【追悼 伊藤允喜氏】想い出 伊藤サチ子
夫の伊藤允喜(よしのぶ)は73年間中渋谷教会に於いてお導きいただき、また共助会に於いてもお導き頂き、皆々様とのお交わりもいただきまして神様に心より感謝をお捧げいたします。
中渋谷教会の『百年史』を紐解きますと(現在103年)森先生時代の初期共助会について「キリストの他自由独立」「主にある友情を重んじる」と記され、日本の伝道を心深く祈っていられたことが記されてあります。私共も小さな力であってもこの森先生の心をいただいて歩んでいくことを祈ります。
共助会の毎年の修養会にはお近くの内田文二様が自動車でお迎えにいらして下さり参加することができ、有難いことでした。私は「みやげ話」が楽しみでした。
允喜は航空局に勤めます公務員でした。昭和22年に就職しましたので、戦後制空権が日本に移行する時に働きアメリカのオクラホマ研修所で「レーダーコース」を学び(2年間渡米)飛行検査官として働きました。この仕事を本人は大変喜んでおりました。退職後は沖電気にて2002年(80歳)迄健康で働くことができました。オクラホマでは教会に参りお親しいお交わりをいただきました。そして「今度は奥様を必ず連れて来る様にと約束し」私の退職後お訪ねして楽しいお交わりをすることができました。とても嬉しいことでした。戦後のことで決して語学力があるわけでもなく英語では苦労をしたと言っておりました。
会員の伊吹由歌子さんは75年前の戦争におけることどもを、外国の方々と、また外国をお訪ねして詳らかになさりながら深いお交わり、お互いの研究を深めていらっしゃるそのお働きに心からの感謝でございます。とても大切なお働きと思っております。中渋谷教会にてお親しいお交わりをいただいています。
今は亡き叔父大嶋功からも共助会について聞いておりましたが、幼稚園の働きで伺うことができませんでした。
最後に共助会の歩みを神様が導き、守られるよう心よりお祈り申し上げます。
《次の詩は、嶋田順好先生(現宮城学院中高大学の院長)から頂きました。私の現在の歩みは、この詩の通りと思いながら歩んでおります。》
「天に一人を増しぬ」 セラ・ゲラルデナ・ストック作
植村 正久訳
家には一人を減じたり 楽しき団欒は破れたり
愛する顔 いつもの席に見えぬぞ悲しき
さはれ 天に一人を増しぬ 清められ 救はれ
全うせられしもの一人を
家には一人を減じたり 帰るを迎ふる声一つ見えずなりぬ
行くを送る言葉 一つ消え失せぬ
別るることの絶えてなき浜辺に
一つの霊魂は上陸せり 天に一人を増しぬ
家には一人を減じたり 門を入るにも死別の哀れにたえず
内に入れば空きし席を見るも涙なり
さはれ はるか彼方に 我らの行くを待ちつつ
天に一人を増しぬ
家には一人を減じたり 弱く浅ましき人情の霧立ち蔽いて
歩みもしどろに 目も暗し
さはれ みくらよりの日の輝き出でぬ
天に一人を増しぬ
げに天に一人を増しぬ 土の型にねじこまれて
キリストを見るの目暗く 愛の冷ややかなること
いかで我らの家なるべき 顔を合はせて吾が君を見まつらん
かしここそ家なれ また天なれ
地には一人を減じたり その苦痛 悲哀 労働を分かつべき
一人を減じたり
旅人の日ごとの十字架をになふべき一人を減じたり
さはれ あがなわれし霊の冠をいただくべきもの一人を
天の家に増しぬ
天に一人を増しぬ 曇りし日もこの一念に輝かん
感謝 讃美の題目 更に加はり
吾らの霊魂を天の故郷に引きかかぐるくさりの環
更に一つの環を加へられしなり
家に一人を増しぬ 分かるることのたえてなき家に
一人も失はるることなかるべき家に
主イエスよ 天の家庭に君と共に座すべき席を
我らすべてにも与えたまえ
(日本基督教団 中渋谷教会員)
【略歴】
1923年
5月6日 伊藤康一郎・志げ乃の次男として、
愛知県豊橋市に生まれる。
旧制愛知県立豊橋中学校を経て、旧制早稲田大学早
稲田高等学院理工学部で学ぶ。
1945年 5月25日東京空襲で負傷するも47年9月に卒業
1947年 中渋谷教会へ通い始め、5月25日ペンテコステに山本茂男牧師司式により受洗
41年にわたって教会学校の働きを担い、また書記長老、会計長老なども務める
同年 10月逓信省航空保安部(後に運輸省航空局)に勤務
1954年 10 月16日、大嶋サチ子と結婚長男義裕、長女晶子を授かる
2020年 9月7日 97 歳にて逝去
9月10日 本城仰太牧師司式により、中渋谷教会にて葬儀