志垣 暹(あきら)牧師先生追悼 鷹野禮子
2023年のクリスマスを前にして、12月2日、 岩村田教会28代牧師、社会福祉法人湧泉会小雀保育園の初代理事長であった志垣 暹先生が天に召された。93歳のご生涯であった。日本基督教団 岩村田教会、社会福祉法人 湧泉会 小
続きを読む2023年のクリスマスを前にして、12月2日、 岩村田教会28代牧師、社会福祉法人湧泉会小雀保育園の初代理事長であった志垣 暹先生が天に召された。93歳のご生涯であった。日本基督教団 岩村田教会、社会福祉法人 湧泉会 小
続きを読む一 私が志垣先生と出会ったのは1970年春、国際基督教大学を辞めて佐久に引きこもった時だ。あとでわかったことだが先生は1930年5月7日韓国のお生れ、幼い時に父上を亡くし、母上の手ひとつで育てられた。敗戦後、母上のご郷里
続きを読む創世記28・15より 「見よ、わたしはあなたと共にいる。あなたがどこへ行っても、わたしはあなたを守る。わたしは決してあなたを見捨てない。」 コリントの信徒への手紙二4・14― 15 「主イエスを復活させた神が、イエスと共
続きを読む橋爪長三(ちょうぞう)兄は私の夫裕司のすぐ上の兄で、5人兄弟の下から2人目に当たる。生家は天竜川が流れる長野県伊那市の駅近くにあり、当時食料品を商っていた。家族に聞くところによれば二人の関係は、兄が釣り竿を持って「釣り行
続きを読むハワーちゃんは8歳のかわいい女の子です。生まれながら右手に障害があり、手を開いたり、握ったりすることが出来ません。それでも左手を上手に使いながら、何でも出来る賢い子どもです。しかし障害があるため、様々な差別を受けてきまし
続きを読む先生が天国へ凱旋なされ、早や3か月が過ぎました。東海教区北信分区婦人研修会(2013年9月28日)におきまして、ご多忙のなか講師をお受けくださり「人権について考える」、サブタイトル「ハンセン病回復者及び身体障害者に対する
続きを読む一 「一いちじつ日の長」という言葉がある。若い人にはもはや廃語かも知れぬ。私はこれを中学の時、『論語』で教わった。『広辞苑』(第七版)にはまず、「他の人より少し年をとっていること」(論語第十一先進篇)とあり、次に「経験や
続きを読む【葬儀説教―2023年4月6日 12時30分より】 コリント前書 13章1、4~7節 先週の月曜日(3/27)、楠川寛子さんからお電話をいただきました。徹さんの具合がこの数日で急に悪くなってきたというのです。翌々日(3/
続きを読む父の葬送式で思い出をスライド付きで話そうと、実家にある古いアルバムをいくつかめくってみました。私たち姉妹にとって父の最初の記憶は60年代にロンドンに駐在していた頃のはずですが、母が撮った白黒写真以外には残念ながら父のイメ
続きを読む2020年10月3日(土)、午前8時半ごろ、順夫人が娘さんの恵里さんが住んでいる大阪の施設に入られる日であった。青森空港で待っている教会の方(空港内の部屋を借りて青森教会の方と小さな祈祷会を持つそうで)のために恵里さんが
続きを読む1 毎年誰よりも早くクリスマス・カードを下さっていた奥田義孝さんが亡くなった(4月9日85歳)。それから半年、敬愛の思いはいやますばかりである。義孝さんは人も知る成孝(しげたか)先生の一粒種。三菱銀行や森永製菓での実業人
続きを読む私は直接薫陶を受けた世代ではない故に、また北白川教会で育てられた故に、奥田成孝牧師に対して強い関心を抱いてきました。『追悼文集』や『一筋の道』などは、何百回は誇大ですが何十回では過少かな、と言える程には読みました。奥田牧
続きを読む追悼 宮原守男氏 敬愛する宮原守男さんは2021年12月14日(火)の午前1時5分にご自宅で栄子夫人とご家族に見守られながら安らかにご召天なさいました。1928年2月20日に福岡でお生まれになっていますので、93歳10か
続きを読む追悼 山田玲子氏 一 2021年11月5日、山田玲子さんが亡くなった。享年97歳。中渋谷教会本城仰太牧師による意を尽した葬儀があった。 小学校入学以来、戦前戦中戦後の厳しい時代、信仰を貫いて生きた玲子さんを敬愛する人は多
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