田辺明子さんの思い出 林 貞子
もう30年にもなろうか、明子さんがドイツへ留学なさった時、関西国際空港へ見送りに行ったのが親しくなるきっかけとなった。それも奥田成孝先生ご夫妻は本当によく京都駅まで教会員の見送りに出かけられていたことが心にあったので、見
続きを読むもう30年にもなろうか、明子さんがドイツへ留学なさった時、関西国際空港へ見送りに行ったのが親しくなるきっかけとなった。それも奥田成孝先生ご夫妻は本当によく京都駅まで教会員の見送りに出かけられていたことが心にあったので、見
続きを読む私は京大文学部基督(キリスト)教学で田辺明子さんの後輩として学んだ者で、片柳榮一と申します。学部に入った時、田辺さん(当時は鈴木さんでしたが)は、大学院生でした。雲の上の人と思っていましたが、やがて私が属していた京都の北
続きを読む2024年6月4日福田佳也さんが亡くなった。享年86歳。2020年の『共助』第7号「私の歩み」に共助会との関わりが寄稿されている。ここではご生涯のアウトラインを年代順に記し、いくつかのことを(私見を交えて)つけ加えよう。
続きを読む昨年の12月11日に敬愛する田中邦夫兄が天に召された。最後に電話で話せたのは、その二週間ほど前で、その時はほとんど聴力を失っておられた。一方的に話させて欲しいと断り、 20分ほど話しつづけた。まず、信仰によって与えられる
続きを読む1972年4月、神学校を出たばかりの私は、何もわからないまま中渋谷教会の伝道師として招かれました。その時、佐古純一郎牧師から尾崎風伍・マリ子ご夫妻を紹介されました。細い眼をした優しい笑顔の風伍長老と同じく明るい笑顔のマリ
続きを読む「あなたがたは、主キリスト・イエスを受け入れたのですから、キリストに結ばれて歩みなさい。」(コロサイの信徒への手紙2章6節) 私が尾崎先生ご夫妻に出会ったのは「共助会」に入会したのがきっかけです。 東京神学大学に在学中で
続きを読む本日は、お忙しい中、母のためにお集まりいただきましてありがとうございます。 母は2023年12月1日、深夜過ぎに、伊豆にあります伊東市民病院にて天に召されました。私は看取ることができませんでしたが、苦しむことなく穏やかに
続きを読む母尾崎マリ子が心に留め大事にしていた事、直接に聞いた事はありませんが、聖書に問う「神の家族」について多くの文章を残しています。「家族との関わり」、「今家族の意味を問う」、「新しい家族の絆を求めて」、「神の家族として教会」
続きを読む2023年のクリスマスを前にして、12月2日、 岩村田教会28代牧師、社会福祉法人湧泉会小雀保育園の初代理事長であった志垣 暹先生が天に召された。93歳のご生涯であった。日本基督教団 岩村田教会、社会福祉法人 湧泉会 小
続きを読む一 私が志垣先生と出会ったのは1970年春、国際基督教大学を辞めて佐久に引きこもった時だ。あとでわかったことだが先生は1930年5月7日韓国のお生れ、幼い時に父上を亡くし、母上の手ひとつで育てられた。敗戦後、母上のご郷里
続きを読む創世記28・15より 「見よ、わたしはあなたと共にいる。あなたがどこへ行っても、わたしはあなたを守る。わたしは決してあなたを見捨てない。」 コリントの信徒への手紙二4・14― 15 「主イエスを復活させた神が、イエスと共
続きを読む橋爪長三(ちょうぞう)兄は私の夫裕司のすぐ上の兄で、5人兄弟の下から2人目に当たる。生家は天竜川が流れる長野県伊那市の駅近くにあり、当時食料品を商っていた。家族に聞くところによれば二人の関係は、兄が釣り竿を持って「釣り行
続きを読むハワーちゃんは8歳のかわいい女の子です。生まれながら右手に障害があり、手を開いたり、握ったりすることが出来ません。それでも左手を上手に使いながら、何でも出来る賢い子どもです。しかし障害があるため、様々な差別を受けてきまし
続きを読む先生が天国へ凱旋なされ、早や3か月が過ぎました。東海教区北信分区婦人研修会(2013年9月28日)におきまして、ご多忙のなか講師をお受けくださり「人権について考える」、サブタイトル「ハンセン病回復者及び身体障害者に対する
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