「アッバ、父よ」説教:片柳 榮一
■2020年6月7日(日)聖霊降臨節第2主日
■ロマ書 8章12―16節
昨週はペンテコステの礼拝でしたが、最初のキリスト者を全世界へと向かわせたのは、聖霊の経験であることは、多くの研究者もいうように、疑いありません。確かに私たちにとっては、聖霊というのは分かりずらいものです。今世界的にもキリスト教の活動が盛んなところでは、いわゆる熱狂的な忘我状態を求めるような聖霊理解が支配的だとも聞きます。そのような神がかり的な熱狂には、他方で多くの人々は嫌悪感を覚え、だからキリスト教はいかがわしいのだという反応を引き起こしがちです。私たちもそのような熱狂主義には「否」を言わざるをえません。しかしだからといって聖霊とは何かと言う問いを避けるわけにはいきません。
この前私が担当した説教で、私はそうした自分自身の手探りの中から、聖霊の働きとして、「霊みずからが言葉に言い表せないうめきをもって執り成してくださる」というロマ8・26の言葉をたよりにお話をさせていただきました。いつもの如く分かりにくい話だったとおもいますが、そのような私たちの呻きの傍(かたわ)らにこそ、聖霊は臨んでくださるのだということを述べたかったのです。そしてその時、奥田先生の言葉に触れました。先生が川端康成の自殺に関して述べた言葉です。「自分にはガス管をくわえて自殺した川端の絶望的な孤独の心境がせつせつとして伝わってくる。この冷え冷えとした気持ちの中で、信仰がなければ暗がりに堕ちこんでも不思議はない。しかしこのような冷え冷えとした孤独の中でこそ、聖霊の現臨を感じる」と、ペンテコステの説教で語られました。熱狂主義の興奮とはまったく正反対のところで、私は、聖霊の働きの場所があることを不思議な感銘をもって心に刻みました。
聖霊に関しては、もう一つ忘れられない説教があります。ご記憶の方も多いかと思いますが、小笠原先生がもう青森に行かれることを決意されてからの最後の頃の説教だったと思います。先ほど司会者の方に読んでいただいた箇所についての説教だったと思いますが、キリスト教の福音の核となるものとして、私たちがいつも心に刻んで、朝夕唱えるべきものとして推奨されたことです。丁度浄土真宗の信徒たちが「南無、阿弥陀仏」と日々口ずさむように、私たちキリスト教徒は「アッバ、父よ」と繰り返し、唱え、祈るべきだと言われました。そして付け加えられました。「私が育った青森では、父というのは、『オドウ』と言います。ですから私にとって『アッバ、父よ』は『アッバ、オドウ』です。この言葉を日々繰り返してゆきたいと思います」。私にとって小笠原先生はこのような言葉を残して青森に行かれ、そこで雪に埋もれながら、オドウ、オドウと繰り返されていたと思っています。
1)このような「父と子」から私がまず思うのは、その親密さです。それは無力な幼子が力ある父に無心に頼る姿です。「アッバ、父よ」という叫びを私たちが為し得る時、そこに聖霊があると感じるとすれば、そこで最初に思い浮かぶのは、こうした信頼の関係です。子供は無力な時、非常な恐れを抱いています。これは力を付けた大人にはもはやわからない、忘れてしまった感情なのでしょう。ふと子どもの頃、夕方夕闇が迫る中、一人で大急ぎで土手を走って帰っていた時、迫りくる闇に非常な恐れを覚えたことを思い出します。大人からみたら吹き出しそうになる理不尽な「脅(おび)え」なのかもしれませんが、子どもは混じりけない素直さで、怯えを経験しているのです。パウロが「再び恐れに陥れる霊ではなく、神の子とする霊」という時、私が始めに思ったのは、そのような無力さから子どもが感じる脅えを取り除かれること、それが聖霊を受けるということだと、まず始め思いました。
パウロが聖霊によって「アッバ、父よ」と叫ぶという時、私たちは主イエスの姿を思い浮かべます。パウロは恐らく、生前のイエスに会っていなかったでしょうから、直接イエスの記憶はないのでしょうが、「アッバ、父よ」との呼びかけは直接の弟子たちの言葉として受け継いできたものと思われます。「アッバ、父よ」との呼びかけは、イエスの祈りを私たちに思い起させます。
主の祈りの冒頭の呼びかけ「父よ、御名が崇められますように」(ルカ11・2)がそうですし、イエスの感銘深い祈りを私たちは思います。「天地の主である父よ。あなたをほめたたえます。これらのことを知恵ある者や賢い者には隠して、幼子のような者にお示しになりました。そうです、父よ、これは御心に適うことでした。すべてのことは、父からわたしに任されています。父の外に子を知る者はなく、子と子が示そうと思う者のほかには、父を知るものはいません」(マタイ11・25 ルカ10・21)
私たちはこの主の親しさに慣れていますので、神を父と呼びかけることにあまり抵抗をもちません。しかし神に対して、「父よ」と呼びかけて祈るということは、イエスの周囲のユダヤ人には当たり前のことではなかったのではないかと思います。厳しく神を畏れ、御名をみだりに語ることも禁じられ、神の顔を親しく見る者は、死を免れないとして恐れ、敬ってきたイスラエル人の宗教にとって、神を、父として呼びかけることはむしろ異様なこと、冒涜でさえあることと感じられたように思われます。親子関係、父子関係は何と言っても、同じ人間、同じ種族としての同一性を前提にしているので、万軍の主である神に対して、「父よ」と呼びかけるのを聞いたら、眉を顰(ひそ)めるのが正常なイスラエル人であったかもしれません。私の知る限りでは、旧約のどこにも神を「父」と呼びかけた例は知りません。詩篇136編26節で「天にいます神に感謝せよ、慈しみはとこしえに」と、主の祈りの冒頭に近いものはありますが、父よとは呼びかけていません。ここまででしょう。神と人間の間に「父子関係」を認めるのは、むしろ多神教的なヘレニズム世界の影響を思わせるものがあります。使徒行伝のアテネでのパウロの説教の中で、パウロはギリシアの或る詩人の言葉をひいて、「我等は神の中に生き、動き、存在する。我らもその子孫である」と言っています。パウロはこれを受けて「私たちは神の子孫なのですから」と言っています。むしろこのギリシアの世界の方が、神を「父」と呼ぶには、抵抗が少なかったとも言えるでしょう。その意味で私は、キリスト教はギリシア文化を土台にしたヘレニズム世界において生まれたとする判断は的を十分えていると認めるのに吝(やぶさ)かではありません。しかし多神教からは、イエスが神に対して抱いた一対一の緊密な関係はあり得ないともいえます。我々の多様な願いに応じた様々な役に立つ神から成る多神教の世界からは、イエスの緊張に満ちて、なお親密な神との「父」と呼びかける関係は出て来ないように思われます。
2)しかし「アッバ、父よ」と素直に親密に呼びかけるのとは違った「父との関係」があります。放蕩息子の譬えに見られる「父子関係」です。父にいわば反抗して異邦の地で放蕩を尽くした息子は、その地を襲った飢饉の中で、極貧の生活に陥ります。
彼は豚の食べるいなご豆を食べてでも腹を満たしたかったが、食べ物をくれる人はだれもいなかった。そこで彼は我に返って言った。「父の所ではあんなに大勢の雇人に、有り余るほどパンがあるのに、私はここで飢え死にしそうだ。ここを立ち、父の所に行って言おう。『お父さん、私は天に対してもまたお父さんに対しても罪を犯しました』」(ルカ15・16-18)。
ここでの父への呼びかけは、主イエスの呼びかけのように、純粋で素直な信頼の表現ではありません。そこには、「我に返って」と表現されるように、これまでの自らの過ちに直面してその在り方全体を否定して、向きを変える「苦痛」と悔恨が籠(こ)められています。しかしこの悔い改めを為さしめているのは、厳しい父であっても、自分をなお受け入れてくれるという悔恨における「信頼」があると思います。それがなければ、厳しさの前で、言い訳と弁解と隠蔽をするしかなくなります。
3)しかしパウロが「恐れのない」神の子とする霊というのは、これだけではないことがだんだんわかってきました。聖書が書かれた2000年以上も前の古代社会では、「子」という概念も私たちの核家族化した社会のものとはかなり違うものです。パウロは「子」と「奴隷」を対比させています。奴隷は絶対的な力をもった主人の前で、いつも主人の気を損ねることが無いように、神経をすりへらさざるをえません。それこそ様々に「忖度(そんたく)」しなければならないのです。気を損なうなら、命さえ奪われかねません。まさに「恐れ」に支配された生活です。パウロが奴隷に対比させて「子」を語る時、子は奴隷と違って、このような恐れと脅えに支配されることはないのだと語っています。
しかしそれ以上のものが「子」にはあります。それは相続の問題に関わります。パウロは「相続人」と言っています。「もし子であれば、相続人でもあります。神の相続人、しかもキリストと共同の相続人です」(ロマ8・17、ガラテア3・29)。パウロはガラテヤ書で詳しく語ります。「つまりこういうことです。相続人は、未成年である間は、全財産の所有者であっても僕と何ら変わるところがなく、父親が定めた期日までは後見人や管理人の監督のもとにいます。同様にわたしたちも、未成年であった時、世を支配する諸霊に奴隷として仕えていました。しかし時が満ちると、神はその御子を女から、しかも律法の下に生まれた者としてお遣わしになりました。それは律法の支配にある者を贖(あがな)いだして、私たちを神の子となさるためでした。あなた方が子であることは、神が「アッバ、父よ」と叫ぶ御子の霊を私たちの心に送って下さった事実から分かります」(ガラテア4・1-6)。パウロは聖霊によって「アッバ、父よ」と叫ぶことを許され、奴隷でなく、神に対して、「子」として立つことを許されたことにおいて、深い自由を覚えています。それは何よりも、奴隷のもつ「恐れ」脅(おび)えから解放されてある、という深い信頼からくる自由です。それは決して単に安心立命ということには尽きません。「相続人」とはこの世界を自らの所有として任されている者ということです。しかもそれは、自分勝手に恣(ほしいまま)な支配で、財産を使い果たすことではなく、この世界を神の御心が成る世界として創り上げて行く責任をもったものとして自覚することが含まれているのでしょう。深い意味で、この世界の成り行きに責任を負ったものとして自覚することが求められているのだと思います。この問題は考えれば考えるほど、難しい問題を含んでいることを予感します。神が創られたこの世界をどう理解するか、この世界を超えた神をどう理解するかが問われてきます。
前に井川さんがドイツのメルケル首相のキリスト者としての生き方について感銘深く語ってくれました。現在の世界の困難な状況の中で、如何にこのドイツの首相が、聖書からの音信を現代社会の最前線で聞こうとしているかをしらされました。少し角度は違いますが、先日アメリカのニュースを見ていて、ここにもキリスト者として精いっぱい生きようとしているひとりの人がいることを見出しました。今アメリカでは、黒人に対する警察の偏見に満ちた捜査で死に至らしめられた一人の黒人の死に抗議して、激しい抗議のデモが荒れ狂っています。これに便乗した破壊行為もあり、これに対して、トランプ大統領は「法と秩序の回復」を口実に軍隊による鎮圧をも示唆し、頼りになる「大統領」であることを見せつけようとしています。その選挙戦略が見え透いている中で、ホワイトハウスにも押し寄せた抗議デモに対して、催涙弾を用いて蹴散らし、ホワイトハウスの隣にある、伝統的に「大統領の教会」として知られる「教会」の前に乗り込み、そこで誇らしく聖書を掲げて、いわば宣伝のための記念写真をとりました。自分は聖書に基づき、法と秩序を守るように神より任せられた、信仰に満ちた大統領であり政治家であると、自分の支持基盤の一つであるファンダメンタリスト教会に向けて言いたかったのでしょう。それを見た多くの心ある人々が「反吐(へど)がでそうだ」と語りました。そしてまさにこの教会の牧師が、この大統領の行為を、教会を政治的に利用したものだとして厳しい抗議の声明を発しました。すると大統領の顧問弁護士が、激しくこの牧師を攻撃し、そうした抗議は「大統領があたかも信仰を持たないものであるかのように扱い、大統領の信仰を否定するものだ」と言いました。これに対してこの牧師は、毅然として「私は大統領に信仰がないなどとは言っていない。ただ大統領が為した行為は間違っていると言ったのだ。大統領は教会にやってきたが、それは神の前に跪き、祈るためではなく、ただ教会の前で、聖書を掲げて、宣伝のための記念写真をとるためだった。そのために催涙弾をデモ隊に放って道をあけさせた。この行為を私は非難したのだ」と。
私は、極めて明確な政治的発言をした聡明なキリスト者の例をあげました。しかし私は威勢のいい、目立つ政治的発言をして、キリスト者もその存在を世に示すべきだなどと言いたいのではありません。そうではなく、私たちが「神の子」であり、神の財産の相続人であるということはどういうことなのかとの自覚の問題です。その相続人であるということは、この世界の成り行きに対して、根本的に責任を問われているということではないかということです。世界の成り行きを託されているとの自覚のもとに日々我々が生きているかをやはり問われているということです。それぞれに与えられた課題があり、目立たない日々の歩みの中で、しかし世に対する責任を担い、この世界の隣人と共に生きることを求められていることを自覚していかなければならないということです。
私たちの先達はそのような自覚を持って生きられたのではないかと改めて思わされます。奥田先生の日本の国と社会に対する深い憂いの思い、小笠原先生の地を這いまわって血みどろに生きられた歩み、そしてその小笠原先生に付き従った佐伯先生、そしてその他の多くの北白川教会の人々の黙々とした歩み、証の生活、確かに私たちは雲のような証人に囲まれているのを感じます。神の財産の相続人、それは考えるだけでも、気の遠くなるような重い課題なのでしょう。しかし聖霊の呻きと聖霊の助けとは、このような課題を担わしめる力を与えることであり、この重荷を軽々と支える力であるのだと思います。(日本基督教団 北白川教会信徒)