貧しい者の友となられたイエス様 小笠原浩平

何か共助誌に、久しぶりに文章を投稿できないかと思い立ち、聖書など、あれこれと読んでいた。私の父、小笠原亮一は、「旧約聖書では第二イザヤ、福音書ではルカ伝、パウロ書簡ではフィリピ書」を特に愛読していた。

第二イザヤはBC600年頃、ユダヤ民族がバビロンによって捕囚となったが、ペルシャ王クロスがバビロンを陥(おとしい)れ、捕囚ユダヤ人の釈放を命じて、ユダヤ民族が釈放される前夜のことを預言している。苦労の終わりである。慰めの日の到来である。矢内原忠雄さんによれば、第二イザヤ書は、慰めの書であり、神の愛の書である、と。従って第一、第三イザヤ書と比べると、明らかに第二イザヤ書は、文章のトーンが明るい。父もその慰めと希望に満ちた、この第二イザヤ書に魅かれたのであろう。「あなたはわたしの僕しもべ、わたしはあなたを選び、決して見捨てない。恐れることはない、わたしはあなたと共にいる神。」という文章もある。そして、ルカ伝について言えば、彼は歴史家であったが、この書は特に異邦人、罪人、病者、貧者等の解放を告げる人類的見地に立って書かれている。だからルカ伝は、悲しみ、嘆く人に寄り添い、それらの人のかたわらに立ち、描写している。いわばこれも「慰めの書」である。このような理由で、父はルカ伝を好んでいたようである。フィリピ書は、獄中書簡ではありますが、喜びという言葉が10回程、恵みという言葉も多く書かれています。パウロは、この不安定なる状態において、平安、いや喜びに満ちていた。自分の略歴を書きながら、キリストと生きる喜びを、フィリピの人たちに訴えながら、また忠告をしている。そして「わたしにとって、生きることはキリストであり、死ぬことは利益なのです」と、キリストを信仰し、どんな中にあっても、キリストと共に生きる喜びを、うたっている。このように、パウロのキリストと共に生きる喜びをストレートに書いた書簡に、父は励まされたのでしょう。私はこの中で、第二イザヤやフィリピ書についても書きたかったが、ルカ伝に則して、やはり、イエス・キリストについて書きたいと思った。「道であり、真理であり、命であり、愛である」イエスについて書きたいと思った。

イエスは、その生涯、貧しく(心の貧しい人たちも含む)、苦しみを持った寂しい人たちの友となられた。それは、言うまでもなく、イエスがどれだけ人を愛したもうたか、どれだけいつくしみ深かったかに言い表すことができる。「まず、人を愛された方だった。」それによって、イエスの生涯は、決して高みから私たちを見下ろしているといったようなものではなく、家畜小屋から十字架の上まで、私たちの苦悩と屈辱と孤独とを共に歩んでくださった。聖書を読んで分かることは、イエスは全生涯、徹頭徹尾、病んだ者、人々に蔑(さげす)まれた者、悪人と呼ばれた者(取税人や売春婦を含む)、障がい者、の傍らに立ち、心から友となられたことだ。

ルカによる福音書から引用する。

貧しい人々は、幸いである、

神の国はあたながたのものである。

今飢えている人々は、幸いである、

あなたがたは満たされる。

今、泣いている人々は、幸いである、

あなたがたは笑うようになる。(ルカ6章20、21 節)

一見、逆説的であるが、イエスの深い愛は、これらの言葉に凝縮されている。

また、イザヤ書61章1節に、こうある。

主はわたしに油を注ぎ

主なる神の霊がわたしをとらえた。

わたしを遣わして

貧しい人に良い知らせを伝えさせるために。

打ち砕かれた心を包み

捕われ人には自由を

つながれている人には解放を告知させるために。

これは、イエスが伝道を行う時、初めに教会の会堂で、宣言した言葉である。この言葉は、今や一つの預言であったと理解され、現にイエスの発言において成就した、というのである。「貧しい者たちは幸いだ」とイエスが語ることによって、その福音が現実となる。マタイによる福音書の11章の5、6節には、「目の見えない人は見え、足の不自由な人は歩き、ハンセン病を患っている人は清くなり、耳の聞こえない人は聞こえ、死者は生き返り、貧しい人は福音を告げ知らされている。わたしにつまずかない人は幸いである。」と、イエスの言葉が示されている。イエスの現臨がすでに今神の支配を開始させているのである。このような貧しい者たちに対する祝福の言葉は、イエスが信仰の対象であることを前提としている。イエスの到来が、神の国(支配)の始まりなのである。このイザヤ書の言葉を、イエスは高らかに述べて、嵐が吹き荒れている世の中に出ていったのである。そして、汚れた霊に取りつかれた男をいやしたり、病いを持った人をいやし、安息日にかかわらず、手の萎えた人をいやしたりした。律法を守り、いやそのことだけに、自負心を持ち、律法を守らない者達を心の底から軽蔑していた律法学者やファリサイ派の人々は、この様子を見て、怒り狂って、どのようにイエスを殺そうかと、すでに相談し始めた。イエスは、徹頭徹尾、律法だけを守ることだけに遵守する側ではなく、そうではなく、病いを持ち、苦しんでいる人たちの側に立たれた。「人にしてもらいたいと思うことを、人にもしなさい。」(ルカ6章31節)この言葉のとおりに実践し、最後まで生きた。それが、イエスの愛だろう。イエスは、当時のユダヤ教主流派の人びとと対立し、これらの人びとを敵にまわすということは、ご自分の立場を不利にすることであり、場合によっては死に追いやられるであろうことも察知しておられたはずである。しかし福音書を読めば、当時罪人の烙印を押されていた売春婦や取税人と一緒に食事をしたり、安息日に病人をいやしたりすることがユダヤ教主流派の人たちを激怒させることであることを知りつつ、この姿勢を最後まで変えられませんでした。

イエスの貧しい(心の貧しい人たちも含む)人たちの側に立ち、寄り添い、その愛を貫徹させた物語をルカによる福音書から、一つ記して文章を終わりたい。それは、ルカによる福音書7章36~50節である。「罪深い女を赦す」と小見出しがつけられている箇所である。

「自分がこの町を訪れたのは、幸福な人、充ち足りた人、富んだ人のためではない。長い夜、人生の辛さに怯えながら泪(なみだ)をながした人、子供を失った母親、家族からも友だちからも見離された罪人……そういう人間たちのためにイエスはこの地上にやってきたのだという。」(遠藤周作『聖書のなかの女性たち』より)

本当にこの文のように、イエスはこの地上にやってきたのであろう。今回は、ある遊女の話をとり上げい。

「あるファリサイ派の人が、一緒に食事をしてほしいと願ったので、イエスはその家に入って食事の席に着かれた」とある。場所はおそらく、ガリラヤのある町であっただろう。食事を共にすることは、その者たちが親しい間柄であったことを示す。そして37節に「この町に一人の罪深い女がいた」とある。彼女はおそらく遊女であったのであろう。彼女は、悲しかった過去、みじめだった人生を背負っていた。しかし、イエスは彼女たちをかえって偽善者や充ち足りた女よりも高く評価した。自分がいつも善人だと思っている信仰者、恥しさにも自己嫌悪にも捉えられたことのない人よりも、こうした遊女の悲しみや苦しさの方が、はるかに真の信仰に近いことをイエスは教えたのです。

おそらく、イエスのうわさをこの女は聞いていたのでしょう。

「この人だったら、自分のどうしようもない罪を赦し、憐れんでくださるだろう」と思って、ファリサイ派の人の家に近づいて行ったのでしょう。彼女は、香油(これはとても高価なものだったと考えられる)の入った石膏の壺を持ってきて、イエスの足もとに近寄り、泣きながらその足を涙でぬらし始め、自分の髪の毛でぬぐい、イエスの足に接吻して香油を塗った、とある。これ以上の、愛にあふれた、心のこもったもてなし方が他にあるだろうか。「その足を涙でぬらし始め」とある。この一節だけで、その遊女の悲しみが伝わってくる。自分の人生が今後どうなるのか、彼女は考えたくもなかった。いや、考えるのが怖ろしかった。

同じ遊女が旧約聖書と新約聖書とは違っているらしい。イエスがこの世に来てから「神の国」が訪れたとあるが、イエスの愛、これが新約聖書のポイントだろう。イエスは、弱く、貧しく、また遊女や取税人など、世の中から下げすまされた人の友となるためにこの世にやって来たのだから。旧約の世界は、人間が神の怒りを怖れ、その罪に怯えていた世界だった。そんな中で、神を裏切った女たちには烈しい軽蔑と怒りが加えられた。しかし、イエスがこの世に訪れた日から、新約の世界では、遊女たちは、その泪で「御足を次第に濡らす」女と変った。そのようなことを、この遊女は気づいていたのだろう。「イエス様なら私の罪を赦してくださるだろう」と。この遊女たちのとった行動を見て、ファリサイ派の人は「この人がもし預言者なら、自分に触れている女がだれで、どんな人か分かるはずだ。罪深い女なのに」と思った、とある。この遊女は確かに、この世的には罪深い女であったかもしれない。しかし、生活の為に、生きていく為に、そうせざるをえなかった事情があるのではないか……。遊女は自分を罪人0 0 だとわかっていた。だからこそ、イエスに近づいたのだ。「このお方なら」という思いであったろう。涙が出るくらい、悲しみや嘆きがあったのだろう。

シモンは社会的な慣習を怠った。それは、イエスの足を洗うこと、頭に香油を塗ること、そして歓迎の口づけをすることだった。彼女はそれらを惜しみなく、イエスに与えたのである。恥も外聞もない。自分ができる、すべてのことを行ったのである。イエスはファリサイ派の人の心を読みとって、こう言った。「シモン、あなたに言いたいことがある」と。それが、ここにでてくるたとえ話である。「ある金貸しから、一人は500デナリオン、もう一人は50デナリオンお金を借りていた(デナリオンはローマ人の貨幣で、一デナリオンは一日分の賃金であった。)この二人には返す金がなかったので、金貸しは両方の借金を帳消しにしてやった。二人のうちどちらが多くその金貸しを愛するだろうか。」イエスはここで「愛する」という言葉を使っている。もちろん、金貸しから多くを借り、それを帳消しにしてもらった者である。イエスは、「そのとおりだ」と言われた。そして、「この人を見ないか。わたしがあなたの家に入ったとき、あなたは足を洗う水もくれなかったが、この人は涙でわたしをぬらし、髪の毛でぬぐってくれた。あなたはわたしに接吻のあいさつもしなかったが、その人はわたしが入って来てから、私の足に接吻してやまなかった。あなたは頭にオリーブ油を塗ってくれなかったが、この人は足に香油を塗ってくれた。」と。

イエスは、罪人と言われる遊女のこれらの行為を、感動と、驚きと、感謝と、大きな喜びをもって受け入れ、それも真正面から彼女の行為を受け止めた。この遊女の行いは、イエスに通じたのである。心から真心のある愛をもった行為として……。実に献身的であった。これは、大変美しい物語である。己が義に誇るファリサイ人と、己が罪に泣く一人の女との対比が鮮明に描かれている。ルカ伝が特に、罪人のための福音書と呼ばれるにふさわしいことを示す話である。シモンはイエスに躓つまずいた。イエスによって、神の国の福音は目の前に来たのである。この遊女は、イエスという方は、取税人・罪人の友として、人にいやしと赦しをあたえ給うといううわさを聞いていたのだろう。そして、イエスはこう言われた。「この人が多くの罪を赦されたことは、わたしに示した愛の大きさで分かる。赦されることの少ない者は、愛することも少ない」と。この遊女は、この行為によってイエスへの愛を示した。その分、彼女は多くの罪を赦されたのである。そして「赦されることの少ない者は、愛することも少ないのである」と。

新しい時代の到来である。イエスの愛は、新たな世界を切り開いた。イエスは、取税人、遊女、病気をもった者、罪人と呼ばれるさげすまされた人たちを、こよなく特にも愛された。イエスは、そういった方だったのである。人をゆるし憐れむ心を持っておられた。愛することの大切さを、身をもって、その時代の人に教えられた。そして、聖書は、今の時代に至るまで、その愛を訴え続けてきた。「自分の罪を赦してくれたこの人、自分の心の道徳的な重荷を取り去り、良心の呵か 責しゃくから解放して、新しい生命の喜びをくれたこの人、この方こそ神が人類の救い主として世につかわし給うた、神の子、キリストに違いない」と、この遊女は思ったのだろう。そして、イエスは女に「あなたの罪は赦された」と言われた。遊女は、その言葉にどれだけ胸をなでおろしたことだろう。同席の人たちは「罪まで赦すこの人は、いったい何者だろう」と、考え始めたとある。そして、イエスは女に「あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい。」と言われた。「安心して」とは力強い言葉だった。「汝の信仰、汝を救へり」という言葉は、ルカ伝には何回かでてくる。

私たちはこの話において、人を赦すことの大切さ、愛することの大切さを学ぶ。どうか私たちも、人を赦し、愛することのできるような人に変えられたい。ルカによる福音書から、赦すことの大切さ、愛することの大切さを学んだ。正にイエスは、貧しく寂しい者を特に、こよなく愛し、友となられたのだ。

(日本基督教団 青森教会員)