キリストが待っておられる 飯島 信
2023年度共助会総会 開会礼拝説教
イザヤ書43章19―20節 / テモテへの手紙二4章1―2節
讃美歌21―120「主はわがかいぬし」、21―579「主を仰ぎ見れば」
3月に行われた第8回韓日基督教共助会修練会は、これまでに行われた第7回までの修練会とは違い、言葉の壁をほとんど感じることのない集まりとなりました。それは、韓国側の主だった参加者が、日本語を話したり、理解することが出来たことによります。この事実は重要でした。
さらに、開会礼拝から閉会礼拝に至るまでの説教、発題、応答の全てが、事前に韓日両語に翻訳され、プログラムに印刷されていたことです。このことも修練会史上初めてのことでした。これらの事実から、私たちに改めて問われたことがあります。3点に分けて述べます。
① 大学礼拝堂の正面に大きく掲げられた第8回韓日基督教共助会修練会の横断幕から始まり、今触れたプログラムの冊子など、裵貞烈(ベチョンヨル)先生を始めとした韓南大学の方々が、今回の修練会のためにどれだけの費用と労力をかけられたのかです。そして、何故そこまでの準備をしてくださったのか、その問いが1つです。
② 今述べたこととも関連しますが、韓国ではすでに新学期が始まり、授業も行われ、しかも新入生を迎えた年度当初の猛烈な忙しさの中にあって、始めから終わりまでほとんど付きっ切りで集会に参加してくださった3人の教員の方々、裵貞烈(ベチョンヨル)、郭魯悦(カクロヨル )、高鉄雄(ゴウチョルウン)先生の心に深く宿っていた想いは何かです。その問いが2つ目です。
③ そして、韓南大学です。礼拝堂、会議室、食堂などを自由に使わせていただき、キャンパスも自由に行き交うことが出来、大学総長までも歓迎してくださったこの大学は、私たち共助会にとって何であったのか、そしてあろうとしているのか。それが3つ目の問いです。
これら3つの問いを考える時、確かに、韓南(ハンナム)大学日本語科の責任者である裵貞烈先生に対する同僚からの厚い信頼が、今回の韓日修練会の豊かな実りをなさしめた最大の要因であることは言うまでもありません。しかし、同時に私は、これだけの準備がなされた理由として、先生方の誠実さだけを考えることは出来ませんでした。やはり、昨年3月に行われた裵貞烈先生の入会式の時の印象が、裵先生を始め、郭先生や高先生、また参加してくださった日本語科の先生方の心に深く宿っていたように思うのです。それは、104年の歴史を刻んだ基督教共助会の精神を流れる「キリストの他、自由独立」と「主に在る友情」への招きであり、また誓約でした。そして、この友情への招きと誓約は、共助会の歴史そのものから命が与えられていることです。つまり、韓南大学の先生方がこれだけの準備をしてくださった理由ですが、裵ベ 先生や郭カク先生、高ゴウ先生の誠実さと共に、裵ベ 先生の入会式に参加された方々が共助会の命に触れたからだと思うのです。この命の泉は、105年の歴史を刻む2つのテーゼ「キリストの他、自由独立」と「主に在る友情」に生きた先達や私たちによって今なお豊かに湧き続けている、そのことを改めて教えられた修練会の日々でした。
3つ目の問いです。韓南大学とは私たちにとって何であるのかです。この問いへの答えは、大学という組織や建物に見出すのではなく、キャンパスで出会った大学人との関わりに見出したいと思います。それは、教員であり、学生でもあります。このことと関わり、一つの提案をしたいと思います。
2024年度、韓国共助会の新たな出発の証しに、韓国語版『共助』の刊行を始めたいと思います。少なくとも年に2回、出来れば年4回、春夏秋冬に韓国で印刷・配布します。韓国語版『共助』の編集スタッフは、韓国側と日本側から構成することを考えています。まず裵ベ 先生と相談し、実現に向けての歩みを始めることが出来ればと思います。出版費用は、これも裵ベ 先生と相談しますが、会計の角田さんを中心に新しい委員の方々とで検討したいと思います。これまで8回にわたる修練会に参加した延べ300名を超える方々にも協力していただければと願っています。
韓国共助会の歩みが途絶えそうになったのは、韓国共助会の働きとその存在の掛け替えのない意味を知る次の世代を得られなかったことです。その反省の上に立って、韓南(ハンナム)大学の大学人から始め、より多くの韓国の人々に共助会を知っていただくための行動を起こす、それが3つ目の問いに対する応答になるのだと思います。共助会創立105年、真のアジアとの和解のために、新たな一歩を踏み出します。私たちのこの願いが、御心に適うものであることを祈ります。
次に、2022年4月、立川教会を辞して、原発被災地の浪江伝道所と小高伝道所の牧師となった私のこれまでの歩みを短く報告します。初めに浪江伝道所から紹介します。浪江伝道所は会堂・牧師館共に今なお、半壊の査定が出ています。しかし、私は赴任した2022年4月の最初の礼拝を会堂でささげました。水道も電気もガスも通っていない中でした。
最初の1年間は、ひたすら浪江伝道所と小高伝道所の片付けに追われました。今振り返れば、明日がどうなるか全く予想すら出来なかった日々でした。浪江伝道所の写真にありますが、赴任する半年前の2021年夏、背丈を越える雑草に覆われて門から会堂入り口が見えなかった時、私は呆然と立ち尽くしていました。一体、ここで何が出来るのだろうかと。そして、カバンで雑草を払い除けながら入り口まで辿り着き、中に入りました。玄関の靴箱にも、台所の押し入れにも、会堂の天井にも穴が開き、小動物が出入りした跡を見ました。会堂のオルガンも合板が剥がれていました。ところが、一緒にいた同じ教区の瀬谷 寛牧師がオルガンの蓋を開け、試しに弾いたのです。すると、音が鳴りました。2011年以来、震災に耐え、一度も使われていなかったオルガンの音が鳴ったのです。讃美歌を弾き始めた瀬谷先生を見た私は、すぐに礼拝をしましょうと呼びかけ、彼と、共に来ていた東京神学大学の神学生と共に3人で讃美歌を歌い、祈りをささげました。10年ぶりに浪江伝道所でささげられた礼拝でした。
今、浪江伝道所では毎月第1と第3主日の午後3時から4時まで礼拝をささげています。午後に礼拝するのは、教会員が一人もいないため、午前の礼拝を終えた他教会の方が応援に来てくださるためです。小高伝道所も、この3月まで、第2と第4主日の午後に礼拝をささげていました。しかし、この4月から午前に戻しました。午後では、地元の人は予定が入ることが多く、礼拝に来ることが難しいことが分かったためです。教会員の方も賛成してくださったことにより、実現出来ました。以上、韓国共助会の新たな出発への想いと、小高と浪江の現況についてお話ししました。
今改めて思うのは、韓国の地においても、小高・浪江の地においても、すでにキリストは先だって働いておられ、共に働く者を待っておられたことです。私は、牧師としての職務を持った者として招かれました。その職務を負って、キリストの働きにほんのわずかでも良い、与らせていただきたいのです。
祈りましょう。
(日本基督教団 小高伝道所・浪江伝道所牧師)