聖書研究

最大の迫害者から、最大の伝道者へ 石田真一郎

【聖書研究 ガラテヤの信徒への手紙 第一回】

ガラテヤの信徒への手紙のテーマは「イエス・キリストの福音とは何か、福音に生きるとはどのようなことか」だと言えます。私たちは、福音を深く悟るために、この書を何回でも読み返すことが必要だと感じます。宗教改革者マルティン・ルターも、この書の講解書を記すほど、この書を重視しました。以下、新共同訳聖書の小見出しごとに区切って、私の文章を書きます。

「挨拶」(1~5節)

著者パウロはこの手紙の宛先を、「ガラテヤ地方の諸教会へ」と書きます。このガラテヤという地名が指す場所に2つの説があります(堀田雄康「ガラテヤの信徒への手紙」『新共同訳 新約聖書註解Ⅱ』日本基督教団出版局、1992年、156ページ)。①小アジア内陸中央部のアンキラ(現トルコのアンカラ)を中心とする周辺地域一帯(北ガラテヤ説)。②従来のガラテヤ人の定住地に南部の地方を合わせた地域(南ガラテヤ説)。北ガラテヤ説を採用すれば、この手紙は、パウロの第三回伝道旅行中に2年ないし3年間滞在したエフェソで書かれたと推測されます(紀元53年ごろ)。南ガラテヤ説を採れば、パウロの第一回伝道旅行後のエルサレムでの使徒会議(使徒言行録15章、紀元48年ごろ)の直前か直後にシリアのアンティオキアで、またはエルサレムに行く途中で書かれたと推定されます。どちらの説を採用しても、この手紙の内容の重要性に変わりはありません。

パウロは、4節で「キリストは、わたしたちの神であり父である方の御心に従い、この悪の世からわたしたちを救い出そうとして、御自身をわたしたちの罪のために献げてくださったのです」と、神様の基本的な愛の事実を述べています。この世界を「悪の世」と呼んでいます。もちろん究極的には、神様がこの世界を恵みの御手で支配しておられます。しかし聖書は、最初の人間たちエバとアダムが蛇(悪魔のシンボル)の誘惑に負け、悪魔の言葉に従って以来、人間が悪魔の支配に落ちてしまい、罪人になったと語ります。イエス・キリストは、悪魔と罪と死と律法の支配から私たち罪人を救い出し、解放するために、様々な危険もあるこの地上に、私たちと同じ肉体をもつ人間として、生まれてくださいました。クリスマスの出来事です。そして私たちの全部の罪の責任を背負って、十字架で死んでくださいました。私たちの僕になってくださいました。そして三日目に、父なる神様の愛によって復活させられました。イエス様の十字架の死と復活による福音こそが、ガラテヤの信徒への手紙の土台です。

「ほかの福音はない」(6~10節)

早速、最も重要なテーマに入ります。ガラテヤの教会の人々が、「ほかの福音」(6節)に惑わされていたからです。「ほかの福音」は偽物、悪魔から来るもので、福音ではありません。それは律法主義、割礼主義、自力主義、自己義認と言えます。パウロも、クリスチャンになる前はそれに生きていたのです。しかしその誤りを悟り、今はそれにはっきり対決しています。私たちも、あくまでもキリストの福音を土台に生かされることが必要です。「ほかの福音といっても、もう一つ別の福音があるわけではなく、ある人々があなたがたを惑わし、キリストの福音を覆そうとしているにすぎないのです。しかし、たとえわたしたち自身であれ、天使であれ、わたしたちがあなたがたに告げ知らせたものに反する福音を告げ知らせようとするならば、呪われるがよい」(7~8節)。

 「パウロが使徒として選ばれた次第」(11~24節)

パウロは11~12節で述べます。「兄弟たち、あなたがたにはっきり言います。わたしが告げ知らせた福音は、人によるものではありません。わたしはこの福音を人から受けたのでも教えられたのでもなく、イエス・キリストの啓示によって知らされたのです。」

福音は、ギリシア語原文でエウアンゲリオンです。「よい知らせ」の意味で、「エウ」が「よい」、「アンゲリオン」が「知らせ」です。英語ではグッドニュース、ゴスペルと呼びます。紀元前490年のマラトンの戦いで、アテネ軍がペルシア軍に勝ったとき、伝令がマラトンからアテネまで長距離を走って勝利を伝えた伝承がありますが、この時の勝利の知らせをエウンゲリオン(福音)と呼んだと聞きます。この故事になぞらえて言えば、聖書の福音は、イエス・キリストが十字架の死と復活によって、悪魔と罪と死の支配に勝利したことを告げる「よい知らせ」です。事実イエス様は、ヨハネによる福音書16章33節で、次のように福音を宣言しておられます。「あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている。」これは、聖書の中の最高の御言葉かもしれないと私は思います。イエス様が十字架の死と復活によって、既に世(悪魔、罪、死)に勝利されたので、自分の罪を悔い改めてイエス様につながる私たちも、すべての罪を赦され、神の子とされ、永遠の命と天国を約束されています。

「わたしはこの福音を人から受けたのでも教えられたのでもなく、イエス・キリストの啓示によって知らされたのです。」

まさにその通りで、パウロほど劇的に救われた人も珍しいのです。何しろ彼は、先頭を切ってクリスチャンたちを迫害する者でした。パウロの初めの名はサウロ(またはサウル)で、反キリストに生きる筆頭でした。使徒言行録9章によると、彼が迫害のために意気込んでダマスコに向かう途中で、突然、天からの光が彼の周りを照らし、復活されたイエス・キリストが彼に語りかけました。「サウル、サウル、なぜ、わたしを迫害するのか。」彼は三日間、目が見えなくなり、飲食しませんでした。イエス様から派遣されたアナニアというクリスチャンが、彼の上に手を置いて語りかけると、彼の両目からうろこのようなものが落ち、再び見えるようになり、洗礼を受けてクリスチャンになりました。両目からうろこのようなものが落ちたとき、彼の心から偏見や高慢(プライド)が取り除かれ、次第に物事をイエス様の目で見て判断することができるようになったのでしょう。

それまでのパウロは、「徹底的に神の教会を迫害し、滅ぼそうと」(13節)しており、「先祖からの伝承を守るのに人一倍熱心で、同胞の間では同じ年ごろの多くの者よりもユダヤ教に徹しようとして」(14節)いました。イエス様から最も遠く離れた人、反キリスト、反福音の人だったのです。この人が神の憐れみによって救われ、最大の伝道者になるとは、驚嘆すべき奇跡です。「ああ、神の富と知恵と知識の何と深いことか」(ローマ11・33)と神を賛美し、「キリストの愛の広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるかを理解し、人の知識をはるかに超えるこの愛を知るように」(エフェソ3・18~19)導かれます。ウルトラ頑固だったパウロでさえ、高慢の罪を悔い改めてイエス様を救い主と信じて救われたのなら、私たちの周囲のかたくなに見える方々にも、十分希望があるから祈っていこう、と勇気を与えられます。この神の愛についてパウロは、「以前、わたしは神を冒瀆する者、迫害する者、暴力を振るう者でした。しかし、信じていないとき知らずに行ったことなので、憐れみを受けました」(テモテへの手紙 一1章13節)と述べました。さらに「わたしは、(~)罪人の中で最たる者です」(同15節)と告白しています。

そしてパウロは、「わたしを母の胎内にあるときから選び分け、恵みによって召し出してくださった神が、御心のままに、御みこ 子(キリスト)をわたしに示して、その福音を異邦人に告げ知らせるようにされた」(ガラテヤ1・15~16)と語ります。私たちも、母親の胎内にあるときから、いえ、もっと前から神様に愛されているのです。「天地創造の前に、神はわたしたちを愛して、御自分の前で聖なる者、汚れのない者にしようと、キリストにおいてお選びになりました」(エフェソ1・4)とある通りです。

2年前に天に召された私の母親は、私が生まれる前に流産を経験しました。カトリックの洗礼を受けていたので、信頼するシスターに悲しみを話したようです。そのシスターがくださった手紙を、14、15年前に初めて私に見せてくれました。そんな手紙があったのかと、私は驚きました。英文ですが、読んでみると牧会者の手紙の模範のような内容でした。「かわいい赤ちゃんは、彼女の天の視点からは、この地上にいるより、あなたに近くなったのです。もちろん、この喪失があなたにもたらした大きな悲しみを、私たちは知っています。でも、あなた自身を、私たちの祝された主、世界全体を贖(あがな)う(救う)ために十字架の道を選ばれたイエス様と一体とするようにトライしてください。主イエス様の苦しみと死を通してのみ、人類は救いのチャンスを与えられたのです。悲しみに耐えている人より、このように書く者の方が容易だと分かっています。でも、神様ご自身が、あなたに送った十字架を担う力を与えてくださいます。最初の宝を、あなたは神様にお返しになりました。しかし神様はなお、子をもつ慰めを与えてくださいます。強くあってください。そして神様が、あなたに求めた犠牲によって、永遠の金(きん)を鋳造するすばらしい機会を与えられたことを理解してください。」

私が会ったことのないこのシスターも祈ってくださって、私と弟が生まれたと思います。自分が生まれる前に、このようなシスターとの交流があったことを、40歳を過ぎて初めて知りました。独身で自分では子どもをもたないシスターが、他人のために、真心を込めて、とりなしの祈りを祈ってくださる信仰にも心打たれます。パウロの母親も、子どもが生まれる前から祈っていたのでしょう。

さて、パウロは書きます「(わたしを)恵みによって召し出してくださった神が、御心のままに、御子をわたしに示して、その福音を異邦人に告げ知らせるようにされたとき、わたしは、すぐ血肉(けつにく)(人間のこと)に相談するようなことはせず、また、エルサレムに上って、わたしより先に使徒として召された人たちのもとに行くこともせず、アラビアに退いて、そこから再びダマスコに戻ったのでした」( 15~17節)。

このアラビア行きについて、使徒言行録は記しませんが、使徒言行録9章22節と23節の間の出来事と見るのが自然ではないかと思います。パウロが退いたアラビアとは、ナバタイ王国ではないかと言われます。彼はそこで神様に深く祈り、今後の自分の生き方と使命について深く思い巡らしたのではないかと思います。パウロは「すぐに血肉に相談せず」、自分より「先に使徒として召された人たちのもとに行くこともせず、アラビアに退い」たと書きます。人のアドヴァイスを受けるよりも、直接祈りによってイエス・キリストと深く交流し、自分の使命を明確にしたのでしょう。私たちにも、退いて祈る時は必要です。人生の転機において、聖書をよく読み、よく祈って、神からの導きをいただくことが必要です。

パウロの強烈な自覚は、1節にある通り、自分が「人々からでもなく、人を通してでもなく、イエス・キリストと、キリストを死者の中から復活させた父である神とによって使徒とされた」こと、自分が「キリストの僕(しもべ)」(10節)であることです。彼は6章17節では「わたしは、イエスの焼き印を身に受けている」と述べます。私たちクリスチャンも洗礼の時に「イエス・キリストの焼き印」を「ジューッ!」と身に受けています。

パウロは書きます。「それから三年後、ケファ(ペトロ)と知り合いになろうとしてエルサレムに上り、十五日間彼のもとに滞在しました」(18節)。イエス様の一番弟子のペトロと、まだ知り合いでなかったのですね。「キリストに結ばれているユダヤの諸教会の人々とは、顔見知りではありませんでした」(22 節)。

パウロは迫害者の筆頭でしたから、エルサレムのクリスチャンたちは最初は彼を信用せず、恐れました。しかし信用されていたバルナバのとりなしがあり(使徒。9・27)、人々はパウロをイエス様の使徒と認めるようになりました。彼らは「『かつて我々を迫害した者が、あの当時滅ぼそうとしていた信仰を、今は福音として告げ知らせている』と聞いて、わたしのことで神をほめたたえておりました」(23~24節)とパウロは書きます。エルサレムのクリスチャンたちは、まさに次のように讃美したかったでしょう。「ああ、神の富と知恵と知識のなんと深いことか」(ローマ11・33)。最大の迫害者を、最大の伝道者に造り変えなさった神様の御業です!(つづく)

(日本基督教団東久留米教会牧師)