その時まで、私たちは黙って見ているのだろうか(2006年6月号) 森川 静子
五月三日の憲法記念日に自民党の船田元憲法調査会長は、憲法改正のための「国民投票法案」の、今国会中の成立は難しいと言い出した。また四月二十八日に法務委員会を通過させる予定だった「共謀罪」の採決も、野党の激しい反対のためにとりあえずは延期された。しかし教育基本法の改正案は、すでに閣議で決定され、今国会での成立を目指して、公明党と字句の調整をしており、さきの二法案の成立も虎視眈々と狙っている。
木村葉子さんの予防訴訟を支援する実践として、何度か日比谷公会堂や野外音楽堂の教育基本法「改正」を阻止する大会に出て、「共謀罪」や「国民投票法」という言葉を聞き、日本の国で敗戦前への回帰が怒涛のように迫っていることを知った。憲法改正の動きは、日本が独立国になった直後の一九五〇年代から起こっている。「日本国憲法」はアメリカから押し付けられたものだから、日本人自らの憲法を作ろうということで、今度の「新憲法」案ではわざわざ前文でそれをうたっている。前文では、そのほか、戦争への深い反省から生まれた不戦の誓いを落としている。しかし「新憲法」の焦点は、あくまで九条の「戦争放棄」を放棄することである。
「国民投票法」案は、単なる憲法改正のための手続き法ではなく、国会の発議から三カ月で決済し、文書や演説による改正への反対運動を厳しく制限するなど、あくまで「新憲法」を成立させることを意図している。「教育基本法改正案」では、「新憲法」にはっきりと打ち出せない「愛国心」を、第二条に「教育の目標」として掲げている。公明党と妥協して「心」を「態度」としているが、自民党の中には「心」に戻したいという声が大きい。
「共謀罪」は、実際の犯罪行為ではなく犯罪の合意だけで成立する。つまり心を監視し統制し、自首によって罪を軽くする形で密告を奨励する。この前身と言える治安維持法は一九二五年に成立し、改悪を重ねて、最高懲役十年が死刑に、また予防拘禁ができるようにした。矢内原忠雄の「嘉信」が何度も発禁になっているのも治安維持法違反。また朝鮮半島で神社参拝を拒否してチュ ギチョル朱基徹牧師を初め多くの牧師や伝道師が獄死したのも、治安維持法違反と不敬罪による。
私たちが礼拝の前で宮城遥拝を強要され、礼拝堂の中で公安がメモを取り、雑誌『共助』に伏字が入ったり発禁になる時まで、私たちは沈黙し、その時が来たら、それも神様の御心と言って感謝して受け入れるのだろうか。その前に、本気になって祈り、方法を考えることは、日本のキリスト者の責任ではないだろうか。