説教

まことの礼拝を求めておられる 木村 葉子

「まことの礼拝をする者たちが、霊と真理をもって父を礼拝する時が来る。今がその時である。なぜなら、父はこのように礼拝する者を求めておられるからだ。」ヨハネ4・23

今年の夏は非常な酷暑が続きました。ガザでの目を覆う惨状、ウクライナ戦争。核保有大国の独善的言動に抗議する世界各都市の大規模デモのニュース。日本は敗戦から80年目を迎えましたが、政府が軍事拡大政策を進めていることに憂います。

秋分を迎えた朝、夏は枯れていた朝顔が季節を惜しむように大輪の花を咲かせました。「朝顔に、つるべとられて、もらい水」との句が懐かしく浮かびました。

世界が軋み、傷み、焦燥がおおう今、主イエスの言葉が静かに響いて来ます。

「心を騒がせてはならない。神を信じ、また私を信じなさい」(ヨハネ14・1)。「私は道であり、真理であり、命である。私を通らなければ、誰も父のもとに行くことができない。」(同6節)

井戸の側で一人のサマリアの女性も、イエスから直に「命に至る真理の道」を聞きました。彼女がそれを人々に伝えたことで、多くのサマリア人が福音を信じ、厚い敵対の壁を越えて異邦人の初穂となり、やがて諸民族に広がる先駆けとなりました。

「そこにはヤコブの井戸があった。イエスは旅に疲れて、そのまま井戸のそばに座っておられた。正午ごろのこと、サマリアの女が水を汲みに来た。イエスは、『水を飲ませてください』と言われた。弟子たちは食べ物を買うために町に行っていた」。(ヨハネ4・5―8)

疲れて喉が渇いた人の頼みに彼女は驚き冷淡でした。「ユダヤ人が、どうしてサマリア人に飲み水を頼むのですか」。当時、ユダヤ人は、サマリア人を民族的にも宗教的にも蔑み互いに口も聞かなかったからです。さらに誰にも遇わないように真昼に水汲みに来たのですから。その彼女にイエスは「もし、あなたが、神の賜物を知り、また、水を頼んだが者が誰であるか知っていたら、あなたの方から生きた水をくださいと頼み、わたしは与えましたよ。」(ヨハネ同10節)イエスは彼女を神に救われるべきかけがえのない存在としてご覧になっていました。彼女はおやっと思い態度を改め「主よ、でも井戸は深いし、あなたは汲む綱も桶もないのにどうやって汲むのですか。この井戸を与えたヤコブ様より偉いというのですか。もっと良い泉があるのですか。」ヤコブの井戸は、イスラエル12部族の父祖ヤコブに由来し、彼はイスラエルの父祖であり、特にサマリア人の祖先でした。ソロモン王国の後、北イスラエルと南ユダに分裂し、北はアッシリアに滅ぼされ、植民地にされ、サマリア人は混血で、異教の偶像礼拝が混入しました。ユダヤ人は、彼らは、神のイスラエル契約の恵みから外れていると蔑視していました。

「この水を飲んでもまたすぐのどが渇く。しかし、わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で湧き出る泉となり、いつまでも永遠の命で潤すのです。」(同13、14節)イエスは、人を根底から潤し全人的に生かす、生きた水、神の賜物について語られたのです。彼女は、特別な物質の水と思い、ぜひその水が欲しいと頼みました。すると「夫をここに呼んで来なさい」と意外な言葉。「わたしには夫はいません」と彼女が答えると、イエスは「『夫はいません』とは、まさにそのとおりです。あなたには五人の夫がいたが、今連れ添っているのは夫ではない。あなたは、本当のことを言いましたね。」彼女は、「主よ、あなたは預言者だとお見受けします。」(同17~19節)

イエスは、彼女の隠したい生活を全てご存じでした。なぜ、イエスはこんな私事に踏み込まれたのでしょうか。飛躍した会話です。彼女は人に会えばいつも非難されてばかり。しかし、この方は、井戸で遇っただけの私に、神の賜物や生きた水を与えようと言って下さった。「夫を……」といわれた時、何故か素直に事実を言った。「私のことを全て、言い当てた。」(29節)。しかも、「あなたは本当のことを言った。真実を語った」と受け止めて認めて下さった。特別なお方なのだろうか。そうだ、民を導く偉い預言者に違いない。

イエスにより、彼女の暗い心へ一条の光がさし込みました。痛み、失望した心が、私も健やかに人間らしく幸せに生きたいと思われて、今まで関心もなかった「魂の救い」に心が向けられました。では、救いの神を礼拝するためには、どこに行けばよいの。尋ねてみよう。「サマリア人はゲリジム山で礼拝しますが、ユダヤ人はエルサレム神殿だけが正統といいます。どちらが正しいのですか。」

イエスは、「婦人よ、わたしを信じなさい。この山でも、エルサレムでもない所で、父を礼拝する時がます。」(同21節)場所など問題ではありません。サマリア人は神様を何も知らないでモーセ五書だけを手にして偶像に汚された礼拝をしていますが、「わたしたちは、知っているものを礼拝している。救いはユダヤ人から来るからだ。」(同22節)ユダヤ人は偶像礼拝はダメとは知っている。救い主メシアがユダヤ人から出ることも知っている。しかし、多くの預言者が告発したように、どちらも偽りで汚され、神の求める礼拝には程遠い。祭司らは真実を語らず、国の権力者と共に富と欲望を求め、国の進路を誤らせ、民は飼う者のない羊のように弱り果てています。

「しかし、まことの礼拝をする者たちが、霊と真理をもって父を礼拝する時が来る。今がその時である。なぜなら、父はこのように礼拝する者を求めておられるからだ。」(同23節)

「神は霊である。だから、神を礼拝する者は、霊と真理をもって礼拝しなければならない。」(同24節)神は霊なる聖い方だから、まことの礼拝は、聖霊の助けと真理に導かれます。神の前に誠実に偽りなく本当の願いを打ち明けて祈り、罪を示されたら悔い改めて、悪から離れることです。神は、罪より救い出し、魂をきよめ、良心を目覚めさせ立ち上がらせてくださいます。「神の求めるいけにえは、打ち砕かれた霊、打ち砕かれ悔いる心を、神よ、あなたは、侮られません。」(詩51・19)

「傷ついた葦を折ることなく、暗くなってゆく灯心を消すことなく。」(イザヤ書42・3)神は、弱く絶望して滅びに瀕している者を見捨てません。

「父」とは、御子を救い主として与えられたキリスト・イエスの御父なる「聖なる父」です。主イエスが十字架の受難の前日に、「聖なる父よ」と聖名によって愛する弟子たちの守りを祈られました。(ヨハネ17・11)弟子たちが、「世の光」、「地の塩」となって神の国のために働くからです。世界の諸国民の誰もが、真理を求めて、まことの礼拝をするように。 

彼女は「わたしは、キリストと呼ばれるメシアが来られることは知っています。その時、一切のことを知らせてくださいます。」と、神の救いの約束に心が向けられました。 「それは、あなたと話をしているこのわたしである。」(同26節)イエスご自身から、救い主と告げられたのです。それを聞くと、彼女の心は踊り、人が変わったように急いで街に行き、人々に「わたしは、救い主にお会いした。さあ来てください」とメシアの到来を伝えずにはいられませんでした。イエスの言葉を真実と受けとめて、心は希望に満ち新生へと開かれました。

この夏の真昼、私は路上で転び、病院へ行った8月6日は、広島原爆の日、入院し手術した翌日9日は、長崎の原爆の日でした。同時期の共助会修養会開催を覚え祝福を祈りつつ。両日ともテレビで平和祈念式典を視聴しました。広島県知事湯崎英彦氏が「核のない新しい安全保障を作ることを国に求め、長崎市長鈴木史郎氏が、「核戦争に突き進む人類存亡の危機」を強く訴え、胸に迫りました。特に、1982年、国連本部で被爆者山口仙二氏が自らの傷を見せ、ノーモア・ヒバクシャと叫んだ証言が世界を動かしたことと、昨年ノーベル平和賞を受賞した被団協が56年結成されたその愛の動機と歩みでした。被爆者は心と体に深い傷を負い、差別や困窮にもがき苦しむ中、「自らを救うとともに、私たちの体験を通して、人類の危機を救おう」と決意し宣言。「人類は核兵器をなくすことができる」。「地球市民」の視点こそ、分断された世界をつなぎとめる原動力になる。被爆者は行動でそう示しました。

70年の歩みは厳しい苦労の連続でした。広島で学徒動員の引率者中、共に被爆した森滝市郎氏は、「力の文明でなく愛の文明へ」を胸に、被爆孤児救済、署名、原水禁、米ソの核実験反対に長期のべ5千人の座り込み。世界一周行脚で、科学者を訪ね歩き86年原水禁世界大会で「核は人類と共存できない」と宣言。被団協の全員が、核廃絶運動の、地道な非暴力の平和運動を闘い続け、ついに、世界と連帯して核兵器禁止条約、核兵器不拡散条約(NPT)が成立を見ました。この80年間、世界で核戦争が無かったことは偶然ではない。何度も危機的な状況に瀕し、危機一髪で避けられてきたのも、根強い反核平和運動の声があってこそ。核のボタンを握る国の最高責任者らが、その瀬戸際、生命を選ぶ決断を強く後押しました。だれもが人間らしい命を宝と輝かして生きられる社会を作りたい。「地球市民」のために誠実に真実に自らの苦難を捧げて取り組んできた方々の貴い働きが平和を支えました。

私は小学2年の時、高1の姉に連れられ「丸木夫妻の原爆の図」を見ました。私の小学校が会場となり教室いっぱいの大画面の絵の何と恐ろしかったことか。恐怖に震え次の教室に逃げるとそこも地獄絵でした。

姉と行く所はいつも文化祭の演劇「夕鶴」など楽しい所でしたがこの日は最悪でした。これが私の戦争体験。幼い魂は教会学校や讃美歌「主われを愛す」などで守られてきたことを思い感謝です。

私は、高校の物理科教員となり、科学を学ぶことは、自分の存在を探求すること。科学の益と危険性は、人間の利用に関わる両刃の剣、原爆や原発の危険性を語りました。大学時代、生化学の村上進先生が開かれた読書会から愛読したパスカルの「パンセ」の言葉、「人間は考える葦である」、「人間の偉大さと悲惨さ」についても語りました。

広島へ引率で平和学習修学旅行に行った時、生徒会が手作りの「平和宣言」をし、それを中国新聞が取材し記事にして生徒を喜ばせ励ましてくれました。2003年3月イラク戦争の勃発前、東京の渋谷でも戦争反対の一万人のデモがありました。当時の生徒会が戦争反対のそれぞれの意見と思いを寄せ書きにして、全クラス、部活ごとに集めて発信し、生徒会年誌に載せ残っています。

今や、主キリストが来られたことにより、「地には平和」(ルカ2・14)は、神の平和の戒めであり平和への招きです。私たちの生活は、すべて他の人々の働きや富と深く関り、また各自問題を抱えて生きています。誰もそこにある善悪を単純化することはできません。まことの礼拝を求められている私たちはキリストの言葉と罪の赦しに深く錨を下ろして謙遜に、キリストの愛に倣って歩めるようにお祈りいたします。

(ウェスレアン・ホーリネス教団 ひばりが丘北教会協力牧師)