苦難をも誇りとし 金山弥平

以下は、8月13日に北白川教会で語った証しを短くしたものです。取り上げた聖書箇所はロマ書5章3―4節でした。

昨年7月、全く思いがけず肝内胆管癌が見つかりました。手術と術前術後の抗癌剤治療とコロナ禍のため、礼拝は長期欠席せざるをえず、復帰したのは今年4月9日のイースターでした。日曜学校の子どもたちには病気のことをすでに告げていますが、大人の皆様の前でお話しするのは今日が初めてです。 昨年7月、潰瘍性大腸炎の症状が見られ、バプテスト病院に大腸内視鏡検査の予約に行ったところ、たまたま撮ったCTで肝臓に大きな影が映っていました。直ちに京大病院肝胆膵の診察を受けましたが、癌は巨大化しており、手術は無理のように見えました。しかし、何とか10月17日に肝臓を30%残して癌を切除することができました。手術と抗癌剤治療は、通常のこうした治療の副作用に加えて、持病の変形性股関節症、膝関節症、また左脛から足首にかけての疼痛を増悪させました。 この間、私を支えた聖書の言葉の一つは、私が座るのも立つのも神は知りたもう、という詩編139編の言葉でした。これは15年前、私が車に撥ねられた後、私を支え続けた言葉でした(詳しくは「北白川通信」2010年34号をご覧ください)。2008年11月27日(木)夜11時、私は、単身赴任先の名古屋大学の研究室からアパートに帰る途中、四谷通3丁目の交差点の横断歩道で背後から右折してきた車高2メートルのバンに撥ねられました。間一髪で助かった私はこの時第二の生を得、また今回の癌の手術では、第三の生を得たとも言えます。15年前の事故は単なる偶然だとは思えません。理由は多々ありますが、二つだけ紹介します。 11月24日(月)、私が名古屋に向かって家を出る朝、妻が、今時は、向こうから車がぶつかってくることがあるから気をつけるようにと言いました。事故の瞬間、黒い車が突然目の前に現れた時、私は妻の言葉を思い出し、心の中で「ごめん」と言いました。重心を右足から左足に移して一歩下がり、体重を右足にかけた瞬間、身体は後方2メートル辺りに飛ばされていました。クッションとなったリュックが、背中と頭を道路に打ち付けるのを防いでくれました。車の側面は私の顎と胸をかすめ、バンパーは左腓骨を砕き、「く」の字に折れ曲がった足首の骨は露出していました。もう少し素早く動けていたらとは思いますが、しかし速く動こうとして足を踏みしめていたら逆に手間取り、車にまともにぶつかっていたでしょう。家を出た時の妻の言葉が私の「ごめん」を引き出し、体の自然な動きを生んで私の命を救ったのです。

12月6日(土)には病院を退院しました。家で年を越して名古屋に戻ったのは翌年1月12日(月)、成人の日です。単位の都合上、無理をしてでも授業をする必要があったのです。その日は早めに大学に行き、山積する仕事の片づけをしました。心配する妻は、明るい内にアパートへ帰るようにと何度も研究室に電話をかけてきましたが、部屋を出たのは結局19時30分でした。慣れない松葉杖歩行で手も腕も悲鳴を上げ、アパートまで辿り着けそうにありませんでした。休み休み学内を通って四谷通りを目指しましたが、事故にあった交差点は避け、手前の大学郵便局前の横断歩道に向かいました。赤信号の前で暫し休息をとって、青信号で渡り始めた時、どこからか私の名を呼ぶ声が聞こえてきました。事故現場の方から来て停止していた車から誰かが呼んでいます。声の主は私を撥ねた青年でした。「家に帰られるのですか。送りましょうか」と言ってくれたので、私は晩御飯を買いたいと告げました。彼は、私が担ぎ込まれた八事日赤病院方面に向かい、その手前のコンビニに連れて行ってくれました。私はコンビニ弁当を買い、それからアパートまで送ってもらいました。私を乗せた救急車が通っていった道を、私は、私を撥ねた車でコンビニまで乗せていってもらい、そこからUターンをして、私が横たわっていた横断歩道の上を、私を撥ねた車で通過していったのです。その場所を通りながら、彼に「生きていて、お互いに本当によかった」と言うと、彼は頷いていました。

弱い力しかもたない人間は、協力によって滅びを免れてきた動物です。それ故、その本性には助け合いが組み込まれています。隣人を傷つける時、我々は自身の本性に反することを為しています。人の命を奪うことは、自分の自然本性にダメージを与えることなのです。しかし中には平気で隣人を傷つける人間もいます。毎日のニュースに見られる通りです。こうした人間の魂はどうなっているのでしょうか。プラトン『国家』によれば、人間の魂は三つの部分から成っています。① 生物が生きていくために必要な欲求の源泉である動物的部分。② 名誉を求め、怒りを発するライオン的部分。③ 何が善かを思考する人間的部分です。本来なら、人間的部分の味方となるべきライオン的部分は、往々にして動物的部分の味方になります。サタンの罠は巧妙です。ある人間が富と権力を得、動物的部分の欲求を満たしていくと、その部分は肥大化し、仕舞にはライオンもすくみ上がる怪物になります。世の独裁者の魂においては、巨大な怪物と、臆病なライオンと、善悪の思考が機能不全に陥った人間が癒着して一つになっています。

怪物へと育っていく芽は私の内にもあります。ソクラテスはプラトン『パイドロス』で、日々、自分は怪物テュポンより恐ろしい生きものか、穏やかで単純な生きものかを考察していると言っています。富と力は、容易に我々を、針の穴を通れないラクダ状況に追い込みます。事故による障碍は、私が自分の欲望を満たし、名誉ある成果を上げるのを困難にしました。しかし、それは必ずしも悪いことではありませんでした。ハンディは、それを受け入れ、うまく用いれば善にもなりますし、悪として憎むなら悪にもなります。

私が忘れることのできない光景があります。事故後しばらくは、名古屋に向かうべく京都駅に行く時には、家からタクシーを利用しました。その際に七条大橋で見かけた、京都駅に向かう歩行者の姿です。それは、事故に遭う前に私が名古屋に向けて急いでいる姿でした。その時、いつか自分も自分の脚で京都駅に向かえるようになれば、どんなに素晴らしいかと思いました。ところが実際にそれができるようになると、私は不幸になり始めました。横断歩道の上でひっくり返っていた時には、ただ生きていること、家族を悲しませないでいられること、それだけで無上の喜びでした。ところが身体が回復するにつれて、もっと色々なことができているはずなのにという思いが生じ、私の現状を否定するようになりました。その思いの源には、私の動物的な部分の不満、ライオン的な名誉欲、そしてこれら二つの部分に追随してしまう私の人間的な弱さがあります。そうした時、私は、横断歩道で仰向けになり、雨降り注ぐ夜の天を見上げ、生きている感覚に満たされていた「私」に立ち返ります。この時、私は、立つのも伏すのも見守っておられる神を身近に感じ、動物とライオンはおとなしくなります。

現在、私が生の様々な局面で繰り返す言葉があります。

Prioritize. A. B. C. Discard C(優先順序をつけよ。A、B、C。 Cは捨てよ)です。これは、ポジティブ心理学者のマーティン・ セリグマンが、著書Flourish の中で、ロンダ・コーナム准将の 言葉として紹介しているものです。セリグマンは2009年、ア メリカン・フットボールの名コーチ、ピート・キャロルのトー ク会場に、特殊部隊の兵士、情報将校、心理学者、数人の将軍 からなる100名のゲストと共に出席しましたが、その折に キャロルがフロアの人たちに与えた課題が、2分以内に単語 25 語以内で自身の人生哲学を書き記せというものであり、その課 題に応えることのできた人の一人がコーナムでした。それは たった6語、Prioritize. A. B. C. Discard C でした。

コーナムは、湾岸戦争に航空部隊の従軍医として参加しましたが、1991年2月、ヘリコプターが撃墜され、3か月間イ ラクで捕虜になりました。撃墜時、両腕と指を骨折、弾丸負傷、 膝の靭帯切断を負い、また現場から搬送される車の後部座席で、 一人のイラク人兵士から性的虐待を受けました。彼女はこの体 験について、帰国後の『ニューヨーク・タイムズ』記者とのインタビューで次のように語っています。「1991年のあの冬の イラクでの性的虐待をランク付けするなら『不快なこと』とな る。」彼女は、自分が受けた虐待と他のありえた被害を比較しま す。あの虐待は、彼女が捕虜となっている場から逃れるのを不 可能にするようなものか、死の危険を伴ったものか、何らかの 能力を永遠に喪失させるものか、外見・姿を永遠に損なうもの か、耐え難い苦しみをもたらすものか。これら五つのどれにも 当てはまらないとすれば重要なことではない。これが彼女の結 論でした。

私たちの価値観はみな違っており、誰もがコーナムと同じよ うに考えることができるわけではないし、そうするのが善いと も限りません。しかし、Prioritize. A. B. C. Discard C は、試みる価値のある言葉です。これはC以下の切り捨てを命じるもの ではありません。AやBが解決を見れば、Prioritize. C. D. E. Discard E. になるのです。

キリスト教のAとBは何でしょうか。Aは、心を尽くし、精 神を尽くし、力を尽くし、思いを尽くして、神を愛すること、B は、隣人を自分のように愛すること(ルカ 10 : 25 ― 29 )でしょう。 しかし、神を愛するとはどういうことでしょうか。この質問に対するヒントとなるのが「天国は幼な子のような者の国である」というイエスの言葉(マタイ 19 : 13 ― 14 )です。 幼な子は全身全霊 をもって親を愛しています。親の愛に絶対的な信頼を寄せてい ます。そして親を愛しているが故に、親の期待に沿って行為しようとします。しかも幼な子は、自分を愛するように隣人を愛 します。なぜなら、人は幼少期には自他の区別がなく、例えば、 他の子が泣いていると、その悲しみを自分のものとして感じ、慰め、痛みを軽くしようとするからです。エンパシーと呼ばれる この共感の感情は、一人では生きていけない人間が、助け合っ て生きていくのを可能にしました。大人になっても、魂が怪物 化していない限り、私たちにはその感覚と傾向が残っています。

しかし私たちは、幼な子のようになることはできますが、幼 な子そのものになることはできません。知恵の木の実を食べた からです。知恵から学んだ何かが、親への全面的な信頼を困難 にしたのです。では何を学んだのでしょうか。我々に豊かさを もたらした技術もその一つでしょう。技術が与えてくれた富と力は、天国への入り口を狭くしました。また、知恵の実は、自 他の区別を教え、自分と異質の存在としての他者への恐れを生 みました。さらに我々は、規範・義務・戒めを知るようになりました。これを知ったことは、戒めを遂行できない自分への恥 と、他者からの叱責への恐れの感情を生みました。そして叱責を恐れるあまり、自分に一番近いものさえも裏切るようになり ました。「あなたがわたしと共にいるようにしてくださった女が、木から取って与えたので、食べました」(創3 : 12 )と言う アダムの言葉は、妻と神への責任転嫁というかたちで、最も愛すべきものへの裏切りを示しています。

そしてアダムとエバは楽園を追放されました。そこには神の 深い配慮があります。仮に楽園にとどまって労苦を知らなかったなら、汗を流さずに過ごせる時は、権威の神を恐れ、戒めに 従いえない責任を互いに押し付け合う苦しみの時間となったで しょう。しかし苦労は、互いに協力する必要をもたらしました。 朝から汗を流して働き、その成果を、焚火を囲んで共に食する 彼らは、自分の仕事への誇りと満足感、神と互いへの感謝、労わり合い、愛、明日への希望と決意に満たされていたでしょう。

次に神の命令のBを考えてみましょう。「自分を愛するように 愛する」とはどういうことなのでしょう。「自分」とは端的に言 えば、神への愛において疎(おろそ)かにしてはならない「心」 と「精神」と「力」と「思い」、そのすべてです。しかし、それ らはそれぞれ何なのでしょう。「心」はギリシア語では「カル ディアー」、英語のheart、物質的には心臓ですが、heart は色々 な状況でドキドキします。「感情」とも呼べるものです。「精神」 はギリシア語では「プシューケー」、日本語で「魂」と訳される ものですが、これは「息」、「呼吸」と関係する語であり、「いのち」とも関係しています。「力」、「イスキュス」は、心の力も身 体の力も含みます。これら三つの活動の主体は、先に挙げた動 物的部分とライオン的部分です。そして「思い」は「ディアノ イア」、これは「思考」とも訳される語ですが、色々と考え、最善の道を探っていく能力であり、魂の人間的な部分に属するも のです。「自分」とはこれらのすべてです。その自分を愛しなさ い、そしてその自分を愛するように隣人を愛しなさい、とイエ スは言われるのです。

愛すべき隣人の中には家族も含まれます。家族のうちのパートナーや子孫だけでなく、父や母も含まれます。十戒にも「汝の父母をうやまえ」と記されている通りです。しかし、父や母を敬うことが戒めとなっているのは、守ることが容易ではないからです。私自身にとっても父は権威であり、権威は、愛と敬いとは別のもの、何か障害になるものをも生み出します。そのことと関連して思い出されることがあります。ある時、父の本棚に一冊の本を見つけました。思春期、色々と思い悩んでいた頃でした。本棚に見出したデール・カーネギーの『道は開ける』には、鉛筆でたくさんの線が引かれていました。鉛筆の線は、色々と思い悩む「人間」としての父、私の「隣人」である父の姿を示していました。カーネギーの本は聖書の言葉に溢れています。「だから、明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である」(マタイ6:34)。この部分についてカーネギーは次のように書いています。「あらゆる手段を用いて明日のために配慮すべきである。そうだ、注意深く配慮し、計画を立て、準備せよ。だが思い悩むな」。

カーネギーによると、ヨーロッパが第二次大戦の災禍に覆われた頃、ニューヨーク・タイムズの発行人のアーサー・ヘイズ・サルズバーガーは、将来について思い悩み、慢性的な不眠症に陥りました。しかし、今日ご一緒に歌った讃美歌288番が、わずか5語の簡潔な指針を彼に与えてくれました。One step enough for me(ひとあし、それで私には十分である)です。そこから彼は平安を得ます。「ひとあし、またひとあし」、小さなひとあしを続けていけばよい、神はそう教えておられます。

One step enough for me というのは、実際の道を歩く日々の中で、私が現に行っていることです。痛みのために目的地に達するのが困難な時には、ひとあし、それで十分と考え、一歩、そしてつぎの一歩を繰り返していくのです。かつての私は、朝起きた時、しばしば暗いムードのうちにありました。そのムードが一日を支配することがよくありました。それは、私の動物的部分とライオン的部分が一緒になって発する毒気のようなものでした。今でも、私が眠っているあいだに、動物とライオンは秘かに相談し、画策します。ところが、この「自分」が生み出す毒気が、ある時期から減少したのです。それは、交通事故に遭った頃と重なります。そして事故の後、事故の後遺症で変形性股関節症になり、脚の痛みがひどくなると毒気はさらに減りました。人間は二つの痛みを同時に感じることはできません。一度に感じることのできる痛みは一つだけです。常時、脚の痛みを感じるようになってから、一歩一歩の痛みが、心の痛みという毒気を打ち消すようになりました。しかも、動物的部分とライオン的部分は、身体の痛みを解決しようとして熟考する私の人間的部分の協力者になりました。それだけではなく、癌との闘いでも、両者は私の免疫力を増し加えるべく、健康な食欲とリハビリに向かう気力の源となってくれています。両者の協力のもと、私の全細胞が、癌細胞というテロリストと闘ってくれています。また、周囲を見渡せば、じつに多くの人が私を励まし、支えてくれています。癌という苦難のお陰で、私に優しい心を向けてくれる人が、それまで知らなかった人も含めてどんなに多いことか、ということに私は気づかされました。そして、そのことを感謝する幸いを与えられました。もちろん病気は善いものではありません。しかし、神はその善くないものを善いものに変えてくださるのです。

今回、癌が見つかった時、私は限られた余命のことを考えました。その際に頭に浮かんだのが、ストア派エピクテトス『要録』 17 の次の言葉です。

君は舞台監督が望む種類の演劇に登場する俳優なのだ。短い演劇なら短い演劇の、長い演劇なら長い演劇の。君が物乞いの役を演じることを監督が望むなら、それもまた気高く演ぜよ。障碍者であれ、支配者であれ、名なき私人であれ、与えられた役を美しくこなしていくこと、それが君の任務である。配役を決めるのは他の者の為すことなのだ。

神が、上演時間の短い台本を私に与えられたのであれば、その短い劇の中で美しく私の役を演じていくこと、それを目標にしようと決意しました。そして具体的な俳優のことも考えました。皆さんは中村仲蔵の名をご存じでしょうか。落語の人情噺、林家正蔵『中村仲蔵』の一席から少し紹介しましょう。名門の出でないにもかかわらず名題にまで出世した仲蔵は、『仮名手本忠臣蔵』の興行で、斧定九郎という、普通は名題下がつとめる端役、たった一つを与えられます。失意の中、いっそ役者を辞めてしまおうかとまで思いつめた時、女房のお岸が、この配役には何か意味があるはずだ、だから「そんなに腹ぁ立てないで、何とか工夫をして、ご見物にも幕内にも、あたしたちにも、いい定九郎を見せてくださいな、どうぞお骨折りなすってくださいな」と言って、夫をたしなめ励まします。この言葉に力を得て、仲蔵は、錦絵から躍り出たような、今日演じられる定九郎を生み出すのです。お岸の言葉は、神から、家族から、友人から、私の人生の歩みで出会う人たちから、宇宙全体から、私の身体の臓器や細胞から、私の耳に響いてきます。その励ましに応えるべく、神が私のために自ら書いてくださった台本の人生について、「ご見物にも幕内にも、あたしたちにも」、いい芝居を見せられるように、ひとあし、ひとあしを工夫していきたいと思うのです。

(日本基督教団 北白川教会員)