1 日韓基本条約締結後から民主救国宣言まで(1965-1976) 朴大信
『日韓キリスト教関係史資料Ⅲ 1945-2010』(新教出版社、2020年)より
前回の予告通り、1965年の出来事から筆を起こそう。
今、私の手元に一つの貴重な録音がある。当時の日本基督教団議長・大村勇牧師が、韓国基督教長老会の第50回総会に招かれ、そこで経験した一連の出来事からの帰国3日後に、自身の牧する阿佐ヶ谷教会で行った説教である(1965年10月3日、世界聖餐日)。説教題は「まず行って兄弟と和解せよ」。静かな語り口から始まるその説教は、終始大村自身の生き生きとした肉声に貫かれ、礼拝が生み出す真実なる言葉であった。最後の語り口は、聴衆の心を力強く捕えて畳みかける、まさに圧巻の連続である。
説教題から想像できるように、この日に読まれた聖書箇所は、マタイによる福音書5章23~24節。「だから、あなたが祭壇に供え物を献げようとし、兄弟が自分に反感を持っているのをそこで思い出したなら、その供え物を祭壇の前に置き、まず行って兄弟と仲直りをし、それから帰って来て、供え物を献げなさい」。大村は、自身の韓国訪問を、この主の教えと重ね合わせることによって、御言葉の出来事としての和解経験を証あかししたのである。
特に当該総会の初日、彼は教団を代表して挨拶を述べる予定だったが、その議場で議員団から嵐のような抗議と反対の声が上がり、長い議論の末にようやく壇上に立ったとのエピソードは忘れられない。しかしこの緊張が、むしろ和解への道を開く端緒となった。彼は説教の中でこう述懐する。「私は韓国の人々のことをちっとも知らなかった。何度も来たことはあったが、今回初めて来た。初めて出会った。初めて知った。人格と人格との交わりを通して、初めて痛みを知った」。実際、彼はあの総会の場で、己の無知を悔い改める告白を、儀礼的な挨拶に先立って述べたところ、議場からは拍手喝采、「反対していた人も、みな拍手を送った」(60頁)のだった。
「まず行って兄弟と和解せよ」。この教えはもちろん、礼拝をやめよ、ということではない。礼拝よりも和解が、また、第一の戒め(神への愛)よりも第二の戒め(隣人愛)が優位であることを、単に促すのでもない。むしろ、真実なる神の御前に立たされるからこそ示される姿であろう。大村は言う。「まず隣人愛に心を尽くさなければ、礼拝が礼拝にならん!」。「神への奉仕は、隣人への奉仕と結びつく」。「世界平和を考える時、それはまず、隣人・隣国との和解から始まる」。これら説教で語られた肉声を背景とする時、彼の次の言葉がさらに輝く。「日本の教会
は、この韓国教会を真に隣人としてもつことをとおして、ほんとうの教会になる」(58頁)。
以上の出来事は、特定の人物や教会組織から見た日韓キリスト教関係史の一幕に過ぎない。しかし時代は、この1965年の日韓基本条約を画期として、その後約20年間、両国では複雑な緊迫感や混乱を内に抱えながらも、それらを乗り越えようとする日韓キリスト者の交流と和解、そして連帯への歩みが特に盛んに、否、凄まじく展開していく(このことは本資料集に占めるこの時代区分の資料の膨大さからして明らかである)。その意味で、今見た出来事は、以降の展開を生み出す一つの萌芽と見ることができるだろうし、真の和解(「主にある友情」)がいかにして実現し得るかについて、重要な示唆を与え続けるに違いない。
こうして、この1965~76年の間に起こった、言わば血流とも言える交流史は、一方では、地に足を付けた草の根レベルの関係促進を足場としながら、しかしまた他方では、特に韓国の民主化闘争という大規模な運動に向けた連帯にまで発展する。まさに歴史に翻弄されつつも、その中で歴史を直視し、動かし、なお共に新たに造り出してゆく姿に直面させられるのである。その具体的な例を挙げればきりがなく、詳細はこの「断想」に続く「解説」、ひいては本資料集にぜひ目を通して頂きたいのだが、この間の動きとして、やはり1967年に日本基督教団から当時の議長名で出された「第二次世界大戦下における日本基督教団の責任についての告白」は、特筆すべきであろう。これを受けて、日韓の代表的な両教会が具体的な宣教協約を結び始めたことであるし、その狭間にあって、日本にある韓国教会、すなわち在日大韓基督教会(私の母教会)とも、ようやく内実ある関係構築が積み重ねられ始めたからである。私はこの戦責告白が、「宣言」のような類ではなく、まさに「告白」としてなされたところに、人間の限界と過ちを真に悔い改めんとする信仰の鼓動を感じ取ることができる。それゆえ、過去の一点に留まらない普遍性と現在性、また継承性も帯びるのではないだろうか。次の一文が胸を打つ。「わたくしどもの弱さとあやまちにもかかわらず働かれる、歴史の主なる神の摂理を覚え、深い感謝とともにおそれと責任を痛感するものであります」(123頁)。
この他にも、注目したい記事や出来事、ドラマ、そしてその中で響き渡る声は数えきれないほどある。しかし本書を読みながら、私はあらためて、キリスト者や教会にとっての社会的・歴史的責任、とりわけその責任の果たし方や戦い方について問われたように思う。それは特に、韓国民主化闘争を準備する上で重要な目印の一つとなった、「韓国キリスト者宣言」(1973年)の中に記された次の一文が心に留まったからである。「(1)…今日われわれを動かしているのは勝利することを期待する感激ではない。それはかえって神に向かっての罪責の告白からくるものであり、韓国の今日の状況の中で真理を語り、それに従って行動せよといわれる主の命令からくるものである」。「(2)韓国国民は、キリスト者たちを仰ぎ見ながら、今日の与えられた状況において行動をしてくれることを要請している。それは決してわれわれキリスト者が彼らを代表しうる資格をもっているからではない。……それにもかかわらず、国民の催促と激励をうけている」(245頁)。
韓国のキリスト教には、ある意味、時代を通じて、「抵抗」の精神をもって積極的に歴史に寄与してきた側面がある。しかしその抵抗を根底から支える力は何か。また、その抵抗を通して何を掴み、またこの世に対して何を、どのように証ししていくのか。これはすぐれて、我々の今日的課題であろう。この問いかけを聴き取りながら、なお歴史に学び続けたい。
(日本基督教団 松本東教会牧師)