嵐の中でも、主は共におられる 伊東 啓子
主人は2018年、住民健診で前立腺ガンと診断され、別府の病院と「サガハイマット(注)」で重粒子線がん治療を受けました。「痛くも痒くもない治療」と言ってネットで調べていたのを思い出します。「サガハイマット」ではとても優しく対応してくださったそうです。苺の集荷時期だったので、主人は農協に苺を出してから、杵き 築つき駅でJRに乗り、小倉―福岡―佐賀県鳥栖へと通いました。3月から週3回、20回近くよく頑張ったと思います。
(注)【佐賀県鳥栖市にある「九州国際重粒子線がん治療センター」のことです。重粒子線がん治療は、がん病巣にピンポイントで狙いを絞って照射する最先端の放射線治療法で、がん病巣にダメージを十分与えながら、正常細胞へのダメージを最小限に抑えることができます。】
その頃4月1日に、息子が網膜症になり、大分医大病院で手術を受けました。朝、会社に行ったら眼の中にワカメのようなものが見えて、国東の眼科に行ったら「明日、医大に行ったらすぐ手術してもらえるように、全部書類を準備したから、明日、朝一番に行ってください」と言われたそうです。翌日、主人は「サガハイマット」行き、私は苺の作業でしたので、息子は自分で運転して行きました。割りと元気そうに帰って、手術の様子を話してくれました。「大学の木許先生ってすごいなー。いろいろな機械で調べて、瞳孔の開いた穴から、医療用のものすごく細いピンセットのようなものを入れて、切ったり焼いたり止めたり、それが僕にも見えるんだから……。」
あれから何度も手術を受けたり、入院したりしました。退院予定の日に、主人が留守で、その間に治療が追加になったりといろんなことがありました。国東の眼科の先生や職場の方にも良く説明ができたようで、仕事も機械加工から組立に変えていただき、喜んで通っています。
息子は泣き言を言わなかったのですが、しんみりと話してくれた時、わたしは涙が止まりませんでした。「眼の手術、大変だったね」「色々な人にお世話になったね。お母さんが代わってあげたいけれど……せめて歌でも聞いてくれるかしら」と言って、賛美歌21 57番「ガリラヤの風薫る丘で、人びとに話された……」と歌い、これはイエス様の生涯を歌にしたものだ、と話しました。
「誰にでも自分ではどうすることもできない事があるもんだね」と静かに聞いて、「お母さん歌、うまいよ」とほめてくれました。
主人の重粒子線照射から一年半、息子の眼の手術から一年半、病院通いが少しだけ遠くなってきて秋を迎えました。主人の方は大丈夫なようで、私の方がハラハラする程、良く働き、時々心配です。
聖書 ルカ8:22― 25
〈突風を静める〉
私たちは大変な出来事に会うたびにオロオロします。船の中にイエス様がおられるのに、あわてます。「あなたがたの信仰はどこにあるのか」と問われます。『信徒の友』10月号に、ヘンリー・ナウエンの言葉が載っていました。「わたしたちの誰もが、みな傷を負っています。大切なことは……『わたしの傷をどうやって人のために役立てられるか』という問いかけです。」と。
伊東家 苺ハウス紹介
息子が生まれた時に、苺苗を分けていただき、パイプハウスを建てて土耕栽培を開始。当時、大きな畝を立て、四つんばいで仕事をし大変でした。20年後、高設栽培の農協指導により、初年度6aから始めました。2000年、いよいよハウスの建て込みです。二連棟の50mハウスの整地をし、鎮圧し、寸法を計測し、パイプハウスを建て、高設の土台となる設備をパイプを打って組み立てました。主人はベットのパイプ射ち800本、横パイプの組み立て等をほとんど一人でしました。でもユンボ(バックホー)がなければがとても無理な話です。
あれから20年余り、苺の作業や収穫は楽になりましたが、身体はあちこちボロボロになりました。修理を頑張る主人も疲れてきたようです。メヌエル症みたいにもなり、下船酔いのようでした。あとは年なりに頑張り過ぎないようにしたいものです。
(日本基督教団 国東教会員)