説教

【後半】十字架と高御座(たかみくら)小笠原 亮一

ピリピ書2・6―11 列王記上19・9―18

3 偽欺瞞的な相互関係

敗戦後間もなく小説家の坂口安吾は、次のように記しています。藤原氏や将軍家にとって何がために天皇制が必要であったか。何が故に彼等自身が最高の主権を握らなかったか。それは彼等が自ら主権を握るよりも、天皇制が都合がよかったからで、彼らは自分自身が天下に号令するよりも、天皇に号令させ、自分が先ずまっさきにその号令に服従してみせることによって号令が更によく行きわたることを心得ていた。その天皇の号令とは天皇自身の意志ではなく、実は彼らの号令であり、彼らは自分の欲するところを天皇の名に於いて行い、自分が先ずまっさきにその号令に服してみせる、自分が天皇に服す範を人民に押しつけることによって、自分の号令を押しけることのである。自分自らを神と称し絶対の尊厳を人民に要求することは不可能だ。だが、自分が天皇にぬかずくことによって天皇を神たらしめ、それを人民に押しつけることは可能なのである。」(「続堕落論」)それが権力者のやり方であり、権力者は天皇を重んじているように見えて実は最も天皇を冒瀆する者であり利用する者にほかなりません。

また、天皇を利用する権力者ばかりでなく、国民も同じだ、と坂口安吾は言います。「昨年8月15日、天皇の名によって終戦となり、天皇によって救われたと人々は言うけれども、日本歴史の証するところを見れば、常に天皇とはかかる非常の処理に対して日本歴史のあみだした独創的な作品であり、方策であり、奥の手であり、軍部はこの奥の手を本能的に知っており、我々国民も又この奥の手を本能的に待ちかまえており、かくて軍部日本人合作の大詰の1幕が8月15日となった。たえがたきをたえ、忍びがたきを忍んで、朕の命令に服してくれという。すると国民は泣いて、他ならぬ陛下の命令だから、忍びがたいけれども忍んで負けよう、と言う。嘘をつけ!嘘をつけ!嘘をつけ!我等国民は戦争をやめたくて仕方がなかったのではないか。竹槍をしごいて戦車に立ち向かい、土人形の如くバタバタ死ぬのが嫌でたまらなかったのではないか。戦争の終ることを最も切に欲していた。そのくせ、それが言えないのだ。そして大義名分と云い、又、天皇の命令という。忍びがたきを忍ぶという。何というカラクリだろう。惨めとも又なさけない歴史的大欺瞞ではないか。しかも我等はその欺瞞を知らぬ。」権力者ばかりではなく国民もまた自らを欺いて天皇を利用しているというのです。

権力も天皇を利用し、国民も天皇を利用する。そして天皇の方も、権力や国民を利用して自分の地位の温存をはかる。3者が自らを欺むき他を欺むき相互を利用しつつうまくやってきた、それが日本の歴史であったと坂口安吾は言っているのです。敗戦の時には今度はアメリカが占領政策と反共政策のために天皇を利用しました。

アメリカは日本の将来と民主主義のためを思って天皇制を残したわけではありません。超大国がその力によって、当然問うべき天皇の戦争責任を問わずまたそれに対する他の諸国の正当な批判をねじ伏せて、自分の利益のために天皇を温存しました。天皇もまたその利用に巧みに乗じました。欺瞞的な天皇利用が、国内レベルを越えて、他国によって国際的に行われる段階に達したのです。

天皇をめぐるこのような欺瞞的な相互利用は、日本人が自立した人格的な責任主体になり得ていない現実を示しています。先に記した象徴天皇制の新しい神話から解放されることは、以上のような国際的レベルまでをも含めた欺瞞的な天皇の相互利用から自らを解放することでもあります。それこそが日本のキリスト者の中心的課題であると思われます。

先日、文芸春秋の12月号に、昭和天皇とマッカーサとの会談の通訳を務めたことのある元外交官寺崎秀成氏が書き残した「昭和天皇独白録」が公表されました。1945年の3月から4月にかけて、当時昭和天皇の御用掛であった同氏が、他の4人の側近と共に昭和天皇から直々に聞きまとめたものであると言われ、その聞き書きの行われた時期が極東国際軍事法廷開幕(5月3日)をひかえた時であり、また、天皇の語った範囲が張作霖事件から敗戦までの東京裁判の訴追対象時期と一致するところから、東京裁判に備える「弁明書」の性格を持つものではないかと推定されております。この独白録を呼んだ人が、新聞に次のような投書をしておりました。「太平洋戦争開戦の御前会議で、もし天皇が拒否権を発動したらどうだったろうか・・あの強大にして横暴な陸軍の行動を、だれが制御し得たであろうか。クーデターはおろか、財閥、海軍、多くの貧農民などの利害が絡み合い、同胞が互いに血を血で洗うみにくい内戦が、長年にわたって続けられたであろう・・このたび明らかにされた昭和天皇の独自記録をみて、天皇の判断も、これと軌を1にするものであることが分かり、感無量だ。幸か不幸か米軍に負けて、戦前までの社会的病根を根こそぎ切開し、国民等しくゼロに戻ったからこそ、今日の日本の繁栄がもたらされた・・当時〝軍をつぶさなければ日本はつぶれる。軍をつぶすには米軍と戦って負けるほかない〟との考えが天皇の頭をよぎった、・・・と想像する・・『天皇は、なぜ戦争を止めなかった』・・…という皮相的な考えを披露する愚かな知識人に、改めて猛省を促したい・・・・」(朝日新聞「声」11月14日)

その後22日の新聞に、この投書を批判する次のような投書がのりました。「昭和天皇が開戦を拒否していたら『みにくい内戦』が起きていたーかどうかは、だれにもわからない。・・さらに言えば、日本の国内の事情で問題や混乱が生じたとしても、それは日本人が甘受すべきであって、それを戦争を始める理由にされてはたまったものではない…と外国の人はかんがえるであろう・・・」

前の投書のもっともらしさは、国内でしか通用しない論理に過ぎません。後の投書が指摘するように、国外の視点に立てばたちまち破綻する醜悪な独善的な考え方です。象徴天皇制の新しい神話や天皇制の欺瞞的な相互利用は、このような自分勝手な、他を顧みない、飯沼2郎先生の言葉によれば、民族エゴイズムに根差しています。天皇制の神話から解放され、欺瞞的な相互利用をやめるということは、真にひらかれた普遍的な立場に立つということです。戦争の犠牲になったアジアの人々の視点から自分を見つめ、その視点をわがものとし共有する立場に立つことです。

 

4 良心的兵役拒否国

 

去る10月22日の朝日新聞の京都版に、私はたいへんうれしい記事を見つけました。その前日の21日日曜日の午後、国際反戦デーの「自衛隊の海外派兵に反対する京都集会」が3条大橋の河川敷でひらかれ、私たちの主にある友である「滋賀医科大生林真実さん」が次のように話したと報道されていました。「政治には無関心だったけど、72歳になる飯沼2郎さんが通行人に突き飛ばされそうになりながら集会案内のビラを配っているのをみて、何かしなきゃと思って参加した。どうして政府は血を流さないで戦争を解決しようと努力しないのか。恋人を戦争で失うことだけは絶対に拒否する。」林さんは大事なことをもっとたくさん話したのにあんなことだけ書かれてと怒っていましたが、林さんが10日前の10月10日に私たちの友である山本精1さんと婚約したばかりであることをしっている私たちは、「恋人を戦争で失うことだけは絶対に拒否する」という真実さんの言葉には実感がこもっているなあ、と感じました。私たちはこの実感のこもった真実さんの言葉から、アメリカやイラクの兵士たちの恋人や家族、また、日本の自衛隊の兵士たちの恋人や家族の思いが伝わってくるような感じがしました。

しかし私は、「恋人を戦争で失うことだけは絶対に拒否する」という真実さんの言葉に、もう1言付け加えるべき言葉があるのではないか、と思います。恋人を戦場に送らない、というのであれば、それにかわってなすべきことがあるのではなかろうか。

雑誌『世界』の11月号に、国際基督教大学の最上敏樹という先生が、日本は「良心的兵役拒否となることこそが、憲法の論理の必然的帰結なのではないか」(良心的兵役拒否国の証しを求めてーポスト冷戦の安全保障の礎石を求めて」)と書いています。「国連平和協力法」をめぐる国会の論議において国連軍が問題になりましたが、国連軍は国連憲章の中で規定されています。しかし日本国憲法は国連憲章以後に制定されており、日本国憲法は国連憲章をすらこえた未来を指し示しているのではなかろうかというのです。国連軍の軍事制裁による紛争解決方式では、米ソ冷戦後の新しい世界の安全保障システムの構築には時代遅れであり、新しい安全保障、戦わない安全保障システム、「平和的解決努力と平和維持軍の組み合わせによる非戦型安全保障の方式」が要求されている。その展望のなかで、日本には1国内での良心的兵役拒否者にも比すべき国際社会での良心的兵役拒否国の役割があるのではなかろうか。良心的兵役拒否者は戦場に行くことを拒否しますから、卑怯者、愛国心がない、日国民と非難されます。しかし良心的兵役拒否者はそのような汚辱に耐えて、戦場に行く兵士と同じようにあるいはそれ以上に危険をおかし労苦を担わなければなりません。良心的兵役拒否国の道は、そのような良心的拒否者の道に通じるものがあります。

そのように考えますと、ただ恋人を戦場に送らないというだけではいけない、恋人と共に、世界の苦しむ人々、貧しい人々に仕えて行くことが求められます。それこそが欺瞞的な相互利用による民族エゴイズムを打ち破る積極的な道です。そしてその道は必然的に良心的兵役拒否者の道、十字架の道たらざるを得ません。

バールと戦ったエリヤは孤独でした、1人でした、個でした、友がいないと思っていました。しかし神は、エリヤにバールにひざをかがめず口づけしない7000人を残す、と語られました。その神の示しによって、エリヤは信仰の希望の力にあふれて立ち上がり、預言者の道、十字架の道に立ち帰りました。神の前に1人であるというところに立ちながら、なお友がいるということに目をひらかれる。私は、こんな日本の中で、こんな世界で、良い友にあってきたなあ、感謝だなあ、自分はつまらない人間だが自分の周りにこんなに良い人がいて祈り合い語り合い協働することができる、恵みだなあ、と思います。しかも身近かな日本の中だけのことではない。1度お会いしただけですが中国の王好問さんのことを思いますと私の心は感動にふるえてきます、がんばろうと内から勇気がわいてきます。韓国の尹鐘倬さん、金美淑さん、この世界に国境をこえ民族をこえてキリストに生きる喜びを分かち合える友が私たちに与えられています。エリヤは信仰の希望において7000人を示されたのですが、私たちはすでに現実に主に在る良き友を与えられている喜びと感謝の中で、十字架を

負って歩みたい、と願います。[完]

(1991・2・3月合併号より転記)