説教

勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている〜飯島 信

【2016年度 基督教共助会 総会開会礼拝説教】

「イエスはお答えになった。『今ようやく、信じるようになったのか。だがあなたがたが散らされて自分の家に帰ってしまい、わたしをひとりきりにする時が来る。いや、既に来ている。しかし、わたしはひとりではない。父がともにいてくださるからだ。これらのことを話したのは、あなたがたがわたしによって平和を得るためである。あなたがたは世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている。』」

(ヨハネによる福音書 第16章31―33節)

ここ数年、私の心を捕らえて離さない問題意識があります。

ここ数年と言いましたが、良く考えれば、この問題意識は実は学生時代にまで遡ります。

つまり、1970年代から40年以上にわたって私の心の中に存在し続け、ある時は鮮明に浮かび上がり、またある時には忘れ去ってしまったかのようであったのですが、しかし、今の日本の時代の動きの中で、この問題意識はかつてなかったほどに鮮明になって来ています。それは、一言で言えば、歴史を生きる視点、言葉を換えて言えば、歴史をどう評価し、その反省の上に立って今をどう生きるか、という問題意識です。

私にとって、このような問題意識がおぼろげながら心の中に浮かんで来た最初の出来事は、靖国神社国営化法案反対の署名活動を行っていた渋谷駅頭で経験したことでした。70年代初めです。靖国神社国営化の動きがその勢いを強めていた頃、月に1度、礼拝が終わると、私の教会の青年は誘い合って、他の教会の青年と一緒に靖国国営化反対の署名活動を行うために渋谷に行っていました。

ある時のことです。

署名板を持っている私の所に、1人の初老の男性が近づいて来て、突然片方のズボンをまくりあげて私に傷跡を見せました。戦場で受けた貫通銃創の跡でした。そして、「俺の戦友は、靖国に祀られている。お国のために死んだ者が祀られている靖国を国が護持するのは当然だろう。お前はなぜ反対するのか」と詰め寄って来たのです。

また、ある時のことでした。

道行く人々に署名を呼びかけている私の前を通った1人の中年の女性が、私に向かって唾を吐いたのです。無言でした。

40年を経た今でも忘れることの出来ない経験です。

そして、それと同時に、そのような経験を味わいつつ、私の中に1つの思いが浮かんでいました。それは、先の男性にしても女性の肉親にしても、アジア太平洋戦争の戦時下においては、「お国のために死ぬ」ことが絶対的な善とされ、良しとされる中で生きて来たはずです。しかし、日本の敗戦後は一転して、戦後民主主義を基とした平和国家日本の歩みの中で、戦没者遺族たちは侵略戦争の加担者として同じ日本社会から糾弾され、日陰の道を歩ませられて来たのです。彼らの私に対する憤りは、自分達に対する日本社会の裏切りへの怒りではないかと思えたのです。

私は署名板を持ちながら、彼/彼女のやり場の無い憤りを真正面から受け止め、共に明日の日本への展望を共有することがなければ、私たちの運動の勝利は無いと思えたのです。

それが、私の心を捕らえて離さない問題意識の一つです。

あと1つのことがあります。

それは、今述べたこととも深い関わりを持つことですが、「過ちの中にあった」と断罪された歴史の中に生きた人々は、その存在全てが悪と見做され、否定されなければならないのかということです。裏返していえば、「正しい」と評価された歴史の中に生きた人々は、たとえその個人がどのような問題を持っていたとしても、それらは問われずにいて良いのかということです。

『きけ、わだつみのこえ』に収録されている1人のキリスト者の青年がいました。母に宛てたその遺書には「お母さん、私は讃美歌を歌いながら敵艦に突っ込みます」とありました。彼の死をどのように受け止めるのかと問うことでもあります。

私たちの戦後社会は、日本帝国主義による無謀な侵略戦争の尖兵としての死は、犬死としました。もちろん私は、いかなる理由があろうとも、日本のアジア侵略を認めることは出来ません。それによって、どれだけ多くのアジアの人々が犠牲となったか計り知れませんし、アジア太平洋戦争に至る一切の責任は日本にあり、取り分け開戦を決めた昭和天皇及び戦争を遂行した軍部の責任は重いと思っています。

その事実は少しも揺るがせにすることは出来ないことを前提にしつつ、「英雄」ともてはやした死を一転して「犬死」とする戦後の日本社会に内在する問題に気が付きつつも、私はその問題を真剣に問うことをして来ませんでした。そして、時代が今この時を迎えて、私はこの問題を放置したまま、今の時代に立ち向かうことは出来ないと思ったのです。

それでは、これらの問題をどのように考えて行ったら良いのでしょうか?

この時、ふと聖書の中のある場面を思い出します。ルカによる福音書7章1節から10節に記されている箇所で、百人隊長の信仰をイエス様が称えた場面です。ユダヤがローマの圧政下にあったこの時、百人隊長はその圧政を担う尖兵でした。そのローマ軍の百人隊長の信仰をイエス様は称えるのです。

政治と宗教を切り離して考えることは出来ません。1人の人間の実存は、宗教的でありつつ同時に政治的でもあるからです。しかし、この場面が私達に語っているのは、百人隊長は、政治的にはローマの圧政を担う存在でありつつ、宗教的にはユダヤ人でも見ることの出来ない信仰の持ち主であったことです。そして、イエス様は隊長の信仰を褒め称えました。たとえローマの兵士であっても、彼の信仰は素晴らしいとイエス様は語られました。

熱河宣教を批判する視点が、澤崎堅造(1907~1945)の伝道の業そのものに対する内在的な批判であるなら、その批判を聞く余地はあります。しかし、三光作戦の舞台となった熱河の地で、三光作戦の犠牲となった住民を救い、反帝国主義の戦いに立ち上がらなかったという批判は的を外れていると思うのです。澤崎は、反軍・反帝国主義の戦いに参与するために熱河の地へ行ったのではありません。中国への侵略戦争によって人々を苦しめている日本人の罪を自ら背負い、許しと共にキリストを証するために熱河へと入ったのです。澤崎は、政治的解放者としてのイエス様を追ったのではなく、澤崎が追い求めたのは、贖罪の十字架を背負ったキリストでした。侵略の尖兵となり、中国人への虐殺を繰り返す日本人の罪を負い、そして熱河の民の救いのために、今なお十字架に架かっておられるイエス様の苦しみに少しでも与るために熱河へと向かったのです。

 冒頭に紹介した心にかかる問題に戻ります。

清水二郎先生が言われていた「共助会らしい社会問題への取り組み方」という言葉が、私の心の問題に一筋の光を与えます。

どれほど宗教的に優れた人間であっても、社会に生きている限り、政治的状況から切り離されて生きることは出来ません。しかし、政治的、あるいは社会的状況が人間にとって全てかと言えば、決してそうではないのです。いかなる悪と見做される政治状況に生きていようとも、あるいはいかなる悪と見做される社会状況に生きていようとも、その人は神の国に生きることは許されるのです。その人の心の内に神の国を迎え入れさえすれば、です。

肉親の死に、戦友の死に、裏切られた思いを持つ彼/彼女と出会うためには、遺された者の心の痛みにどこまでも寄り添う姿勢を示し続けることです。ただその一点を共有することから出会いが始まるのではないでしょうか?

讃美歌を歌いながら敵艦に体当たりをして行った特攻隊員とはどこで出会えるのでしょうか? 私はこの時、彼の信仰に思いを馳せます。イエス様による救いを、命終わる最期の場でも信じ、讃美し、告白する彼の信仰をです。そこでなら出会えるかも知れません。

「共助会らしい社会問題への取り組み方」とは、政治・社会状況の中での私達の立ち位置を絶対視しない取り組み方です。皆が皆同じではなく、立ち位置によって信仰の有る無しを判断することは出来ません。安保法制賛成のキリスト者もいれば、反対のキリスト者もいます。あるいは、ためらいの中にいるキリスト者もいます。そのような中で、自分と意見の異なる他者を裁くことなく、しかし、必要であれば議論を尽しながら、政治・社会に責任を持つ私たちの歩みを創り出して行きたいと思います。

共助会は、使命を帯びた伝道団体です。私たちの小さな群れの拠って立つ所は贖罪の信仰です。ただその一点において一致する「キリストの他自由独立」かつ「主に在る友情に生きる」群れ、それが共助会です。

いついかなる政治・社会状況が私たちを取り囲もうとも、贖罪の信仰を堅持し、「勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている」とのイエス様の御言葉に聴き従う小さき群れとして、この一年の歩みを全うしたいと願うのです。