ひろば随想

【入会の挨拶】 共助会に入会させていただいて 高橋 雅子

昨年12月27日、久我山教会での共助会クリスマスで、私は中村きよみさん、豊田キヨ子さんという素晴らしい方々と共に共助会入会式をしていただきました。ほんとうのところ、私は50年前から敬和学園高校1回生として室崎陽子先生と出会い、先生を通してこの会を知ってから今まで、この会にひかれる気持ちを持つ一方で、自分には近寄り難いものがあると感じ、できるだけ離れていようと思っていたのでした。

それが、不思議な形でこの度入会させていただくことになり、洗礼式さながらの厳粛な入会式の中で、飯島先生の問いかけに答えてはっきりと誓約しながら、人間の思いで神様の御計画を計り知ることはできないと感じていました。かつて、私は大学を卒業し静岡の牧の原やまばと学園で、重度と言われる知的障がいの子どもたちと共に数年の日々を過ごしました。当初職員寮に入っていましたが、地域から切り離された生活に違和感があり、地元の古い1軒家を借りて2年程生活しました。広い和室があり、色々な問題意識を持った地元青年たちが集う拠点としても提供して共に活動しました。ある時、職場・地域を巻き込む大きな問題に直面し、私はこの1軒家で、ひとり深い孤独感の中で必死で祈りました。その時に与えられたのが哀歌の3章です。

苦汁と欠乏の中で

貧しくさすらったときのことを

決して忘れず、覚えているからこそ

わたしの魂は沈み込んでいても

再び心を励まし、なお待ち望む。

主の慈しみは決して絶えない。

主の憐みは決して尽きない。

それは朝ごとに新たになる。

「あなたの真実はそれほど深い。主こそわたしの受ける分」とわたしの魂は言い わたしは主を待ち望む。(19節~24節)

―神様は私が今ここにいることを知っていてくださる。そう、この哀歌3章を読みながら感じました。

あれから40年あまり。小淵康而先生と鈴木孝2先生、お2人のこうじ先生に推薦者となって頂き、この共助会に入会させていただいて、今、あの時に感じたことがよみがえってきます。100年という共助会の歴史のもつ深さと同時に、私自身の過去、現在と様々な所で思いがけない結びつきがあることを知らされ、それらに対し畏れを持ちつつ、皆様から、これから色々学ばせていただきたいと願っています。どうぞよろしくお願い致します。

追記:交流会で出されたケーキ、とても美味しくいただきました。それと、「神のなされることは 皆、その時にかなって美しい」との聖句の美しいしおりは大切に聖書にはさみました。久我山教会の安倍先生はじめ、ご準備下さった皆様に感謝いたします。