世に打ち勝つ者 ― 沢 正彦の召命 土肥 研一

説教2021年度 夏期信仰修養会[後半]開会礼拝

ヨハネの手紙一5章1―5節

昨年の春から秋の終わりにかけて、ヨハネの手紙一の説教をしました。コロナ禍の厳しい時でした。都内の教会は次々に礼拝を非公開にしました。当然のことであったと思います。目白町教会はどうすべきか。役員さんたちと毎週のように相談しつつ、とりあえず次の主日、そしてまた次の主日と礼拝を続けました。翌週どうなるか、わからない。その教会の歩みの中で、毎週仲間たちと聴くヨハネの手紙のみ言葉に、私自身とても励まされ、力を得ました。

ヨハネの手紙は紀元100年から120年ごろに書かれたと言われます。キリスト者への迫害が始まっていました。外に迫害の嵐が吹き荒れるだけでなく、教会の内にも亀裂が広がっていきます。内にも外にも共同体は危機にさらされていく。その中で共同体の牧者であるヨハネ牧師が(私は今、仮にこの手紙の筆者をヨハネ牧師と呼びたいと思いますが)、教会員たちに向けて、主の愛に立ち帰ろうと呼びかけていく。それがこのヨハネの手紙です。

遠い昔に語られたヨハネ牧師の言葉を、21世紀の東京で、コロナ禍の嵐の中にある自分たちに与えられた言葉として聞き続ける幸いを、昨年私はいただきました。

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今日ご一緒にお聞きしたのは、このヨハネの手紙一の最終章、結論となる箇所です。

5章1節「イエスがメシアであると信じる人は皆、神から生まれた者です。そして、生んでくださった方を愛する人は皆、その方から生まれた者をも愛します」

イエスはキリストである。メシア、救い主である。そう信じる者は、神から生まれた者なんだ。私たちは皆、母の胎から生まれてくる。これが第一の誕生。そして信仰をいただいて、もう一度生まれなおす。これが第二の誕生ですね。ヨハネ牧師はそのことを言っています。「イエスがメシアであると信じる人は皆、神から生まれた者です」。

そして続けて言います。「生んでくださった方を愛する人は皆、その方から生まれた者をも愛します」。この私を新しく生んでくださった方、すなわち父なる神さまを愛する者は、「その方から生まれた者」をも愛するんだ。

「御父から生まれた者」、誰のことでしょう。信仰の仲間たちのことです。神を愛する者は、信仰の友をも愛する。迫害のさなかで疑心暗鬼にかられ、内部分裂しかかっている教会に向けて、今ヨハネ牧師はそう語っている。「イエスがメシアであると信じる人は皆、神から生まれた者です。そして、生んでくださった方を愛する人は皆、その方から生まれた者をも愛します」。神を愛する垂直の愛が、友を愛する水平の愛へと広がっていく。

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このことは3節以降でさらに展開されています。

3―5節「神を愛するとは、神の掟を守ることです。神の掟は難しいものではありません。神から生まれた人は皆、世に打ち勝つからです。世に打ち勝つ勝利、それはわたしたちの信仰です。だれが世に打ち勝つか。イエスが神の子であると信じる者ではありませんか」

「神の掟」。これは隣人愛の掟です。5章の直前、4章21節にもこうありますね。「神を愛する人は、兄弟をも愛すべきです。これが、神から受けた掟です」。

この神の掟を守ることは難しいことではない。なぜなら4節「神から生まれた人は皆、世に打ち勝つからです」。これが今日のみ言葉の中心にある福音です。「神から生まれた人は皆、世に打ち勝つ」。だから、私たちは隣人愛の掟をまっとうすることができる。

ヨハネの手紙は、ヨハネ福音書の影響を強く受けて書かれています。ヨハネ福音書において、イエスさまは、ご自分が勝利者であることを明確に告げていましたね。十字架の直前に弟子たちに主は言いました。「あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている」(ヨハネ16・33)。

このイエスさまの勝利が、手紙では、信徒たちに分け与えられているんです。「神から生まれた人は皆、世に打ち勝つからです」。

そしてこの、世に対する勝利が、神の掟、つまり隣人愛の実践と結びつけられている。これが今日のみ言葉の、とても大切なところです。「神の掟は難しいものではありません。神から生まれた人は皆、世に打ち勝つからです」。信仰を持つ者は世に勝っている。だから隣人愛の掟を守ることができる。

裏を返せば、この世においては、隣人をおとしめ、隣人を自分のために利用し、その命を軽んじる、そういう生き方が大手をふるっているということでしょう。しかし信仰を持つ者は、そういうこの世の在り方に相対して、勝利することができる。隣人を搾取してなんとも思わないこの世にあらがい、勝利し、隣人を愛することができる。


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「神を愛するとは、神の掟を守ることです。神の掟は難しいものではありません。神から生まれた人は皆、世に打ち勝つからです。世に打ち勝つ勝利、それはわたしたちの信仰です。だれが世に打ち勝つか。イエスが神の子であると信じる者ではありませんか」
これは召し出しの言葉ですね。暗い世にあって、信仰者を召し出す言葉。隣人を軽んじて当然の顔をしているこの世にあって、そうではない生き方へと信仰者の覚醒を促す言葉。
沢 正彦さんも、そうやって招かれたのだと私は思います。沢 正彦さんは1939年4月、大分県杵築(きつき)市に七男一女の長男として生まれました。両親ともに熱心なクリスチャンであり、幼児洗礼を受けています。中学1年生のとき、お母さまを亡くしました。2年間の浪人を経て1960年、東京大学法学部に入学。安保闘争の時期であり、沢さん自身も魂の放浪の時でした。

1961年、大学2年生、22歳のとき、それまで通っていた小石川白山教会を離れます。そして友人の誘いで、私が現在、牧師を務めている目白町教会に出席するようになりました。

大学が安保闘争で揺れるのと軌を一にして、目白町教会もまた当時、混乱を抱えていました。その少し前、1959年、目白町教会の初代牧師である本間 誠先生が天に召されます。その後任として1960年に松隈敬三牧師が着任。しかし松隈先生が着任後まもなく、若い熱心な信徒たちが次々に教会を離れ、別の信仰へと入っていく。沢さんを目白町教会に導いた青年もまた、沢さんと入れ替わるようにして教会を去って行きました。

そういうさなかのことでした。沢さんが松隈先生に転入の願いを申し出たとき、松隈先生は喜びと同時に畏れをもって「他の教会に行ったほうが、君のためにはよいのではないか」と沢さんに勧めたそうです。しかし沢さんは目白町教会につながることを決断し、1962年、目白町教会において信仰告白をしました。23歳でした。

当時を振り返って沢さんが書いた文章を少し読んでみます。「目白町教会は、東京地方にあっては、中渋谷教会、井草教会と並んで共助の本拠地の一つに数えられていた。本間先生のお人柄が自然にそのようにしたのであろう。私は、本間誠先生には、一面識もないけれども、目白町教会の中に積み重ねられてきた共助会の雰囲気を吸い、松隈先生、教会の諸兄を通して共助の友を知る様になり、私の世界は急に広く深くなっていくことを感じたのであった」 

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沢さんは目白町教会員となり、共助会の交わりに加わり、献身の志を与えられます。大学卒業後、1964年東京神学大学の3年生に編入しました。そして間もなく人生を大きく変えるときを迎えます。やはり沢さんの文章から読んでみましょう。「東京神学大学三年に編入を許され、いよいよ神学の勉強にかかろうとする頃、日本でも、韓国でも、日韓条約の賛否で湧き立っていた。ちょうどこの時、在日大韓基督教会川崎教会の李仁夏牧師が、東神大のチャペルで話された説教が、今も頭を離れない。詳しい内容は忘れたが、それは『隣人不在』、即ち日本人は、キリストが命じられた隣人への愛を失っているということだった。日韓協定は、政治経済の利益の取引であり、両国の心の和解は、互いに横にいる隣人を、恵みによる隣人として受け止めることによって始まる。この心の和解こそは、キリスト者が先ず進んでしなければならないという趣旨のものだった。誰か、このために献身するものはないかとの説教者の呼びかけと祈祷を、私は自分に問われた神の言葉として受け止めざるを得なかった」

沢さんが東京神学大学に編入した1964年は、日韓条約締結の直前でした。その翌年、李仁夏牧師が東京神学大学の礼拝堂に立ち、神学生に説教をしたのです。 日韓条約は、人と人との和解を、政治経済の利益という視点からゆがめてしまっている。本当に必要なのは韓日の両国民が、横にいる隣人を、恵みによる隣人として受け止めあうことだ。ここから両国の真実の交わりは再開する。ここにキリストの和解の使者であるべきキリスト者の使命がある。「誰か、このために献身するものはないか」。

この炎のような呼びかけが、沢さんを捉え、沢さんを新しい使命へと押し出しました。別のところで沢さんは、「まるで雷の中からとどろくように聞こえる天啓の声を聞いた」と、このチャペルでの説教の経験を記しています。

この呼びかけを聞いた翌年1966年、共助会の大先輩である和田 正牧師の韓国問安に同行し、初めて韓国を訪問します。この旅での忘れられない出会いによって、日本人キリスト者として韓国に対する「贖罪」を担うとの使命が、沢さんの胸に刻まれます。そして翌1967年から2年間、東京神学大学大学院を休学して、韓国の延世大学校連合神学院に留学しました。さらに1973年、34歳のときから4年間、韓国の神学校と教会で働きました。

私は、この沢さんの力強い歩みに、今日のみ言葉を聞きなおす思いがします。「イエスがメシアであると信じる人は皆、神から生まれた者です。そして、生んでくださった方を愛する人は皆、その方から生まれた者をも愛します」。

あの東京神学大学のチャペルにおいて、沢さんもこのとき、神から生まれなおした。そして自分を生みなおしてくださった神を愛する愛が、隣人への愛へと開けていった。

「神を愛するとは、神の掟を守ることです。神の掟は難しいものではありません。神から生まれた人は皆、世に打ち勝つからです。世に打ち勝つ勝利、それはわたしたちの信仰です。だれが世に打ち勝つか。イエスが神の子であると信じる者ではありませんか」

日本には戦前戦後を通じて、朝鮮半島の人々に対する根深い差別意識があったのではないでしょうか。韓国の人に対しても文化に対しても、それを敬うまなざしに欠けていました。そのような日本社会において、しかし沢さんは、この世に打ち勝つことができた。ヨハネ牧師が記したとおりです。「神から生まれた人は皆、世に打ち勝つからです」。「だれが世に打ち勝つか。イエスが神の子であると信じる者ではありませんか」。

このみ言葉を証しするように生きた沢さんが、自分の人生を簡潔にまとめています。申命記26章のよく知られた信仰告白になぞらえて、ご自分の歩みを振り返っているその文章を読んでみます。

「私は人生の目標を失いかけた一さすらい人でありましたが、神は早くよりこんな私をも見出し選び、共助会の群れと出会わせ、神学校に導き、そこでみ言葉をもって隣り人に仕えよと命じてくださいました。神は一つ一つ道を開き給いて韓国に留学、宣教の機会をくださいました。日韓の歴史のひずみの中でイエス・キリストの贖罪を信じ歩むことを許され、韓国を乳と蜜の流れる地としておよそ七年間もかの地に生きました。主よこれからも韓国を愛し主の御用のために用いてください」

1980年、41歳の沢さんの言葉です。その前年、日本に帰国していました。2年の米国留学を経て韓国に戻るのですが、わずか2か月で韓国政府より出国命令を受け、日本に帰国せざるを得なかった。でもまだまだ自分がなすべきことがある。そう希望に燃えていた。「主よこれからも韓国を愛し主の御用のために用いてください」。沢さんの切なる祈りでした。

実際には、この9年後、1989年1月、49歳の若さで沢さんは亡くなります。私は今年2月に48歳になります。沢さんの無念を思わずにいられません。

ただ、最後に私はもう一つ、沢さんの言葉を紹介したいと思います。目白町教会の40年史に沢さんが、自分が神の召しに応え韓国に踏み出していったことについて記しています。「これは私個人の召命の問題もさることながら、もっと広い意味で、教会の召命の問題でもあろう。別の言葉で言えば、教会の召命があってこそ始めて、今日の私があるとも言えると思う」。

非常に重要なことが語られています。これは目白町教会の召命であり、共助会の召命なんだ。沢さんの生涯の終わりが、神の召命の終わりではないんです。

主を愛し、主の十字架の贖罪を信じる者は、世に打ち勝つことができる。キリストの勝利を分け与えられ、隣人を愛する歩みを始めることができる。この召命を生きた先達を誇りとし、その生涯に学びつつ、私たちも各々の現場でこの召命を受け継いでいきましょう。どんな働きがあなたを待っているのか、楽しみですね。今日から始まる新しい歩みに、神の祝福がありますように!

主な参考文献

『目白町教会四十年史』1969年

沢 正彦『韓国と日本の間で 贖罪的求道者の史観から』新教出版社、1993年

(日本基督教団 目白町教会牧師)