追悼

母 尾嵜(尾崎)マリ子を想う 尾嵜令

本日は、お忙しい中、母のためにお集まりいただきましてありがとうございます。

母は2023年12月1日、深夜過ぎに、伊豆にあります伊東市民病院にて天に召されました。私は看取ることができませんでしたが、苦しむことなく穏やかに最期を迎えたと聞いています。11月28日に無事に最後の誕生日を迎え、93歳で亡き父のもとへ逝くことができ、神様に感謝しています。

牧師を隠退してからの母についてご存じない方がいらっしゃると思いますので、お話をしたいと思います。

今から10年以上前に、久我山教会の牧師を最後に父と共に79歳で隠退し、三鷹のマンションに5年ほど居ました。この間に、マンションのベランダで転倒した際に頭を強く打ち、三鷹の赤十字病院に入院、手術を受けたことがあります。その後退院するのですが、後遺症があったのでしょうか。それから記憶が途切れることが多く、日常生活に支障をきたすようになりました。当時、母の手帳には様々な大事な用事が書きこまれており、その全てをキャンセルしたようです。その後、三鷹での生活が困難となり、海老名の自宅に戻りますが、認知症の症状が顕著に出始めました。母の症状の進み具合は遅かったのか、最後まで妹の亜紀と私のことがわかっていたようです。話したことはすぐ忘れますが、時には笑いを交えながら会話をしていました。

生活が大きく変わり始めたのは、海老名市の特別養護老人ホームの施設に入所してからです。母の症状に合わせて薬を処方していたのですが、その調整が難しかったのか、急に眠ることが多い状態が続くようになり、食事をすることが困難になって十分な栄養が取れなくなりました。そのままの状態では危険と判断され、海老名総合病院に入院。その後は点滴をし、晩年の四年間は胃ろうによる栄養補給処置が取られます。この間は、ほとんど寝たきり状態となり、伊東市民病院にて最期を迎えました。

母につきましては、皆さんもご存じのように、性格は明るく、誰に対しても優しく接していました。今思えば、母の周辺には笑いが絶えなかったように思います。

また、母は多才で、私たちが小さい頃は自宅で近所の方々を集めて人形をつくり、幼稚園で人形劇をしていました。中学生の頃には、華道・茶道を教えたり、中高生に勉強を教えたりしていた時期があります。その合間をぬって、教会ではオルガンの奏楽者です。私は知らなかったのですが、東京YWCAの「留学生の母親」運動にも参加していました。これは、留学生との交流を通して世界の平和を願う運動です。母が支援した留学生がマレーシアのヨンタイコンさんでした。今日は妹のチンウンさんが来てくださっています。チンウンさんはお兄さんを通して私の両親と親しくなり、日本で結婚して家族を持ちました。私たちとはもう40年来の付き合いになります。今日の祭壇には赤いバラが飾られています。これは、お兄さんが初めて母と会ったときに、隠して持っていた一本の赤いバラを母に差し出したそうで、母はその情熱的なお兄さんをとても気に入ったということです。今日は妹さんのたっての希望で飾らせていただきました。その他、CMCC(悩み電話相談)やFEBC(キリスト教放送局)にも携わっていました。その傍ら、牧師として説教の準備もしていたようです。

とにかく、本当に忙しい母でありました。そんな母でしたから、牧師になっても人からの依頼を断ることもなく、毎日忙しい生活を送っていました。その母がある日突然、何もできなくなり、もう5年が過ぎます。この間、母がどんな気持ちでいたかは分かりませんが、まだまだやり残した事があったのではないかと思います。牧師を隠退して、父とゆっくりした時間を過ごす事が出来なかったのは、本当に残念でなりません。父は4年前に89歳で天に召され、そして母のこの地上での歩みは93歳で終えることになりました。父と母の今までの歩みを振り返った時に、私自身、思い起こされる聖書の箇所があります。マタイによる福音書5章16節です。

「あなたがたの光を人々の前に輝かし、そして、人々があなたがたのよいおこないを見て、天にいますあなたがたの父をあがめるようにしなさい」

教会の方であれば、誰もが一度は耳にするみ言葉です。

父と母の神様への信仰、その生涯の歩み・生き方は、聖書で現されるところの地上で照らされる光、そして、ともし火のように私の中で思えてきます。聖書で意味するところの伝道でないとしても、父と母の信仰・生き方にどれほど多くの方々が共感し、共に歩んだか分かりません。私が見聞きし、また、両について書き記された物を読みますと、父と母は生前、多くの方々と深いつながりを持ち、お互いに信頼し合い、喜びを分かち合う関係が築かれていたことが分かります。これは、やはり両親の飾ることのない信仰生活が、神様への信仰を通して、多くの方々と結びついたように思います。それは、ここに居る皆さんであり、亜紀と私です。

父と母の信仰は、私たち二人を神様への信仰に導いただけでなく、日本で私たちは教会の多くの方々と出会い、繋がることができました。教会の方々の優しさに触れ、育てられた私たちです。本当に感謝しています。

晩年、母は病院・施設合わせて8カ所ほど移りました。その間、多くの方にお見舞いに来ていただき、母はとても喜んでいました。特に、伊豆にあります十字の園の施設では、伊東教会の牧師先生による礼拝に参加することができ、とても良い時間を過ごすことが出来たと思います。そして、伊東市民病院においても病床聖餐をしていただき、母は最期まで神様に守られ、多くの方々の祈りに支えられました。深く感謝をいたします。

父と母のこの地上での歩みは終わりを迎えましたが、皆さんの中に、両親と共有した時間をこれからも大切にしていただけたら、父と母は喜ぶと思います。

本日は、本当にありがとうございました。

(日本基督教団 甲和北伝道所)