性。外からのエゴイズムは政治的権力者などから受ける。(ルターのように良心が神の言葉に縛られ)解放されている人は、牢屋や奴隷であろうと、その人は自由。しかし、それを他人・農民に対して言ったところにルターの間違いがある。外なるエゴイズムを問題にせずに、あなたの内なるエゴイズムさえ打倒できればあなたは自由ですよ、と。これほど権力者にとって、都合のいいことはない。外なるエゴイズムを無視すると、宗教はアヘンになる。ルターは非常に良心的な人で、内なるエゴイズムがどんなに打破できないか、彼自身よく知っていた。それは彼の信仰が本物であることを示している。「隣人とは誰か」で、様々な意見が出た。澤 正彦 隣人の問題と関わり、偶像礼拝の問題がある。神礼拝が真実でない時に隣人はつぶされる。日本の天皇制が持っている偶像礼拝の批判の立場からなされる必要がある。罪とは個人の罪だけではなく、国家の罪、隣人が見えない罪がある。飯沼の発題をもっと鋭利に引き継ぐ歩みにしたい。(今や再び象徴天皇のもと全国の学校で「日の丸・君が代」実施は当然となり、無意識の内に、精神的自由を奪っている。)奥田成孝 神の前に一人で立つ。その経験がなくて聖書の宗教はない。(これが「キリストの他自由独立」の土台である。)

「韓国への旅」とりなしの祈り

もっと隣国を知らなければと、1986年3月第3次韓国問安団が計画され、提チェアム岩教会に行った。1919年の3・1独立運動に対する弾圧で日本軍官憲に提岩教会は焼き討ちされ23名が死亡し、民家にも放火した。姜カン 信シンボム範牧師から聞く恐ろしい日本の罪業。ところが姜牧師は、初対面の12人もの日本人を歓待し宿泊までさせて下さった。その夜、この夏の共助会修養会へ姜牧師と李英環(イヨンファン)医師を講演に呼ぼうと語りあい実現した。

1992年4月第一回韓日信仰修練会が開かれ、再度提岩教会を訪れた。資料館に、21歳の時、夫を奪われた田同禮(チョンドンネ) ハルモニが、発掘された遺骨に手を置いて慟哭している写真を見た。彼女は70年間ずっと焼き討ちのあった2時に教会で敵国日本のために祈り続けて来たという。私たちは加害の事実にうなだれながら近所の韓国風の土塀の道に沿い彼女を訪ねた。当時90歳代の彼女は大勢の私たちを迎え、まっすぐに見て「あなた達はキリストを信じていますか」と問いかけた。そして、私たち一人一人と握手をしてくださった。わたしはその手の温もりとともに、「あなた方はキリストを信じていますか」という問が忘れられない。敵日本のためにこんなにも長く祈っている人がいる!真実なキリスト者のとりなしの祈り! 本もののキリスト者になって、どんな時も主に従ってください、といわれていると思った。和解のとりなしの祈りをする共助会となりたい。

イエスの愛のエネルギーの源泉と弟子たちの宣教

イエスに洗礼の時、「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という天からの声があった(マルコ1: 11)。「父は子

を愛して、ご自分のなさることをすべて子に示した。~」(ヨハネ5・20~30)。イエスには、この父なる神から愛されている確信がある。イエスの全生涯を通じて、この確信が、父なる神を、自由な意志から、心を尽くし思いを尽くし精神を尽くし力を尽くして愛し抜いた。十字架の辱めと苦難をも身に受けて、罪人の救済のため働かれた、その愛のエネルギーの源泉は、父なる神と子なる神の量り知れない霊の交わりがあり、信頼がある。この父なる神の愛を知るものとして。この愛のエネルギーを、十字架の死と復活の後、弟子に顕われ「わが主、わが神」とする信仰を弟子へ注がれた。弟子たちは、目が開け喜びに満ち自らの新生を知った。ペンテコステで聖霊に満たされ、初めの教会が与えられ、主の宣教命令の下、勇んで福音宣教へと出て行った。多くの困難があり迫害を受け、命の危険にさらされ、殉教者も出た。しかしそれによって驚くべき「命がけの跳躍」がなしとげられていったのである。その苦難に耐えさせたエネルギーは、主イエスの愛と、これは「神の宣教」であると確信していたことによる。「初代教会は、自らを、救われるべき人類の導き手だと理解していた。」新約聖書は、宣教の必要から、緊急事態の中で書かれた。「宣教は神学の母である。1世紀のパレスチナの歴史の中を生きたイエスの言葉と働きを、4人の福音書記者の人格と信仰の眼を通して知ることができる。初代教会は、新しい状況の中で、彼ら自身の生活と働きを創造力的方法で広めた。彼らにその力を与えたのはイエス自身である。初代教会は、イエスについての伝承を、創造的な、しかし責任ある自由を持って取り扱い、これらの伝承を保持すると同時に改訂した。……戸惑う必要はない。もし私達が、受肉を真剣に受けとめるならば、言葉はあらゆる新しい状況の中で肉体となる。新約聖書の読者が、宣教する者となる事に深い関心があった」とボッシュはいう。

マタイ等は、現在と根本的に異なる文化の中に生きていた。古代の用語を無批判に、そのままで現在の状況に用いることはできない。また、あらゆる批判的手段を用いてもイエスの「客観的」歴史を再構成することもできない。いずれの場合も「歴史のイエス」は、歴史家の関心のままに変化するのだから。

しかし、キリスト者は、主イエスについて語る時は、イエスの生涯と死と復活による「確定事項」に、制約されている。神が私たちの所に来られた事がらは、本質的にイエスが歴史の中に生きた事実と行いである。新約聖書を、何が「真正なキリスト教かを判断する『規範』として見ることができよう。今日の教会の重要な使命は、そのキリスト理解が、最初の証人達の理解と合っているかと絶えず検証することである」とボッシュはいう。

日本の教会は伝道の第2世紀にはいったばかりの若い教会であり伝道には神学は無用であるという考えが根強くある。しかし、ナチズムに抗するドイツ教会闘争と「バルメン宣言」を指導した神学者バルトがいうように「しっかりした神学を持たない教会は、早晩必然的に異教的教会にならざるを得ない」と森野善右衛門はいう。共助会は、福音理解を深める学びの契機となってほしい。また、主イエスの愛のエネルギーと確信を与えられ、だれもが福音伝道を担うものにされたい。韓日の教会が、小さくされたもの、「悲しむ者とともに悲しむ」ものとなって、和解のとりなし手となり、福音の下に友好関係を持てるように、共助会はとりなし、祈り、働きたい。

(ウェスレアン・ホーリネス教団 ひばりが丘北教会牧師)