追悼

主イエス・キリストに結ばれて 鈴木 善姫

「あなたがたは、主キリスト・イエスを受け入れたのですから、キリストに結ばれて歩みなさい。」(コロサイの信徒への手紙2章6節)

私が尾崎先生ご夫妻に出会ったのは「共助会」に入会したのがきっかけです。

東京神学大学に在学中であった私は、伝道者になるための訓練過程である学校の「夏期伝道実習」で在日大韓基督教会所属の京都教会で夏期休み中の40日位を過ごすこととなりました。そして、そこの教会員を通して小笠原亮一先生と佐伯勲先生に出会い、「共助会」のことを知りました。その後佐伯先生と李仁夏先生のお勧めもあり、入会することになったのです。短い期間ではありましたが小笠原先生ご夫妻と佐伯先生ご夫妻とのお交わりを通して伝えられた「共助会」の方々相互間の主イエスに結ばれている厚い連帯感と家族のような温かさが不思議と思えるほどの強烈な印象を私に与えてくれました。それが私もその仲間の一人になりたいという思いを引き起こさせ、入会するに至らせたと思います。

その時に会長の働きを担っておられた尾崎風伍先生の優しいのですが威厳ある風采は何となく近づきにくい感じがしました。しかし、その隣には気さくに話しかけてくださるマリ子先生がおられました。

ある日、マリ子先生のお誘いで、久我山教会で牧会をなさっておられた時ですが、夕食に誘われて訪問したことがありました。風伍先生が車で駅まで迎えに来てくださり、ご自宅に着いたらエプロンをしておられたマリ子先生が笑いながら「ようこそ!」と大きなお声で迎えてくださったのを思い出します。食卓には盛り付けのサラダや熱々したシチューが既に備えられていました。柔らくなった肉の味から長い時間煮込んだのが分かりました。当時の私にとってはとても贅沢な料理であったのです。無口のように感じられた風伍先生も、そしてマリ子先生も私の緊張をほぐしてくださるかのようにいろいろな話をしてくださいました。先生ご夫妻の若い日のこと、献身のお話、家族のことや教会のことなど、様々なお話を聞かせてくださり、また私の話にも耳を傾けてくださいました。その雰囲気に連れられ、時間の流れも忘れて結構長い時間お邪魔していたと思います。当時の詳しい話ははっきり覚えていませんが、お二人の優しさが身に染みるほど感じられた時間でした。

その後、「共助会」の集まりの時はマリ子先生に親しみを覚えていつも近づいている私がいました。学校卒業後には目の前のことに追われてお会いする機会が少なくなっていましたが、その日の記憶がいつも私の胸にあり、マリ子先生を天国に送る葬儀式の時もそのときのことを思い出しながら感謝の挨拶をしました。

今私が牧会している海老名教会は尾崎先生ご夫妻がご自宅で子どもたちへの伝道活動を始めたのがきっかけになって生まれた教会です。風伍先生は逝去される間近まで、車いすに座っていながらも礼拝に出席されたようで、教会の方々のお話によると当時無牧であった海老名教会のことを案じて涙を流しながら祈っておられたようです。コロナのことで静岡のホームに入所しておられたマリ子先生にはお会いすることができませんでしたが、近所に住んでおられるお嬢さんを通して最後まで穏やかな生活を送っておられたと聞いています。

他国で寂しく、心細かった一人の留学生のために、お忙しい中たっぷりと時間を使って豊かなひと時を与えてくださった尾崎先生ご夫妻のことを思い、主イエス・キリストに結ばれた者の生き方を垣間見たのです。そして、主イエスに結ばれて生きる幸いと共に、私自身の生き方も問われるような気がしてやまない気持であるのです。

(日本基督教団 海老名教会牧師)