キリストの教会― 教派を超えた伝道協力への提言 飯島 信

【2022年度基督教共助会総会 開会礼拝説教】

「わたしは福音を恥としない。福音は、ユダヤ人をはじめ、ギリシア人にも、信じる者すべてに救いをもたらす神の力だからです。福音には、神の義が啓示されていますが、それは、初めから終わりまで信仰を通して実現されるのです。『正しい者は信仰によって生きる』と書いてあるとおりです。」(ローマの信徒への手紙 第1章16―1節)

昨年1月から代務として月に一度の礼拝を担当し、今年4月から主任担任教師として就任した日本基督教団 小 高伝道所の現在の状況をお話しし、私たちキリスト教共助会に導かれている祈りと行動について述べたいと思います。

使徒言行録やパウロの手紙を読む時にいつも覚えさせられていたことですが、原始キリスト教会は、教会同士、また教会員同士が常にお互いを支え合っていました。特にパウロに関わる記述の中で注目すべきことの一つは、その成り立ちからしても、原始キリスト教会全体の最も中心に位置するエルサレム教会に、彼は献金を携えては訪れ、あるいは仲間に託し、また献金を呼びかけてもいます(コリントの信徒への手紙一16章1 ―4節)。財政面での教会運営を助けたのだと思います。それどころか、徒言行録第2章や第4章に記されている原初の教会では、原始共産制とでも言うべき持ち物の共有すらなされていました(使徒言行録

2章43―47節、4章32―37節)。

私はこれまで、6つの教会を経験して来ました。日本バプテスト連盟の教会が3つ、日本基督教団の教会が3つ、その内の1つは在日台湾教会です。何れも都内か千葉県松戸市にある教会でした。そのような都会の教会の経験しか持たなかった私にとって、3・11と原発事故によって被災し、長い間帰還困難区域に指定されていた小高伝道所での礼拝の経験は今までにないものでした。具体的に申し上げます。

福島県南相馬市小高区にある小高伝道所は、80代の教会員1人の伝道所です。帰還困難区域の指定が解除された震災から8年後、2019年1月からですが、第4主日の午後3時から4時に時間を定めて礼拝を再開しました。午後に礼拝時間を定めたのは、午前の礼拝を終えた方々も出席出来るようにするためです。

その時から今年の2022年4月まで、3年余りの歳月にわたり月一度の礼拝が守られています。教会員は1人なので、代務の牧師と2人しての礼拝が行われるのが普通のように思います。しかし、記録を見ますと、これまで40回の礼拝を行い、平均で12名の人々が出席しています。(2019年12回の礼拝、出席者延べ194名、平均16名。2020年12回の礼拝、延べ130名、平均11名。2021年11回の礼拝、同延べ98名、平均9名。2022年は4月までに5回、延べ39名、平均8名です)。

全体を平均した12名の出席者の内、説教者と教会員以外の10名は他の教会の信徒でした。つまり、ここ小高での礼拝の明りを絶やさないために、常磐線沿線の原町教会や中村教会、また仙台から車で1時間半から2時間かけて名取教会や仙台東一番丁教会、あるいは福島教会などの牧師や信徒が、午前の礼拝を終えたその足で、午後3時からの小高の礼拝に参加していました。私はこの現実を知り、また小高伝道所の牧師となったこの時、小高のこれまでの経験は、これからの地方伝道を考える際に大切な方向性を示唆していると思いました。それは、困窮している地方教会を支える協力伝道の在り方であり、共助会に連なる私たちがその実践を示し得るのではないかと言うことです。

一方、私は、牧師である自分にですが、『恐れるな、小さき群れよ』に収録されている、森明が、上京して初めて彼のもとを訪れた山本茂男に対して語った言葉に、心が動かされています。山本は、そのことを次のように記しています。

「……恰度(森先生は)来客中とて、初対面は僅かに十数分であったが、未だかつて経験しない真実と愛の心と謙遜と人格的な魂の気品とに忘れ難い印象を受けた。『小さな教会ですが、どうか同情を以てお助けください』、斯様に仰りながら、田舎出の青年を鄭重に玄関まで送りだしてくださった」。

私は、森の山本に対する「小さな教会ですが、どうか同情を以てお助けください」との言葉を、小高に来て初めて理解出来るように思いました。私がこれまで牧会した教団の二つの教会

は、いずれも礼拝出席が30人に満たない小さな教会です。しかし、初めて訪れて来る人に、森が山本に語ったような言葉をかけることは出来ませんでした。

「同情を以てお助けください」。

何という謙虚な言葉かと思うのです。しかも、地方から上京して初めて訪れた若い学生にです。私は、「一緒に礼拝を守りませんか」とは言えても、「同情を以てお助けください」とまでは言えません。私の中の、どこか自分の力を信じて、砕かれていないプライドが許さないのだと思います。しかし、今、教会員一人しかいない小高伝道所に、一人もいない浪江伝道所に、もし訪れて来る人がいれば、「同情を以てお助けください」と、心の中では言えるように思います。小高に来て、浪江に来て、牧師としての森の謙虚さ、それはキリストの前に虚しくされ、跪き、全をキリストに委ね切った森の牧者として立つ姿ですが、ようやくその謙虚さを学び始めることが出来るように思いました。

ご承知のように、共助会は、長い歴史を持っている京都共助会、松本共助会に加えて、今では各地に地方の共助会の交わりが生まれています。北から言えば、青森、新潟、福島、東京、東海、阪神、北九州の各共助会です。この地方での新しい交わりを参考にしながら、私は新たな提案をしたいと思います。その提案は、今立ち上げの準備を始めている「浪江・小高伝道を覚え、祈る会」の発足から示唆を受けたものです。お手元にお配りした文書をご覧ください。文面を紹介します。

3・11で被災した浪江・小高伝道所再建に関する素案

― 浪江に再び礼拝の明りを灯し、小高での礼拝を継続するために ―

Ⅰ.第Ⅰ期 「浪江・小高伝道を覚え、祈る会」

(1)呼びかけ人20名 (2)会の概容

①会員の期間

2022年6月1日~2025年3月31日の3年間。

②会員へお願いすること。

A.以下の3つの時を祈りに覚えてくださいますように。

・3月11日:2011年3月11日、東日本大震災が起き、津波及び東京電力福島第一原子力発電所事故により、浪江・小高の両伝道所が被災しました。

・4月22日:1903年4月22日小高伝道所が創立されました。

・4月28日:1928年4月28日浪江伝道所が創立されました。

B.1年に一度、浪江伝道所か小高伝道所の礼拝に出席していただければ感謝です。

C.会費はなく、自由献金です。

【振込先】お志のある方。

・銀 行 名:東邦銀行 ・支店名:小高支店

・預金種類:普通預金 ・口座名:小高教会

 口座番号:396982

※なお、礼拝はオンラインで視聴出来るようにする他、会員の皆様には、年に2回活動報告を、年度末に会計報告をお送りします。

Ⅱ.「祈る会」申し込み先 ※郵便・メール・Faxのいずれかでお申し込みください。

◆郵送:〒979―2124福島県南相馬市小高区本町1 ―47小高伝道所飯島 信

◆ e-mail:iijima8516@gmail.com

(共助会名簿のアドレスを変更してください。)

◆電話・Fax:0244-26-7310

・携帯:080-7010-2170

※第1期の会員目標数は52名です。

Ⅲ.2022年度礼拝開催日:

 いずれも時間は15時~16時です。

・浪江伝道所:毎月第1・3週です。但し8/7、11/6、2/5は休みます。

・小高伝道所:毎月第2・4週です。 

Ⅳ.交通・宿泊案内

【所在地】・小高伝道所:郵送先と同じ(小高駅より徒歩5分)

・浪江伝道所:〒979―1521福島県双葉郡浪江町大字権現堂字鬼久保39(浪江駅より徒歩7分)

(1)交 通

① JR:東京―仙台(新幹線・2時間)仙台―小高―浪江(常磐線・約1時間40分)

② 東京―いわき―浪江(特急・約3時間30分)浪江―小高(常磐線・8分)

③車:【東京外環、首都高経由の場合】

東京都内―(東京外環、首都高)― 三郷JCT―(常磐道)―浪江IC―(一般道)―浪江・小高

【圏央道経由の場合】東京都内―(圏央道)― つくばJCT ―(常磐道)―浪江IC―(一般道)― 浪江・小高

 (2)宿泊施設:インターネットで検索するか、直接お問い合わせください。

【浪江】「いこいの村・なみえ」(0240 ―34― 6161)双葉郡浪江町高瀬丈六10

 ※仮設住宅を改築したログハウスなどが快適です。

 「ホテル双葉の杜」(0240 ―23― 7099)双葉郡浪江町大字幾世橋字田中前8

 【小高】旅館「双葉屋旅館」(0244 ―32― 1618)南相馬市小高区東町1 ―40

(駅から徒歩1分)

このようにして、「浪江・小高伝道を覚え、祈る会」が始まります。(注:6月から始まりました。)この呼びかけで大切なことは、メンバーに財政的な支援をお願いするのではなく、年に一度、浪江伝道所か小高伝道所の礼拝を共に守っていただくことです。

共助会は、昨年春から新たに4人の友を、主任担任教師として地方伝道に送り出しました。佐伯 勲さん【秋田・鷹巣(たかのす)教会】、永口裕子さん【大阪・喜連(きれ)自由教会】、工藤浩栄さん【青森・藤崎教会】、それに私です。すでに地方伝道に取り組んでいる小野 弘さん【佐渡・相川キリスト教会】と小友 睦さん【青森・二戸教会】を加えれば、地方伝道に取り組んでいる主任担任教師は全部で6名、7つの教会と伝道所です。これらの友が牧する教会に、会員及び誌友が年に一度、どの教会でも良いので礼拝に出席することが出来ればと思います。そのことが、共助会の「主に在る友情」に生きる一つの在り方だと思うのです。またそのことを通して、地方伝道の困難さに自らが参与し、祈りを共にする。こうして地方教会は、キリストに在る友情に励まされながら伝道に勤しむことが出来ればと思います。

3・11前と比べて帰還した居住者の割合は、小高は3割、浪江は1割です。この先、どれほどこの割合が増えるかは厳しいものがあります。そうであればこそ、礼拝の継続が困難な現状にある地方教会に対して、自分の属する教会の礼拝を守ることから一歩踏み出し、地方に赴き、礼拝を共にすることが求められていると思います。現に教会員ただ一人の小高伝道所の礼拝は、3年余にわたって守られていますし、11年にわたって閉鎖されていた浪江伝道所の礼拝も、教派を超えて礼拝を共に守る人が与えられてこそ、その明りを灯すことが出来るのではないかと思います。

私が小高・浪江両伝道所に遣わされて今考えることは、教会は、教団の、バプテストの、救世軍の、ホーリネスなどの所属する教派の教会ではなく、カトリックも含めた全ての教派に開かれている「キリストの教会」であるという事実です。原始教会が立つ原点に立ち戻ってこそ、神様の祝福が与えられることを思います。被災経験を通して示された小高伝道所、浪江伝道所の礼拝の在り方、それは、組織としては日本基督教団に所属しながら、その内実はキリストの教会になることです。

思えば、明治初期に生まれた日本の教会は、どの教派にも属することのない独立教会を目指していました。1872年3月10日、横浜に生まれた日本最初のプロテスタント教会である日本基督公会について、植村正久は次のように述べています。

「吾輩は単に基督を宗とし、聖書を標準とし、毫も宗派に偏せず、又宗派的の名称を用ひず、自ら称して日本国基督教会といふ云々。斯くの如く設立せられたる初実の教会は、政治簡易に、信條単純にして、其の組織極めて自由寛大なるものにてありしなり。」(植村正久著「日本基督教会と云へる名称及び其の由来」『植村全集 第5巻 教会編』181頁)

続けて、彼の思いがさらに明らかになる言葉があります。

1877年10月3日、日本基督公会を継承した日本基督一致教会設立趣意書について語る彼の言葉です。「明治6年、同7年に於て今の東京新栄教会、神戸教会、大阪教会相次いで設立せらる。皆横浜の初実教会(注:日本基督公会)と主義を同じうし、無なる宗派の精神を抱き、簡易信條の規約に基づけるものなり。是等教会は、相約して日本基督教会なる名称を用ゐ、自今我が國に外國宗派の成立を拒絶せんとの覚悟にてありたり」。(『前掲書』182頁)

しかし、その後、日本のキリスト教界は外国ミッションの草刈り場となり、植村たちの願いは挫折して行きました。そのような歴史に思いを馳せる時、特に被災し、信徒の誰もいない浪江伝道所は、その扉を全ての教派に開けて良いのではないかと思います。否、むしろ、教派を超えたエキュメニカルな力によって、浪江伝道所の礼拝の明りを再び灯し、浪江、そして小高伝道の拠点としての役割を果たすことが出来ればと思います。もしこのような取り組み、即ち所属する教派を超えた伝道協力が実を結ぶなら、教団にしても、バプテストにしても、ホーリネスにしても、窮境にある地方教会の再生への道筋が見えて来るのではないかと思います。

共助会は、教派を超えての交わりという点で、すでに再生への道筋を先取りしています。

後は、会員・誌友それぞれが、祈りの内にいかに内実を創り出し得るか、それによって、これから先の地方伝道の在り方を示し得るのではないかと思います。祈りましょう。

(日本基督教団 小高伝道所・浪江伝道所牧師)